猫の耳に英雄


 ではいざ旅立ち


 ──の、前に。


「買い出しです」


 必要なものは療養期間中にもある程度こつこつ買い揃えていたが、やはり食品類などの消費期限があるものはなるべく出発直前に買っていきたい。


「というわけで手分けしましょう。ヴェスはこっちに書いてあるものをお願いします」


 あらかじめ用意していた二枚の買い物メモのうち一枚を差し出すと、ヴェスは差し出されたメモと俺を交互に見たあと、溜息とともにそれを受け取る。


「おまえのことだから相手が対話可能な……命乞いの通じる生き物であればどうせ即座に殺されることはないのだろうが、それでも油断はするなよ」


 そんな、俺の信用が無いと取るか逆に信用されていると取るか五分五分な台詞を残して、隻眼のダークエルフは淀みない足取りでするすると人波へ消えていった。


「さてと。僕らも行きますか」


「だぁう!」


「ふは」


 背負い紐で背中にくくりつけた赤ん坊が、返事のつもりなのか景気よく声をあげたのに思わず小さく笑いながら、ローブのフードをしっかりと被り直す。


 厚手の黒いローブが隠しているのは、俺のエルフ耳だけではない。赤ん坊の姿をあまり人目にさらさないためでもある。

 もちろん赤ん坊は生きて声を上げて動くわけだから、存在を完全に隠蔽するなんてことは到底出来ないが、ほんの少しでも追っ手とやらの目をくらませる助けになればと現状はこのスタイルで連れ歩いている。まぁ気休め程度だ。


 そうして俺は赤ん坊とともに、ヴェスとは反対方向に歩き出した。


 商人の街は、街中が丸ごと商店街になったようなところだ。

 いや、それよりも卸売おろしうり市場といったほうが雰囲気が近いだろうか。

 通常の店舗もそれなりに存在はするが、大半が商人の商人による商人のための巨大卸売市場で構成されている、それが商人ギルド本拠地こと商人の街である。

 この場所で手に入らないものなんてないのではと思ってしまいそうなほど、路地という路地にありとあらゆる店が立ち並んでいた。


 そんな場所で俺が今から買い揃えていくのは、主に赤ん坊のための必需品だ。

 俺などは最悪そのへんの草食って泥水でも飲んでいたところで死にはしないし、ヴェスだって必要なら魔獣の十匹でも二十匹でも自力で狩って食うだろう。

 実験体時代にご覧の通り、俺たちは多少ドン引きするほど残念な扱いを受けても、変なプライド出さなきゃしばらくは何とかなる。マナを正常に吸収できる環境であればなおのことだ。


 反面、柔く脆い人間の赤ん坊の生命維持に欠かせないものは多い。

 タリタにも協力してもらってリストアップした赤ん坊と旅をするにあたって必要そうな品々を、時に媚びを売って値切り、時に同情を買って値切り、時にフードの下のSSR顔面をチラ見せしてオマケをもらいつつ値切り、買い出しはそれはもう順調に進んだ。


「ヤァヤァ美少年! その後の調子はどうかナ?」


 …………進んでいた。今この瞬間までは。


「あの村で会ったときはまだちょ~っと動きがぎこちなかったけど、もうすっかり元気そうだネェ。結構結構! ところで『シュパパンくんのすべて』読んだ? 面白かった? 感想ほしいナァ!」


 聞こえなかったふりをして通り過ぎようかと思ったが、軽快に響き渡る明らかに特定個人を指した呼びかけに、俺はさもたった今気づきましたよという顔で足を止めて振り返った。


「あれ? ラァラさんじゃないですか! お久しぶりです」


「ひさひさー」


 様々な屋台が立ち並んだ通りの途中、屋台の隙間とでも言うべき狭く日陰になったその場所で、地べたに敷いた薄っぺらい布の上に腰を下ろした猫獣人は、俺に向かってひらりと手を振った。


「こんなところで何をしているんですか?」


「ナァにって、見れば分かるでしょ。お店やさんだよ」


「……店?」


 言われて改めて現状を見直すが、ここにあるのは敷き布とララワグ、ただそれだけである。

 商品と呼べそうなものは影も形もなく、春を売る……とかそういう雰囲気でもない。

 俺の疑問を見て取ったらしいララワグは、ふんすと自慢げに息をついて胸を張った。


「今日売ってるのはララワグの知識! カラクリの疑問になんでもお答えしちゃうよ~。美少年は何か聞きたいことはないかナ?」


「知識、ですか」


 ララワグに渡された銃の解説書は見事なものだった。あれほどの知識を備えているというなら、確かに商品としても成立し得るだろう。

 となれば銃の使い方のコツなどについて、もっと詳しい説明を聞きたい気持ちがないでもないが。


「大変興味深いのですがその貴重な知識の代わりに差し出せるものを持ち合わせていなくて。それでは僕は先を急ぎますので、この辺で」


「まぁまぁまぁ! お金はいらないよ! 今回は美少年の知ってるコトと物々交換……知識知識ちしちし交換ってことでいいからさ」


「申し訳ありませんが僕は学がないものでラァラさんに満足していただけるような知識なんて何も」


「ほんのちょっとしたことでいいんだよぉ。たとえば、」


 右目のモノクルを煌めかせて身を乗り出したララワグが、魔法の杖でも振るように人差し指を揺らめかせた後、ぴっと俺を指さした。

 いや、正確には俺の肩越しに、深く被ったローブの奥を指し示すように。


「その赤ちゃんのお名前なぁに? とかさ」


 予想外の方向から飛んできた言葉に、一瞬思考が停止する。

 それは別に赤ん坊の存在を言い当てられたからなどではない。第一火薬の臭いすら嗅ぎ分ける鼻があるなら、赤ん坊の匂いくらいは当然気づくはずだ。

 というか嗅覚抜きにしても前回会ったとき赤ん坊は普通に声を上げていたから存在には気づいたはずだし、俺と赤子がセットで行動していると大体見当がつくだろう。驚くことではない。


 だから俺が動揺した原因はただひとつ。


 そう。

 赤ん坊に、未だ名前をつけていないからだ。


 タリタにせっつかれたにも関わらず夏休みの宿題のごとく決断を先延ばしにしていたことを、俺は今初めて後悔した。やはり宿題は早く終わらせるべきだったと悔いるのはいつだって最終日である。

 この状況下で、自分が連れ歩いている赤ん坊の名前を「わかりません」はさすがにまずい。訳ありで済ませられるラインじゃない。


 ただでさえ“訳あり”と“不審者”は紙一重なのだ。その辺のさじ加減には細心の注意を払う必要がある。


 そもそも赤ん坊に名前があったとしてララワグに教える義理はないわけだが、ここで拒否するよりはさらっと教えてしまうほうが会話の流れとしても外聞としても不都合がないだろう。

 それと、なんとなくだが、この猫獣人相手にはあまり隙を見せたくない気がする。変に突っ込まれて話を広げたくない。


 つまりあと一秒以内でどうにか赤子の名前をひねり出せ俺。


 灰色のエルフ脳細胞が一気に回転数を上げる。

 考えろ。思いつけ。それなりに無難で、この世界においても違和感のなさそうな、名前を……。


 “ 昔から子供に人気のある 定番の── ”


「────アルテア」


 瞬間、口をついて零れた音は、まるでパズルのピースのようにぱちりと己の中にはまった。


「この子の名前は、アルテアです」


 先ほどまでの内心の動揺など欠片も伺わせないように言い切った俺をまじまじと見つめ、ララワグは愉快そうに目を細めて笑った。


「へぇ~! あのアルテア冒険記の主人公と同じ名前なんだ」


「はい。この子も彼みたいに、勇敢に育ってくれると嬉しいんですけど」


「英雄にあやかった立派な名前ってことだネェ! いいネいいネェ、良い名前だナァ」


「ふふ、ラァラさんのお名前もとっても素敵ですよ。ララワグ、って良い響きですよね」


 このまま雑談で煙に巻こうと何気なく褒め言葉を口にしたら、それを聞いたララワグの表情が突如パァッと輝いた。


「っでしょ! ララワグの名前いいでしょ!!」


 ぐんと身を乗り出して、鼻と鼻がくっつきそうなほどの距離で頬を上気させたララワグが笑う。


「ララワグのすっごくすっごく大好きで大事なヒトがつけてくれた名前なんだ! だからララワグはいっぱい自慢したくってネェ、ララワグのことララワグって言ってんの!!」


 名前も、それをつけてくれた相手のことも、特別で大切で仕方がないという感情がありありと伝わってくる彼女の様子は、客観的に見れば無邪気で微笑ましい姿なのだろう。


 けれど。

 至近距離でその目の奥をのぞき込んだ俺の“主観”が、びりびりと警戒警報を発している気がした。


 あの施設にいたとき、俺たちの実験をする研究者の中にも色々なやつがいた。

 淡々と無反応で仕事をこなす者、希少な実験動物をいじり回すのが楽しくて仕方がない様子のいかにもマッドサイエンティストといった風情の者、どこか同情的な目でこちらを見る者──このタイプは大抵すぐに姿を見なくなったが。


 そして最後に、エルフという生き物に並々ならぬ熱意をそそぐ者。


 熱意と言えば聞こえがいいが、ようは執着だ。

 やつらは興味と好奇ゆえに手に取った虫をバラバラにして“知ろう”とする子供のような残酷さを、成熟しきった大人の脳みそに備えていた。


 何が言いたいのかというと。

 その手の研究者が対象に向けるものと似た寒気の走るような熱狂の色が、その大切な人とやらについて口にするララワグの瞳の奥にはあった。


 客観的な事実は何ひとつ伴わない。そこに根拠と呼べるようなものはない。

 けれど俺の主観が、外聞だのなんだのより即時この場を離脱するべきだと判断してララワグから距離を取ろうとしたそのとき、通りの先から何やらどよめきが聞こえてきた。反射的にそちらへ顔を向ける。


「何か、様子が……」


 おかしい。俺がそう言葉を続けるよりも先に、異変は目に見えて現れた。

 通行人が揃いも揃って必死の形相でこちらへ走ってくる。いや、逃げてくるのだ。


 大きな角の生えた、体高たいこう三メートルはあろうかという巨大な牛から。


 魔獣だ、逃げろ、という声や逃げまどう人々の悲鳴が周囲に響き渡った。

 その巨大さゆえにすでに姿は視認出来るが、俺のいる場所からはまだ少し距離がある。今のうちに横道にでも逃げればおそらく何とかなるだろう。


 そう思い走り出そうとした足に、何かがガッチリと絡んだ。

 視線を下げれば、上目遣いで金色の瞳をうるうるとさせたララワグが俺にしがみついていた。


「ばっ、な、何してるんですか!?」


「腰が抜けちゃってララワグ立てないよぉ~たすけてぇ~」


「はあ!!?」


 肩を掴んで引きはがそうとするが、どれだけ渾身の力で巻き付いているんだかちっとも外れないし、華奢な美少年エルフの体ではこのまま引きずっていくも颯爽と抱き上げて逃げるも難しい。

 徐々に迫ってくる喧噪に焦りつつ、どうする、と自問した。


 仮に俺だけならあの牛魔獣にね飛ばされたとしても、ワンチャン即死さえしなければ自動回復で助かる可能性は高いだろう。

 しかし赤ん坊──アルテアが一緒ではまずい。この小さな生き物はどう考えても死ぬ。


 ララワグが離れる気配はない。この場からも動けない。魔獣は着々と近づいてくる。


「……ああ、もう!」


 俺はやけくそ気味に声を上げて、ローブの下に隠された腰元のベルトから銃を引き抜く。

 そして腿につけたポーチから小さな紙の包みをひとつ取り出し、ねじり包まれたそれを歯で噛みきって開けば、中からは一発分の銃弾と火薬が現れた。


 旅立ちに向けて何度も練習した動きを頭の中に思い描き、無心でトレースする。


 紙の中にある火薬のうち少量を側面にある小さな火皿へと注ぎ、そこから繋がっている火花を起こすための当たり金を兼ねたL字の火蓋を、火薬を固定するように下ろした。

 そして残りの火薬は全て銃身へと流し込み、包むのに使用していた紙を間に、その上から銃弾を詰め、銃の下部に備え付けられている細い棒を引っ張り出し、それを使ってさらに弾と紙と火薬を深く押し込む。


 リボルバーであっても一発分なら数秒で終わるであろう発砲までの下準備に、たっぷり数十秒はかかるのが、このフリントロックという銃だ。

 それでもプロの使い手ならもっと手早くやれるのかもしれないが、ここにいるのはつい最近独学で銃を扱い始めたばかりの俺でしかない。焦りでもつれそうな指先を必死に動かす。


「えーん死ぬぅ~! ララワグこのまま美少年と心中しちゃうんだぁ~!」


「気が散るから黙っててもらえますかねぇ!!」


 しかし牛魔獣とそれなりに距離があったこと、やつの歩みがあまり早くなかったことが不幸中の幸いであった。

 自分達が三人まとめて牛に轢かれて地獄参りする前にどうにか準備を終え、ようやく俺が銃を構えたときには、周囲にはすっかり人気ひとけがなくなっていた。みんな逃げたらしい。そりゃそうだ、俺だってララワグとかいう重石がついてなきゃ是非そうしたい。


「ブモォオオオッ!!!!」


 進行方向にあるものを手当たり次第なぎ倒しながら進んでいた牛魔獣は、道ばたに立ち尽くすこちらの存在に気づいたのか、一度大きく雄叫びを上げたかと思うと今までの牛歩が嘘のような勢いで突進してきた。

 やはり俺は魔獣からマナの塊ことエルフだと認識されていないらしい。クソ雑魚極まれり。


 チャンスは一度。再装填の猶予はない。一発で確実にしとめなければ終わる。

 であれば限界まで引きつけて、命中率と威力を最大限に高めなければ。


 残り数メートル。

 体感ではもはや目と鼻の先にいる気がするほどの距離まで近づいたところで俺は撃鉄を起こし、引き金を引いた。


 勢いよく打ち金に当たった火打石フリントが小さな火花を生み、その反動で跳ね上がった火蓋の下にある火薬に引火して、シュウッと短い音を立てる。


 そして。


 ……そして。


 それだけだった。


 ざっと頭のてっぺんから血の気が引く。


(不発!!)


 小さな火花に着火を頼る仕様上、この銃は不発に終わるときも多い。

 着火そのものが失敗するか、はたまた火皿の火薬だけが燃焼して、それが銃身に詰めた火薬に伝わらないで終わるか。

 不発のときは大体そんな感じだ。練習のときにも何度かあったことで、さほどめずらしい自体ではない、が。


 よりにもよってこんなときに!


 舌打ちする暇さえない。ああくそ、いっそ多少怪我させるのを覚悟で赤ん坊だけでも安全圏に放り投げてしまえばよかった。

 いやララワグを殴ってでも千切ってでも引きはがして、とっとと逃げておけば。

 無数の“ああしておけば”が脳裏に溢れる。だが当然のように後悔は先に立たない。そんなことはいやと言うほど知っている。


 なら考えろ。ぎりぎりまで。限界まで。この状況で。俺の手札で出来ることを。

 こちとらそうやってあの実験体生活を生き抜いてきたのだ。


 要するに銃身内部の火薬に着火すればいい。ならそこに火があればいいだけだ。

 そしておあつらえ向きに、ここには自然魔法の代名詞とも呼ばれるエルフがいる!


 しかし重ねて言うが俺は魔法が下手くそだ。

 体の傍から離すとすぐにマナが散れてしまって、それ単体では攻撃として全く成り立たなくなる。とてもじゃないがあの牛魔獣の撃退になんて使える代物じゃない。


 けれどありがたいことに、そんな下手くそな火魔法が起こすほんの小さな小さな火花の力でも十全の威力を発揮してくれるのが、この“最先端武器”だ。


 魔獣には猫被りも媚び売りも通用しない。

 そんなことは承知の上で、しかし俺は、銃に勝るとも劣らない己の最大の武器を振りかぶるような気持ちで渾身の笑みを浮かべてみせる。


 そして。


「バン」


 火花が、爆ぜた。

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