熊から金環


 それからも俺たちは幾度か人里に出て、社会勉強がてら仕事の手伝いをこなした。

 魔獣の一件で腕っ節の強さを買われたヴェスは主にムシダのもとで自警団としての仕事を、ツラと人当たりの良さを買われた俺は主にタリタのもとで商売の手伝いを。

 まぁ社会勉強が必要だったのは俺だけなので付き合わされたヴェスは完全にとばっちりだが、まるきり徒労だったというわけでもない。


 なんと働きに応じて、俺たちにも給料が支給されたのだ。

 さすがに最初のときのように売り上げ丸ごと取り分、とはいかないが、日給+貢献すればしただけのボーナスがつくので非常にやりがいがあった。


「お金なんて基本的にはどれだけあってもいいですからね。使ってよし貯めてよし、いざってとき命の代わりに差し出して身を守るもよし、とっさにバラまいて逃げる隙を稼ぐもよし」


 と生粋のエルフなら死んでも口にしないであろう発言とともにサムズアップした俺をヴェスはなんともいえない表情で見たが、最終的に突っ込むだけ無駄と思ったのか「そうだな」と淡々と頷いてみせた。慣れと諦めは紙一重である。


 しかし金銭的な払い戻しはいっさい無しという契約だったのに給料まで出してくれていいのかと一応タリタに確認したところ、あれは髪の対価についての話で、これは労働の対価なのでまた別とのことだった。

 社会勉強がしたいという俺の要望に応えた結果なのだから髪の対価の一環でいいのでは、とも思ったがくれるというならありがたく貰っておこう。繰り返すが金はあるに越したことはない。


 そんなこんなで旅の資金を貯めつつこの世界で生きていくための知識を蓄え、ときどき銃の練習もこなして、平和ながらも目まぐるしい日々を過ごし……とうとうその日は訪れた。



 タリタ・ムシダ邸の広間にて。

 机を挟んで向かい合う形でソファに腰を下ろした俺と、タリタとムシダ。座らず後ろに立つヴェス。俺の膝の上で眠る赤ん坊。

 いつぞやとほとんど同じ光景の中、あのときと大きく違うのは俺たちの健康状態である。


「どうだい? 怪我の具合は」


「おかげさまで万全です」


 それをあえて口頭で確認し合い、タリタは満足げに口の端を上げた。


「じゃ、これにて契約は満了。あたしらの仕事は終わりだ。またどうぞご贔屓に、ってね」


「ふふ。髪が元の長さになるには数百年かかると思いますけど、予約しておきます?」


 エルフの体の中で髪が特にマナの溜まりやすい部位だからなのか知らんが、エルフの髪は伸びるのにめちゃくちゃ時間がかかる。

 成長の早い幼児期のうちは伸びやすいが、以降は十年に一センチとかそういうレベルだ。自動回復の範囲外だし。

 もし商品として扱おうと思うと髪はかなり気の長い品になるので、たぶん生かさず殺さず血でも抜いたほうが収穫効率が良いに違いない。あえて提案はしないが。


「そりゃあいい、今のうちに独占契約でも結んどこうかね。あたしの子孫にでも受け取らせるさ」


 とはいえ商人であるタリタなら俺が言わずともそのくらいの儲け方は十も百もとっくに思い至っているだろうが、彼女はあくまで髪の話におさめて笑い飛ばした。

 “長いもの”にもピンからキリまであるが、本当に当たりを引いたもんだとその反応を見て思う。


 出来ればこのままぐるんぐるんに巻かれて平和に暮らしたいところだが、俺たちの事情を考えるとそうもいかない。

 名残惜しいが旅立ちの時である。


「本当にお世話になりました」


 もう一度お礼を告げて席を立とうとしたところで、タリタがスッと俺に手を向けて制止した。


「商人と顧客の契約はさっきので終了。で、ここからは商人の街の顔役……つまりは、商人ギルドのギルド長タリタとして話をしようじゃないか」


 ギルド長、と聞いて俺は思わず目を丸くする。


「……え、ギルド長って、名前からしてギルドで一番偉い人ですよね。タリタさん、商人で自警団員で街の顔役で、さらにギルド長だったんですか? 忙しすぎません?」


「ははっ、そう大したもんでもないさ。そもそも商人の街ってのは、商人ギルドの本拠地としての意味合いが強いからね。“街の顔役”はそのままギルド長を兼ねているんだよ。いや、ギルド長が街の顔役になる、と言ったほうが分かりやすいか」


 それにしたってトップが前線に出すぎだろと思うが、今まで見てきたタリタの性分を思えば、まぁ一番高いところから自分は動かずあれこれ指示するだけってタイプではないよなと納得する。

 さてそんなギルド長直々の“お話”とは何事かと気を引き締めていると、タリタがムシダに何かを指示するように顎をしゃくった。


「……これを」


 それにひとつ頷いたムシダが差し出してきた何かを、ひとまずおとなしく受け取る。


 大きな熊の手からころりと出てきたせいで必要以上に小さく見えたそれは、金の指輪だった。

 宝石などの装飾はついておらず、滑らかな表面をした細身でシンプルなものだ。


「この指輪は?」


「うちのギルド証さ」


「ギルド証……?」


 事態が飲み込めずにおうむ返ししか出来ない。

 名称からして大体の想像はつくがチェスもどきみたいに変な異世界ルールがないとも限らないので、念のため“ギルド証とはなんぞや”というところから尋ねると、タリタも俺にこの世界での一般常識が備わっていないことは重々承知しているためか初歩の初歩からさらっと説明してくれた。


 ギルド証。

 それは各ギルドに所属しているギルド員の証、とほとんどは俺が想像したとおりの代物だったが、その製造方法は見事な異世界仕様であった。


「髪や爪といった本人の体の一部と魔石を素材として、ドワーフが特殊な加工を施している。これでも立派な魔法道具のひとつだよ」


 そうして出来上がったギルド証を身につけた状態で各ギルドなどにある別の魔法道具に触れると、つけている者が本人かどうか……つまり正式なギルド員かどうかが分かるそうだ。本人確認書類付き身分証みたいなもんか。


「で、これがあんたのギルド証ってわけだ」


「僕の」


「素材となる体の一部についてはこっちで勝手に提供させてもらったよ。なにせ“在庫”はたっぷりあるからね」


 なるほど、対価として提供した髪を流用したのか。

 エルフの髪はそれそのものに含まれるマナが多すぎて、逆に魔石と加工しづらいとドワーフが愚痴っていたとタリタはからからと笑った。

 なおドワーフ達はとにかく職人気質で口が堅いから、そこから俺の情報が漏れる心配はしなくても大丈夫だろう、とも。


「でも僕は商人じゃないのに、これを受け取っていいんでしょうか」


「おや、気づいてなかったのかい? あんたらが一番最初に自警団の連中と村に行ったとき、店をひとつ任されたろ。それについて後でどう説明された?」


「どう……ええと、あれは商人ギルドの通過儀礼で、見習い商人の洗礼、と……」


 そこまで口にして、はたと思い至る。

 その反応で俺が気づいたことに気づいたらしいタリタが、やり手の商人の顔でにやりと笑みを深めた。


「あれは正真正銘、見習いの試験だったってことだよ。それ以降、あんたがあたしの手伝いとしてやってきた他の仕事もね。まだまだ経験不足で詰めの甘いとこはあるが、まぁ及第点ってことにしとこうか」


「なぜ、僕を商人ギルドに?」


「路銀を稼ぐのにどうすればいいかって相談してきたのはあんただろう? 色々と手段はあるが、一番手っ取り早いのは自分が“売る側”に回ることだよ」


 この商人ギルドのギルド証があれば、様々な村や街で合法的に商売をすることが出来るらしい。必要な手続きも最小限になるとか。

 もちろんギルド証がなくてもモノを売ること自体は可能だが、場所代を高くふっかけられたり、そもそも場所が取れなかったり、街によっては認可のない店は摘発されたり、何かと面倒が多いようだ。


「商人ギルドの者がやってる店、ってだけで客からの信用も段違いだ。とはいえ得られるものが多い分、ギルドに入るには一定以上の才能と努力が要るんだけどね」


「それに……入った後に、守るべき規律も多い。全体の信用に関わるからな。下手に決まりを破って商人達の怒りを買えばあっという間に情報が回って、この大陸のまともな店では買い物ひとつ出来なくなるぞ。気をつけろよ」


 商人の情報網おっかねぇな。


 しかし確かに俺たちの訳ありな素性を考えると、行く先々で下手に雇ってもらおうと考えるよりは自営業のほうが何かと融通が利く。悪くない手段かもしれない。

 もちろんそれは、俺が商人としてちゃんとやっていければ、の話ではあるが。


 そんな懸念を見抜いたかのようにタリタが小さく笑う。


「あたしが同情だけであれこれ恵んでやる善人に見えるかい? 心配しなくても、これは他の奴らと同じ基準で商人としての実力をきっちり評価した結果さ。コルならやっていけると判断したから、こいつをくれてやるんだよ」


「……ふふ、あまり自信はありませんが、タリタさんにそう言ってもらえると……」


「あんたは場の流れをよく見ていて、相手の顔色を伺うのが上手くて、損得の勘定が早い。なかなかに商人向きのおつむだと思うね」


「…………」


 俺は別に、飛び抜けて演技力が高いとか、話術が巧みなわけではない。

 プライドがゼロであるがゆえに、普通のやつなら社交辞令だとしても躊躇うような媚びへつらいも無様な命乞いも、それこそ躊躇ゼロでこなせる瞬発力があるというだけで、あとはほとんどエルフのツラの良さでごり押している。

 だからこうして、ちゃんとした洞察力のある相手にはしっかりと本性を見抜かれるわけだ。


 そもそも出会い頭からして同情を買うための猫かぶりが通用しなさそうだったからこそ、ああして“交渉”に切り替えたわけであるし、以降もやりすぎてはかえって悪印象になるかとタリタ相手には猫を控えめにしていた。

 そりゃばれているに決まってる。さほどの驚きもなくタリタからの評価を受け止め、ひとつ息を吐いて笑みを返す。


「……では、ありがたく有効活用させていただきますね」


「そうしな。ちなみにだが、ダークエルフの兄さんの分はないよ」


 余談、というかささやかな疑問なのだが、タリタもムシダも、なんなら他の自警団の皆も、俺の名前は呼んでもヴェスの名前を呼んだところは聞いた事がない。

 ヴェスからの敵意が強くて気安く呼びづらいというのはあるかもしれないが、タリタなどはそのくらいで怯みそうにないのに不思議だ。


 だがなんとなく聞くタイミングを逃して今日に至り、現在もまた会話の流れを途切れさせてまで聞くほどでもないよなと、ぶっちゃけそこまで真剣に追求したいわけでもないのでいつも解明に至らない次第である。閑話休題。


「ヴェスは愛想がゼロすぎて不採用ってことですか?」


「それ言ったらうちの旦那も大概だけどね」


「タリタ」


 隣のムシダから気まずげに名を呼ばれたタリタは小さく肩をすくめて、「本人の気質以前の問題さ」と話題を引き戻す。


「ギルドの掛け持ちは基本的に許されてないからね。そっちの兄さん、もう傭兵ギルドに入ってるんだろ?」


 臨時での仕事の手伝い程度ならともかく、商人ギルドに加入までさせるわけにはいかない、と告げるタリタに、俺は目を瞬かせる。


「ヴェスが傭兵ギルドにいたこと、知ってたんですか?」


「見てくれが以前の情報とはだいぶ違ったんで、最初は名前が同じなだけかとも思ったけどね。普段の立ち居振る舞いやら、魔獣との大立ち回りの件やらを聞けばさすがに察しはつくよ。その兄さんは特に有名だったしねぇ。それが一時期を境にとんと話を聞かなくなって……ああ、いや、話題がそれたね」


 何おまえ有名人なの?と思わずヴェスを振り返りかけたがどうにか耐える。


 雑談はよくするが俺もヴェスもわざわざ面白くもない自分の身の上話などしないため、牢屋で会う以前のことについては会話の流れで時々零す程度の情報交換しかしておらず、互いに知らないことも多い。

 牢屋時代に俺の一人ラジオの強制リスナーであった分、おそらくヴェスのほうが俺に関しての情報がいくらか多いかもしれない、ぐらいのもんだ。


 だが繊細で潔癖な若人じゃあるまいし、お互いの過去を余すことなく把握していなければ本当の仲間とは呼べない!!なんて青臭いことを言うつもりは欠片もないし、俺も言われても困る。

 もちろん何か具体的なメリットが発生するのであれば一の悲劇を十まで盛って相手の同情をこれでもかと買えるよう臨場感たっぷりに語り明かすだろうが、すでに俺の本性が割れているヴェス相手にそれをやろうとは思わない。

 機会があれば後で聞いてみようと思うけれど、名前の件と同じくタイミングを逃して聞きそびれそうな予感がひしひしとする。閑話休題(二回目)。


「とにかく、これであんたも“同業者”ってわけだ。まぁなんかあったらあたしに声かけな、特別料金で引き受けるからさ」


 その特別料金ってお得なお値段じゃなくて特別お高い値段って意味なんだろうなと思いつつ、俺は金の指輪を左手の中指にはめた。

 それを見届けてひとつ頷いたタリタのほうから差し出された手を握り、軽い握手を交わす。


「今後ともよろしく、コル」


「……こちらこそ、よろしくお願いします。タリタさん」


 いつぞやの契約の日をなぞるように、しかし文言は少し変えて。

 抜け目のない笑みを浮かべたタリタに、俺はあの日と同じ言葉を返した。




「ちなみにギルド証の初回作成料はギルドが受け持つが、失くしたり壊したりしたら自腹で作り直すことになるから気をつけな。製造法が製造法だからね、かなり値が張るよ」


「気をつけます。本当に。大切にします」


 このあと小一時間、めちゃくちゃギルドのルール教わった。

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