無い情は注げない


 辺り一帯に響き渡るほどの破裂音からの静寂に、きんと耳鳴りがする。

 数秒ほど遅れて、タップダンスでもしているみたいにたかたかと弾む自分の鼓動と、乱れた呼吸の音を認識した。


 そんな俺の目の前には、力なく倒れ伏す体高五メートルの牛魔獣。

 その目は堅く閉じ、額からは血が流れている。


「や~~~お見事っ!!」


 安堵の息を吐きかけた俺の腰元からそんな軽快な声が聞こえてくる。

 見下ろせば金色の瞳を輝かせたララワグが、俺の手にある銃を穴があきそうなほど熱く見つめていた。


「ネェネェ! 最初のは不発だったよネェ! コレさぁ~こまめにニワトリちゃんとパッチンくんのとこ仲良しにしとかないとなりやすいから気をつけてあげてほしいんだけど、まぁそういうのメンドくさいよネェ! わかるわかる!!」


 興奮した様子でまくし立てるララワグには口を挟む隙もない。

 とりあえず文字通り目前まで迫っていた危機は去ったわけだし俺もこの場を去りたいのだが、いまだに胴体にはがっちりと腕が巻き付いて動けないため、仕方なくララワグの言葉に思考を巡らせる。


 ニワトリちゃんとパッチンくん……は、たぶん冊子に書いてあった図解からして火打石フリントとそれが当たる打ち金部分のことだろう。確かにそこを定期的に調整しないと不発を起こしやすくなるというような記述はあった。

 だから一定間隔ではちゃんと整備していたつもりだが、どうやら思った以上にバランスを崩しやすいものらしい。


「てかそんなんどうでもよくて! その後だよ! すごかったネェ! あれ何? 魔法? 魔法で火つけたの? あの土壇場で? やっばいネェ! 下手したら暴発……ってか爆発だよ爆発! 器用なコトするナァ!!」


「はあ」


 あれに関しては本当にやけくそというか、やらざるを得ないからやったら出来た、というだけの話でしかないが、考えてみればもっと早くこのやり方に気づいていればここまで心臓に悪い事態には陥らなかったのだ。

 自前の火花で銃が打てるならそれに越したことはない。火皿に置く分の火薬が節約できるし、いちいち火打石の調整もやらなくて済む。

 まぁ諸々の都合で人前では使えないこともあるだろうが、何にせよ選択肢は多いほうがいい。


 こんな単純なことを今さっきの瀬戸際まで思いつかなかったのは、おそらく俺の中にある“銃とはこういうもの”という前世からの先入観ゆえだろう。

 引き金を引かずに銃を撃とうなんて考えもしなかった。


 そして暴発についての心配はあまりしていない。なぜなら俺の火魔法にそこまでの威力はないからだ。

 いや、俺だって本気でやれば火の玉くらいは出せるが、逆を言うと本気でやっても火の玉程度しか出せないエルフが、今まさに銃を撃とうという状況で暴発させるほど高火力の炎をとっさにひねり出せるわけがない。


 そもそも自然魔法の中でも、火魔法は特に扱いが難しいのだ。

 収束させたマナが燃やす端からがんがん飛び散るのでもう使うのが面倒で面倒で……閑話休題。


「いや~ほんとイイモノ見せてもらっちゃったナ! お礼にさっきの情報のお返しは弾んであげるネェ」


 一瞬何の話かと首を傾げかけて、ああと思い出す。

 知識交換と言われて俺からはアルテアの名前を教えたが、対価となるララワグの知識とやらはまだ渡されていないんだった。この騒ぎですっかり忘れていた。


「むふふ、すっごいお得な耳寄り情報だよぉ」


「それはそれは」


 正直まるで期待はしていない。

 銃についての知識は事実すごいのだろうが、今に至るまでに下降しきったララワグという人物への信用のなさが、期待値をゼロまで下げていた。

 というかそろそろ逃げた人々が戻ってきそうだから注目を浴びる前に本当に、いい加減に、早くずらかりたい。


「あんねぇ、」


 胴体に回っていたララワグの腕が、手が、つうっと背中を伝った。

 密着した体は俺よりもずっと熱くて、獣人の大半は他種族よりも体温が高めなのだと、ふいに触れた指先の熱さに驚いた俺にタリタが語ったことを思い出す。


 そのまま立ち上がったララワグは鼻がつきそうなほど顔を寄せて、真っ直ぐに俺の目をのぞき込む。

 よってこちらの視界に映るのも、ララワグの金の瞳ばかりとなった。


「大型の獣はさ、ホネとか色々すんごく丈夫なんだ。ましてや魔獣ときたらネェ。だから頭を狙うなら額じゃなくて、目とか口の中にしたほうがいい」


 そしてすり寄るようにローブ越しの俺の耳元へ顔を寄せたララワグが、ささやく。


「じゃないと、仕留しとめ損ねちゃうよ?」


「は、」


 ララワグの体がするりと俺から離れ、同時に視界が開ける。

 そこで目に映ったのは、額から血を流しながらも四つの足でしっかりと地に足を着けて立つ、牛魔獣の姿。


 血走った目をこちらに向けて息を荒らげる魔獣が、筋肉質な足を俺の頭上に振り上げる。

 距離が近すぎる。何をするにも間に合わない。残されているのは一呼吸ほどの時間だけだ。


 ああ。

 詰んだ。


 せめて訪れる痛みに備えようと目を伏せかけた瞬間。

 バン、と何かがぶち当たったような鈍い音を立てて、弾け飛んだ。


 魔獣の頭が。


 吹き出した血が雨のごとく全身へ降り注ぐ。

 頭部を失った巨体は地面へ盛大に横倒しになり、その横に、何かがひらりと着地した。


「──私は、油断するなと言ったはずだが」


 そう言って渋い顔でこちらを見据えるのは、両腕に大量の荷物を抱えた隻眼のダークエルフ。その右足は返り血で塗れている。魔獣は頭をなくしている。

 目前で起きたことの原因と結果を遅ればせながら認識した俺は、詰めていた息を深々と吐き出して肩の力を抜いた。


「最……っ高のタイミングで来るじゃないですか。めちゃくちゃ助かりましたけど、もしかして格好良く登場しようとかどっかで見計らってました?」


「そんなわけがあるか」


 聞けば、俺がなかなか集合場所に現れないから探しに来たらしい。

 魔獣騒ぎ自体は認識していたが、人間を助ける義理もないからと今の今までスルーしていたそうな。なんとも歪みない人嫌いである。


「おまえのことだから早々に逃げおおせているだろうと、騒ぎから遠い場所を中心に探していたのにこのざまだ。何をしている」


「いえ、本来ならご想像通り巻き込まれる前に逃げている予定だったんですけど。ちょっとした事故っていうか人災っていうか……この人が、」


 諸悪の根元と呼んでも過言ではない猫獣人へ、話の矛先をずらそうと振り返る。


 しかしそこにはもう、何者の姿もなかった。

 この場にいるのは俺とヴェスとアルテア、そして頭の消し飛んだ魔獣だけ。猫の毛一本残ってやしない。つまり。


 あいつ逃げやがった。


「誰かいたのか」


「……まぁ、そうですね、あとで話します。何にしても本当に助かりました、ありがとうございます。恩義貯金から引いといてください」


「恩義貯金」


 何やらもの言いたげな顔をするヴェスはさておいて、自分の出で立ちを確認する。

 魔獣の返り血を真正面から引っ被ったせいで、せっかく買い揃えた品も大半は買い直さなければならないだろう。


 変な猫に絡まれたせいで余計な出費まで発生した。

 盛大な舌打ちをどうにか胸の内に留めて、改めてヴェスに向き直った。


「人が集まる前に今度こそ逃げましょう。もう一度買い出しに行かないと」


「……報償は受け取っていかないのか。街中まちなかに出た魔獣を狩ると、大抵は金がもらえるが」


「え、じゃあ残ります。買い出し費用に充当しましょう」


 即刻手のひらを返した俺にヴェスが溜息を吐くが、貰えるもんは貰う派だと常々言っている俺にそんな話をすればこうなる、と知った上で話した時点で共犯である。


「でもそういう制度あると、自分でわざわざ街中に魔獣つれてきて放して倒すやつとか出ません? マッチポンプ……自作自演的な」


「その対策かは知らんが、街中での討伐で得られる報償は相場と比べるとだいぶ低い。闘う力があるなら、普通に討伐依頼を受けて外で狩ってくるほうがよほど儲かるだろう」


「なるほど」


「ぶーあうー」


 相づちのようなタイミングで背中から上がったアルテアの声を聞いて、はたとまだ伝えていなかったことを思い出す。


「そういえば赤ん坊の名前、アルテアに決まりました。なんかなりゆきで」


「そうか。どうでもいいな」


「仮に心底どうでもいいと思っていたとしても口には出さないのが処世術ですよヴェス」


 人間不信ダークエルフ的にはそう来るだろうなと予想はしていたが、あまりの切れ味の良さと圧倒的興味の無さに、アルテアもこんな俺たちみたいな庇護欲の欠片もない奴らに預けられるのではなく、もっとまともな保護者のもとにいれば蝶よ花よと大切に育てて貰えただろうにと、俺に搭載されている大さじ三杯程度の人情が僅かばかりの憐憫を覗かせた。


 しかし世の中の誰しもが“子供だから”というだけの理由で愛情を抱けるわけではない。

 そう出来るやつはそりゃ立派だとは思うが、こちとらそこに無ければ無いですねと言うほかないのだ。ないもんはない。ゼロには何をかけてもゼロである。

 ヴェスのほうも人嫌いになった経緯が経緯なだけに是正しろとも言い難い。


 よって俺たちには無理だけれど、この赤ん坊もさすがにもう少しくらい誰かに心から祝福されることがあってもいいのではないかと、やはり大さじ三杯の人情でほんの少しだけ思ったので。


「あんたら大人しく旅立つことも出来ないのかい?」


「こちらとしても不可抗力と申しますか……ところで突然なんですけど、赤ん坊の名前決まりました」


 少しして駆けつけた自警団員たちの中にいたタリタの呆れた視線から逃れるついでに、そんな、しなくてもいい報告をした。


「お、やっとだね。じゃあ改めて聞くけど、その子の名前はなんて?」


「アルテアです」


「……アルテア?」


「はい」


「…………赤ん坊は女の子だろう?」


「そうですね」


 絵本の英雄アルテアは男である。つまりこの世界において“アルテア”とは、基本的に男の名前なのだ。

 俺のやったことを前世風に言えば、女の子に桃太郎とでも名付けたような事態になるのだろう。

 でもあのときとっさに出たのがその名前で、なんだかしっくり来てしまったのだからもう仕方がない。改めて考えるのも面倒臭いし。


「……ま、名前をつけてやれって言ったのはあたしだからね。それであんたが決めたなら、これ以上ごちゃごちゃ言う筋合いはないか」


 タリタはそう呟くと、ふと柔らかい笑みを浮かべて俺を……俺たちを見た。


「それに名前なんてのは結局のところ記号さ。大事なのは誰が、どういう感情を込めて呼ぶかだよ」


 そして、あんた良い名前をもらったね、よかったね、と俺のフードを少しめくって中をのぞき込み、アルテアと目を合わせながら告げるタリタの声は、俺などとは比較にもならないほど温かいものに満ちている。

 確かにこういう声で呼んで貰えるのなら、たとえそれが数字の羅列であったとしても何も関係ないような気がした。


 なら逆を言えば、例えどれだけ名前が良かろうとこんな柔らかな音を込めることの出来ない俺に名を呼ばれるこの子供は、やはり不憫でしかないのかもしれない。

 けれどどうしようもない。先程も述べたようにゼロはゼロだ。無い袖は振れない。


「ちなみにタリタさん、命名祝いとして報奨金ちょっと弾んでくれませんか? ご覧の通りせっかく揃えた赤ん坊のための品々が台無しになってしまって、買い直さないとなぁって」


「子供をダシにすりゃあたしが折れると思ってないかい?」


「え、ダメなんですか?」


「あーうー、あうあー!」


「ほらほら、アルテアもお願いしてますよ」


「………………くぅ」


 だから、まぁ、逆立ちしてもひねり出せない愛情の代わりというわけでもないが。

 期限も知れない役目が終わるまで、せめてこの子供がすくすく育つための費用くらいは、前向きに捻出してやろうじゃないかと思うのだ。

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