金はいずこで回るもの


 この世界の金回りについて、初歩の初歩の初歩から教えてくれと頼んだ俺へ、ヴェスが溜息混じりに、しかし懇切丁寧に教えてくれたところによると。


 主に使われているのは、三種類。

 銅貨。日常生活で使うのはほとんどこれ。一般市民にとっては一番なじみ深く、使用頻度が高い。

 銀貨。大きめの家具や質の良い装飾品など、“ちょっと良いもの”を奮発して買うようなときに使うのがこれ。

 金貨。家や土地、宝石類などなど、いわゆる“本当にお高いもの”を買うときに払うのがこれ。


 千円分の代金を百円玉十枚で支払うように、銀貨一枚分の銅貨を支払う、ということも制度上はもちろん可能ではあるが、支払いの枚数が多くなると店側にめちゃくちゃ嫌そうな顔をされたり、なんなら断られることも多いため、提示された種類・枚数の硬貨を支払うことが基本であるという。


 じゃあ逆に銀貨しか持ってないときに銅貨の値が付いた品が欲しいときなどはどうするのかと聞けば、上のランクの硬貨で払うこと自体は出来るが、その場合に発生する差額分はお釣りとして戻されるのではなく、チップ扱いで店側の儲けになるらしい。つまり指定の硬貨をぴったり払うのが一番お得ということである。

 どうりで自警団のみんなが釣り銭の用意とかしている様子がなかったわけだ。この世界、お釣り文化があまり無い。


 そう思うと、もし契約を打ち切る場合には必要経費を抜いた釣りをくれる、と言ったタリタはだいぶ良心的な取り引きを持ちかけてくれていたのかもしれない。

 徴収される必要経費とやらが迷惑料・口止め料込みでどこまで膨れ上がる予定だったのかは置いといて。


 一応、両替する手段もいくつかあるそうだが、所属しているギルドに頼んだり、金貸しが副業でやってる両替屋で手数料払って交換したり、知り合いに頼んだりと、持ち主の立場や身分でやり方が色々なんだとか。

 どこかしらのギルド員であれば、各所属ギルドの本部や支部で手数料なしに両替が出来るので、それを目当てにギルドに入るやつもいるそうだ。


「あとは大金貨なんてものもあるが、これは国家間のやりとりや、極めて規模の大きな商家における大口の取り引きなどの際に用いられる特殊な硬貨だ。日常で使用することはないから、“そういったものがある”程度の理解でいい」


「はー、なるほど」


「……ところで、店なんて本気でやるつもりか。このまま放っておけばいいだろう」


「やりますよそりゃ。僕ら今、所持金ゼロなんですから」


 たとえば俺とヴェスだけなら、無一文で放り出されても早々死にはしない。

 人里に一切寄りつかず、適当に森の中を進み、ひたすら森で生活することも可能だ。しかし。


「人間の赤ん坊を育てるには必要なものが多いし、怪我や病気をしたら医者に診せなきゃならない。どうしたって人里から長いことは離れられません。そして人里で暮らすには、とにもかくにもお金がかかるでしょう?」


 だから旅をしつつ赤ん坊の“維持費”を稼ぐ手段を、今のうちに考えておかなければとはずっと思っていた。


 資産という意味なら俺の全身まるごとお宝と言えなくもないのだが、エルフのあれそれを売るのは最後の手段だ。

 超貴重で高価なエルフの一部が一介の旅人からぽんと出てくるのは、ワケありを通り越してさすがに違和感が大きすぎるし、そもそも俺が正体を隠したままでは偽物を疑われるのが関の山だろう。かといってエルフでございと自己紹介するわけにもいかない。

 どう転ぶにしてもエルフ素材でがっぽり作戦はリスクのほうが大きいので、本当にどうしようもなくなった時だけにしておきたい。


 じゃあどうやって金を稼ぐか。

 普段からタリタにも雑談がてら相談してはいるが、話を聞いた上で最終的な判断を下すためには、まず俺自身がこの世界における社会という一般常識を知らなくては話にならない。

 エルフとして百数年ほど生きてきたが、里の外については牢屋以外の全てが初見であり、もはや異世界一年生といっても過言ではない現状、とにかく初歩の初歩の初歩からスタートするしかないのだ。


「そんな中、こちらのリスクゼロでお金を稼ぐ練習が出来る上に、売れればそのまま所持金が増えるなんて最高じゃないですか。がんばりましょう!」


「…………頑張るのはいいが、“これ”はどうやって売るつもりなんだ?」


 ヴェスがそう言って視線で示したのは店に並んだ商品たち。

 その内訳は、主に服飾品。派手すぎる服に、地味すぎる服、奇抜な柄のストールに、煮染めみたいな色の帽子などなど、売れ残りに売れ残っただけある偏ったラインナップであった。


「あともう一歩突き抜けてればいっそ芸術的だったかもしれないのに、絶妙にその一歩が足りない品々が揃ってますよね」


「私はそういったものの善し悪しはよく分からん。使えればそれでいいだろう」


「じゃあヴェスはこの中で何かひとつ貰えるとしたらどれ欲しいですか?」


「別にどれも」


「そういうことです」


 誰が見ても、ふわっとした“なんかいらない”の結論にたどり着く微妙さ。

 いらねー!と騒いでネタに出来るほど突き抜けてもなく、芸術に昇華するほど常識を振り切れてもいない。

 それが俺たちの店(仮)の商品の特徴だった。


 店の前を通る女性たちは度々ちらちらと当店へ意識を向けている様子が見られるが、その視線の先にあるのは商品ではなくヴェスである。

 エルフの精巧な硝子細工のような美しさとはまた毛色の違う、ダークエルフの野性味漂う精悍な顔つきは、ちょっと危険な男みたいなタイプに弱い女性の心を刺激するのかもしれない。

 しかし人間だらけの空間にいるせいであまり機嫌のよろしくない隻眼ダークエルフの近寄り難さが勝ってか、みんな通りすがりのチラ見のみで、イケメンついでに冷やかしに来る客も今のところ皆無である。


「どうにかして一つでも売りたいところなんですけどねぇ。参考までに聞きたいんですけど、ヴェスはどうやって生活費稼いでたんです?」


「商売になど関わったことがない。参考にはならんぞ」


「まあまあ。僕の社会勉強の一環だと思って」


「……傭兵ギルドの仕事を請け負っていた」


「え、ヴェスってギルド入ってるんですか?」


「人間は飽きもせず常にどこかで争っているから、そういったものに所属しておけば闘いの場には困らん。ついでに食い扶持も稼げて手間がないからと、人里で暮らすダークエルフの大半はその手のギルドに所属している」


 闘うのがメインで金がついでか。

 戦闘狂は戦闘狂でも手当たり次第にヒャッハーするのでなく、社会的な組織ギルドに所属して、合法的に戦場無限おかわりしようとしてるあたりがかえって怖い。理性あるバーサーカーってタチが悪い。

 エルフとは別方向にダークエルフも極まってんな。いや動機はどうあれエルフよりは遙かに人里に馴染んでると思うが。


「僕ら長いこと牢屋暮らししてたわけですけど、ヴェスは久々にギルドに顔見せとか行かなくていいんですか?」


「別にいい。前までの私は、自分が闘えるのであれば人間やつらの大儀も目的もどうでもよかった。だが今となっては、人間どもの利益になるような争いに荷担する気にはなれん。もう傭兵に戻るつもりはない」


「まぁそのへんは個人の自由なんでお任せしますけど。じゃあヴェスも今のところ、次の仕事の当てはないんですよね。そしてお金もない」


「……そうだな」


「ならとりあえずこの店の商品、がんばって売りましょうね! 二人で協力して! 一緒に!」


「そうくると思った」


 ヴェスはうんざりとした様子で顔をしかめた後、ひとつ溜息をついて、その隻眼に俺を映した。


「そもそも、お前に協力しないとは言っていないだろう。店など放っておけばいいと思うのも本心ではあるが」


「え、手伝ってくれるつもりだったんですか? 意外」


「お前……」


「すみません助かります頑張りましょう」


 いや、どうしても出会い頭の全方位敵意むき出し反抗的ダークエルフなイメージが強くて。

 というか野良犬仲間のよしみで俺への態度こそ軟化したが、他に対しては今もそんなに変わってないし。人間不信ダークエルフだし。


 何にせよ手伝ってくれる気があるということで説得の手間が省けたのはありがたい。

 そうして無事に一致団結(?)したところで、議題は元の“どうやって売るか”に戻ってくる。


 ざっと見るかぎり他の店はどこも賑わっているが、当店は相変わらずヴェスをチラ見してキャッキャしながら歩き去っていくお姉さまがいるくらいだ。

 ここで転生人らしく知識チートを披露し、ガラクタをお宝に錬成!とか出来ればよかったのだが、あいにくと俺にはそんな知識も技術も閃きもない。無いだろう普通。何の面白味もない一般人だぞ前世俺。

 今の俺が持っているのはエルフとしてのプライドの無さくらいのものであるが、“何もない”が“ある”で通用するのは田舎の観光キャッチコピーくらいのものである。


 さて、と並ぶ品々に視線を落としたそのとき。

 どこからか元気いっぱいに駆けてきた小さな女の子が、店の前でべしゃりと転んだ。


「うぇ」


「あ」


 握りしめていたらしい何枚かの銅貨が倒れた弾みでこぼれ、ころころと地面を転がっていく。

 女の子は一瞬呆然としていたが、すぐに転んだショックが心身に浸透してきたらしい。じわじわと浮かび始めた涙を見て、俺はすぐさま店の前まで回り込み、彼女の正面に膝をつく。

 放っておいてもおそらく村人の誰かがフォローしてくれるだろうが、さすがに眼前で転ばれてしまってはスルーしにくい。ならいっそ周囲の好感度を稼ぎに行くべきだと俺の勘が告げていた。


「お嬢さん、立てますか?」


「う……うう、うぇ、」


「転んでしまってびっくりしましたね。痛かったですね。もう大丈夫ですよ」


 絶え間なく声をかけて宥めながら、脇を持ってそっと抱き上げるように立たせる。

 それから服についた汚れをぽんぽんと払い落としつつ怪我がないかざっくり確認すると、うまい具合に倒れたのか膝などは無事だったが、手の側面を少し擦りむいていた。


「てって、いたいぃ……!」


 ギャン泣き五秒前みたいな顔になった女の子を見て、俺はとっさに彼女の小さな両手を、己の両手で包んだ。

 そして意識を集中しながら、なるべく柔らかい声で“おまじない”を唱える。


「いたいのいたいの、とんでいけ~」


 包んだ手の中から、淡い光が漏れたのはほんの一瞬。

 陽の光に紛れてしまう程度のそれに気づいたのは、何か言いたげな気配のあったヴェスだけであろう。

 しかしひとまずは沈黙を選ぶことにしたらしいダークエルフの前で、俺は女の子の手をぱっと解放した。


「痛いの、どこかに飛んでいきました?」


「いた……くない」


 大きな瞳を瞬かせて自分の手を見つめた女の子は、そこでようやく周囲の状況を確認するだけの余裕が出たらしい。

 はたと気づいたように、地面に膝をついた俺の目線の高さよりもさらに少し低い位置にある頭が、ゆっくりとこちらを見上げた。


 必然的にフードの中をのぞき込める高さにある女の子の目が、ぱちりと俺の顔を正面から捉える。まぁ角度的にエルフ耳は見えないはずだから平気だろう。


「“おまじない”が効いたみたいでよかったです」


 ひとまず安心させるために、にっこりと笑ってみせる。


 そんなやりとりをしている間に通りがかりの村人が数人、女の子の落としたお金を拾ってくれていたようで、俺から渡してあげてくれとそれを託して去っていった。

 別にお前らが直接渡せばいいのでは、と思いつつもお礼を言って彼らを見送り、数枚の銅貨を手に改めて彼女に向き直ると。


「……、…………っ、…………!!」


 目をキラキラさせ。

 ほっぺたを薔薇色に染めて。

 口をはくはくとさせながら俺を一心に見つめる女の子の姿が、そこにはあった。


 …………おっと?

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