第3話

「とにかく、この部屋から出るにはあの扉を通るしかない。俺が時間を稼ごう。できるだけ、だが」


 そう言って飯島は上着の中に手を入れると、懐から拳銃を取り出した。


「現状を理解するより、ここから逃げ出すのが先決だ。弾が効いてくれる相手だと良いんだが」


 飯島に銃口を向けられても、化け物が怯む様子はない。それどころか着実に一歩ずつ、こちらに歩みを進めていた。

 パンッと乾いた音が鳴る。

 隣からは硝煙の香り。飯島が発砲したのだろう。

 こちらに向かっていた化け物の眉間と思われる部分から血が流れ、そしてゆっくりと後ろに倒れた。


「やった!」


「……え?」


 意外とあっけなく死んだ化け物に、なんだこの程度かと少し安堵を覚えていると、周囲がざわめき立つ。

 喜びの声が聞こえていたはずなのに、急に絶望に落とされたかのような声。

 彼らがそんな声をあげる理由はすぐに理解できた。

 化け物の死体の向こう、扉の先には何十体の化け物が揃っていたのだ。


「あのガキが言ってた化け物たちがうじゃうじゃいます……って、こういうことかよ」


 金髪の青年はチッと軽く舌打ちすると、勢いよく扉に向かって走り出した。


「危ない!」


 周囲の声に耳を貸さず、青年は俊敏な動きで化け物たちの股の下を潜るようにスライディングを決めると一目散に外に出て行った。


「お、俺たちも逃げないと……」

「落ち着いて、まずは彼らを」

「あの男の子に続けー」

「あっ、おい!」


 ジリジリとにじり寄る恐怖ばけものに、慌てた人たちは青年のように器用に化け物のそばを通り抜けようと一斉に走り出す。

 飯島が止めようとしたが彼らはその制止の声を聞かずに走り、そして化け物のそばをうまく通り抜けたり、捕まったりしていた。


「クソッ、こうなったらしかたがない」


 部屋中はパニック状態だ。化け物に捕まった人の、最期の断末魔が響いている。それに呼応するような他の人の叫び声。

 飯島は全員を救うことを諦めたのか銃を下ろすと彼らのように走り出した。成大はその後を追う。

 どう考えてもこの場で一番安全なのは飛び道具を持つ飯島の近くだろう。他にも同じ思考に落ち着いた人もいるようで、飯島から付かず離れずの距離を走る。

 扉の下を潜り抜ける際、一度化け物が成大の方に手を伸ばしたが飯島が走りながら射撃したおかげで化け物を倒すことはできなくても足止めはでき、無事建物から脱出することができた。


 しかし絶望は終わらない。

 人の叫び声に呼び寄せられたのか、扉の先にも多くの化け物が集まってきていた。


「身を隠せ!」


 飯島の掛け声で近くの草むらに飛び込む。

 先程まで成大たちがいた部屋は外から見るとその異質さを強調させた。

 森の中に建っているようで、建物の周囲は木々が生えている。成大より背の高い木々は太陽の光を遮蔽し、木影は暗い。しかし建物の周囲だけまるで切り取られたかのように木が生えておらず、なににも遮られることのなくなった太陽の光は建物を照らしている。

 太陽の光を一身に受けた建物は体育館や公民館のような外見をしている、というわけでもなくただ真っ白な、ふさわしい言葉があるのならそれこそ四角い箱の形をしていた。

 中から見た限りではあの建物に窓はない。なので出入り口は大きな金属製の扉一つだけ。そこには数十体の化け物が体を寄せ合い逃げようとする人を捕まえては引きちぎったり放り投げたりして、まるで無邪気な子供がおもちゃで遊んでいるようだった。


「……」


 少し離れたところに身を隠していた飯島が無言で建物とは反対方向を指さす。移動しようと言いたいのだろう。

 成大は軽く頷いて化け物に姿を見られないように木陰をうまく利用しながら音を立てないように気をつけながら足を動かす。

 建物の周辺には木が生えていないがそれ以外は森。たくさん木が生えていたおかげで意外とすんなりとその場を離れられることができた。

 叫び声がこだまする森を、周囲の警戒を怠らないそうにしながら移動していると開けた場所に出た。

 成大たちが移動した森は緩やかな下り坂だったので山、とまではいかなくとも小さな丘のような場所だったようだ。


 目の前の切り開かれた場所には七階建ての建物が同じ方向を向いていくつか建っていた。団地のようだ。

 しかし風貌から見て住人がいる様子はない。人の気配を感じさせない眼前の建物は長年の雨風の影響か塗装が剥げ、一部は崩れて鉄筋が剥き出しになっていることろもある。


「とりあえず中に入ってみよう」


 飯島の提案で灰色の建物、少年が言うところのデスゲームのスタート地点の建物から一緒に逃げ出してきた成大たちは団地の中に足を踏み入れる。周囲に化け物の姿はない。


「しかしこれからどうしたものか……」


 崩壊していない建物の一室に入ると部屋の中に置かれたままにされていた本棚を押して扉の前にバリケードを作る。

 これでやっと少しは落ち着けるようになったところで飯島がぼそりとつぶやいた。


「ここがどこだかわからないが、逃げるしかねぇんじゃないのか?」

「私もそう思う! こんな意味のわからないことに付き合っていられないわ!」


 1LDKのリビングには成大と飯島を含めて七人程度が逃げ込んでいた。

 男性が四人。女性が三人。男性たちは状況を理解はできていないものの、怒り心頭の様子で、女性は威勢のいい者もいたが、残り二人はガタガタと部屋の隅で蹲って震えていた。


「なぁ、あんた警察なんだろ⁉︎ なら早くこの状況をどうにかしてくれよ!」

「そう言われてもな。俺だって現状を理解できていないんだ。それなのにどうにかしろと言われてもな」

「使えねぇな!」

「悪いな」


 男性の一人が飯島に突っかかる。しかし飯島は冷静に謝罪の言葉を口にしたので男性は毒気が抜かれたのか、どしっと古びたクッション性のないソファーに腰を下ろした。


「どうしてこんなことに……私は……」


 部屋の隅で肩を震わせている三十代くらいの女性は泣きそうな表情でぶつぶつとずっとなにかを呟いている。


「まずは現状を理解するのが先決だろいう。この中でここがどこかわかる者はいるか?」


 飯島の問いに誰も頷くことはない。


「どうしてここにきたのか覚えている者は?」

「わ、私は……子供を幼稚園に送って……それで知らない人に声をかけられたかと思ったらここに……」

「俺は……たしか習慣のランニングをしてたら背後からワゴン車が近づいてきて……それからの記憶がねぇ」


 隅で怯えていた女性や男性たちは自身の最後の記憶を思い出して口にしていく。


「俺もたしか殺人事件の聞き取りが終わって署に帰ろうとしていたら声をかけられて……そこから記憶がないな」


 どうやらみんな誰かに誘拐される形でここに連れてこられたらしい。

 成大の記憶も大学が終わってバイト先に向かう道中で終わっている。


「まさか警察である俺が誘拐されるとはな……」


 飯島は苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。


「たしかあの少年はデスゲーム、とか言ってましたよね」

「ああ、究極のデスゲームだとかなんだとか。デスゲームとはなんだ?」


 成大の言葉に飯島は頷いたあと、首を傾げた。


「デスゲームってあれよ、人を特定の場所に閉じ込めて殺し合いをさせたり最後の一人になるまで命を賭けた危険なゲームをやらされるのよ」

「おいおい、俺たちは殺し合いをしなきゃなんねぇのかよ! それなら拳銃持ってるこいつが一番有利じゃねぇか!」

「俺は意味もなく発砲する気はない。それにもしこれがそのデスゲーム……とやらなら、俺たちが争う必要はないだろう」

「どうしてだよ!」

「あの少年は化け物と俺たち、生き残った方が勝ちだと言っただろう。つまりは俺たち人間側は仲間、と言っていいだろう。そして敵はあの化け物たちだ。少年の口から聞けたのはうじゃうじゃいる、ということだけで正式な数はわからないが……あの化け物たちを始末すれば俺たちは助かるということだろう?」

「それは……そう、なるのか。そうか、そうだな」


 感情的になりやすいのか男性は声を荒げたりおとなしく情緒不安定な様子だ。いや、男性以外もこのような状況に巻き込まれて不安を感じないはずがない。

 成大もどうしたものかと首を傾げた。

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