第18話,指揮戦力

「すみません。少しお時間よろしいでしょうか?」


1人の新人エージェントがおどおどしながら廊下を歩く女性に声をかける。別に彼女がそうしているわけでもないのによく避けられているという実感は幻ではないようだ。


「何だ?」


エージェントは萎縮して、しばらくお時間を使ったが上級エージェントに話した。その間、チラチラと手袋のバンドがわりの腕時計を見ては、その渋い顔を崩さず依然として立っていた。


「今回の研修についてなんですが...ほら、指揮の話です」

「それがどうかしたか?」


彼女は移動し、近くの喫煙室に入る。男性もそれに続いた。


「その4-2にあった、『緊急時における自部隊の統括』での結論、『緊急を鑑みて、事前にルート選択がなされていない場合は個別行動を控え、集団で動くべきである』のところです」


メモを取り出しその項目を指差すエージェントをタバコを取り出したその人がチラと見る。綺麗に整理された見やすいものだが、書くことに集中しすぎてこちらの話でなく書かれたものを信用しているのではないかと少し疑っていた。


「あぁ、それに疑義があるのか?」

「...正直、非効率だと思っています。事前にルート選択が為されない作戦なんてあるのですか?もしそれが不可能であったとしてもプライベートチャンネルは妨害も回避できる...であれば即興で合流ポイントを作ったほうがいいんじゃないかな〜と」


終始謙るような態度に厳格なその人は嫌気が差してきていた。その話す内容も、彼女の圧を強くさせる原因だった。


「事前にルート選択が為されない場合、プライベートチャンネルが妨害された際の対処、それぞれ一つ挙げてみろ」


ライターを弄びながらつけていないタバコを口に咥える。対して男は必死に考えを巡らせていたが、話しかけるために自分を鼓舞する時間よりかは短く結論は出た。


「前者は、とりあえず出口を目指すことで、後者は事前に集まっておくこと...ですかね?」


タバコを指に移し、ため息を演出し、彼女は反論した。


「その、事前に集まっておくことは私が言ったことだ。そして、出口を目指すという案、これも却下だ」


その言葉に「えっ」という顔を新米は浮かべた。続け様に論議は続く。


「出口というのは籠城を取った組織が一番警戒をするところだ。そして少なからず緊急時、どこからかの出口、例えば窓から脱出するような隊員は最初に狙われる尖兵だ。あと擬似訓練では地下での戦闘が多かったことは記憶しているか。実際、任務に従事する際地下に構えていることは案外多い」


エージェントはメモを取ろうとしたが彼女は止めた。「今は話を聞け」と言うかのように。


「緊急時とは、組織が爆発するだとか回線が使い物にならなくなるだとか隊長が死んだとかだ。混乱に陥っている状態で本当に恐怖するのは足手纏いだけでいい」


彼女は言い切った。「イレギュラーに対応できないのは足手纏いだ」と。その言葉はエージェントに重荷を背負わせるだけでなく、この上級エージェントの性格や行動原理を裏付ける確たる証拠だ。




指揮系統最高戦力とまで言わしめた上級エージェントは勤続し、かなりの年数が経っていると聞いた。実際に目の前にしたときは圧が全面に出ており、終始接しえなかったのを新人エージェントは覚えている。「いつもただ前を見ているだけでなく、どこかもっと遠いものを見ているようだ」と形容されるように、不思議で、ただ、仲間思いではあるのだろう。

擬似任務にて彼女は敵組織トップ戦力として地下3階の広い組織において、初期編成隊より圧倒的に経験が少ないとされる敵すら完璧に動かし、このチームの8割を打ち負かした。殆ど誰も彼女のところには行けなかったらしく、行ったとしても完膚なきまで扱かれると聞いた時には新人研修に赴いていたほぼ全員の背筋が凍りついた。あれほど味方が敵に回った瞬間が怖いとは思っていなかったとも言わしめるほどで、彼女に関してのあらぬ噂があるほか、一部の物好きは彼女に一定の好意を抱いているそうだ。




「足手纏い...ですか」


彼女は頷く。男性は自分のことを言われたと断定されたわけでもないのに悲しんでいた。


「緊急時にこそ焦らず、綿密に行動できる隊員こそ我々の求めているエージェント然り会社の人材だ。それを育成する責任は私にはある。今は疑問を持つのは当然だ」


彼女はその時の、擬似任務での出来事を覚えている。足手纏いについていたカメラをみると、焦って何も行動できないままの職員や、仲間を見捨てて出口へと駆り出す者、単独行動のせいで蜂の巣にされるもの。多種多様な育成対象がいて、「今年もそんなに変わらないな」とため息を吐いたことだって覚えている。ただ、単純に厳しくするわけでも指摘するわけでもなく、現実を叩き込む。焦った先にある孤独な最期、仲間を見捨てた先での目、死体袋でなく清掃用具を持っていった記憶全てを知っている。


「すみません。ありがとうございました」


そう言って足早にさろうとする職員を新人育成担当は止めた。いつもより鋭いがどこか優しさも感じる目、今まで感じたことのない目で、彼女は言った。


「現実を知ることだ。今は辛いかもしれないが」


いつもの目に戻り、ライターをつけ始めたのでエージェントは喫煙室から出た。そこから一呼吸し、まるで地獄の拷問から抜け出したかのような一種の解放感を持っていた。その様子ははっきりと彼女の目に写っていたが。

そのせいで彼女は煙と一緒に鬱憤を吐く。




上級エージェントとして生きてきて己を磨き上げてきた。ただ、自分を忘れていたりはしないし、かつての使命や魂を報うためにも見えない目標に向けて歩いている。着実に。


「はぁ...」


1人しかいない喫煙室...もう慣れたものだと思っていたのだが彼女にはまだ辛いものがあった。山までできた多種多様な煙草もなく、ライターを回して使う事もない。真に一種の家族のような愛情は、ここには殆どない冷たい場所だ。

エージェントの議の後、過去に耽っていた。色々な出来事があったものの、別れはなかった。したくなかったから、新人育成に際して強さを昇華させるしかない。多分、それが分かっているから藤里やらがここに向かわせたのだろう。そのおかげでパフォーマンスはかなり伸びたらしい。


「『仲間が死んでも戦え。負けられざる魂がお前を勝利へと導く』だったな」


独り言を呟く。どこからか声が聞こえてきた気がした。


「『我こそが指導者。戦場の音を操る魂の指揮者だ』」


足の組みを解き、力強くタバコを押し付ける。一度大きく息を吐き、首に掛けたリングホルダーネックレスを掲げ、自分が上級エージェントだと言うことを再認識する。


「私がお前たちを導く」

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