第16話,LastSeparation

「...終わったか」


藤里はしゃがみ込んだまま、小さく息を吐いた。スプリンクラーの回る音と自分の呼吸音しか聞こえない中、傍らにいた強敵は今は臥して、冷たい。大鎌を置き、水によって反射した黒い建材を見る。カメリアは未だ見つかっていない。

その時、一つの足音が続いた。鎌に手をかけ警戒した時、声が響いてくる。


「殺しちゃったのか?」


その声に聞き覚えがあったので武器から手を離した。


「テルル。お前はやっぱどこにでもいるんだな」


小さく笑い声が聞こえた後、姿を現してきた。何度も見た何もかも知っていそうな顔だ。

テルルは死体を見ると、駆け寄り、屈して頭に手を置いた。


「お前には、こいつがどんな人生を送ってきたかはわからないだろうよ」


藤里はタバコを取り出し、手で火が消えないように覆いながら吸い込んだ。戦い終わった後のことはその時考えるのは彼女の姿勢だった。

テルルはその髪を撫でた。血が滲んだ水を見た。ここまで自分が一人間に対して感情を抱くことなど、久しぶりだ。


「死んでしまっては、自身の口から過去を語ることは許されない。一筋の希望さえ、最後には切られる。それが戦いだ」


一丁前に語る藤里は感情が見えていない。テルルのも、死体のも。


「殺した、と言う根拠はどこにあるんだ?」


見てろ。と、テルルは俯せになった死体を仰向けにする。そこには大きな斬撃が残されていた。はずだった。


「既に、誰かしらの力が働いていた」


独り言のように呟き、立ち上がった。大鎌を持った会社の職員を手で静止し、静かにするようジェスチャーをした。


「彼女にとって別れと言うのは幾度となく経験した事だ。その9割5分はたったさっき経験したんだがな」


藤里は応える。


「別れに特別な意味などないだろう」


テルルはその返答がおかしいことに気づいたが、目線を送るだけに止め、言いかけていた侮辱を止めた。


「別れというのは一つの因果の消滅だ。しかしそれは人間には近くできず、一定の未練を持つ。キッパリ忘れても綺麗な記憶は除かれないほどに神聖なものだ。誰の手にも阻まれず、シャッターに二度と収まらない景色だ」


薄く、近衛団団長は目を開けた。


「シェー...レ...」


小さく、そう呟いた。彼女の生への未練はそこらしい。


「こんなことして意味があるのか?」


イオはテルルは見えていたものの、藤里は目に入っておらず、別組織の職員がこの場にいることに己の使命への冒涜を感じた。すぐに起きあがろうとするその体をテルルは止めた。


「負けたんだ、イオ」


優しく、またひどく鋭い言葉を言い渡した。イオは実感が湧かないのか上の空だ。もしかしたら涙を流していたのかもしれないが、それは分からなかった。


「シェーレは...?負けたんなら、アイツは...」


取り敢えず急には戦わないだろうと思ったテルルはイオの上体を起こした。

この中で誰も、シェーレの安否を知らない。藤里に至っては名前を初めて聞いたぐらいだ。


「誰にも分からない。立てるか?」


手を引き、イオは再び立ち上がった。フラつくのか、自分の使っていた剣を床に刺し、体制を整えた。揺らいでいても、目だけは決意を宿し、一点の曇りもない。テルルはそれを知り、一人で行った方がいいと結論付けた。

またしても2人だけになった通路の一端で、テルルは小さく言った。


「会社職員全員、お前らの言うルートCとルートE-2、A-1近辺に近づかないように言ってくれないか」


藤里はタバコを携帯灰皿に放り込むと、腰につけた通信機を2回小突く。


「何かあった?今のところどうなってる?」


早口で捲し立てる声が急に響き、雰囲気というものが台無しになったがしょうがなかった。あっちもあっちで必死だ。


「職員全員に通達してほしいのだが、ルートC、ルートE-2、ルートA-1には近づかないように言ってほしい」

「え?なんでです?」


藤里はテルルの方を見た。テルルは「適当にして」と言った様子で視線を返した。


「危険で、殺されかねないからだ」


===


図書館だ。何度も見た。ただ違うのは司書が書いていた紙の山がなくなり、司書の代わりに置いてあることだろうか。その本の題名は「Liver」...「居住者」だ。


「傑作でしょ?」


後ろから声をかけら、振り返る。いつもの司書が出迎えてくれていた。


「どういうことだ?」


それはこの状況全てに言いたいことだったが、もう一人の彼女は本についてだと思ったらしい。


「私達の物語はここで終わり。もうすぐ死んでしまうから」


死、と言う単語は司書の真の生まれ変わりであるこのリバには聞き覚えのないものだった。唯一その死を実感しているのは裏人格...またしてもリバだ。


「私達の人格や姿形は定期的に入れ替わるようでね。記憶はさっぱり忘れられてしまうのだけど、図書館の奥の部屋、あの部屋だけは図書館の再生には巻き込まれない場所だって分かった」


彼女は司書席に戻ると、いつもの通りに座った。


「そこで私は死ぬ間際に本を全てこの図書館に入れた。本当は赤ん坊みたいな状況から始めさせられる君が可哀想だと思って、最初から知識をここに入れておいた」


だから記憶があったのか。この図書館の中にある本は元のリバが読んでいた本で、それを補填する形になった。


「異常性は共通だったらしいね。"無機物から未知の生物を作り出す"異常性。それらを操ることもできるし、死なせたりもできる。会話はしたことあるか?」

「いや...」


司書は本を開き、分厚い中正確にページを引き当て、こちら向きに直す。それを覗いた。


『妙な黒い浮遊物は私を向いているように見えた。最初は寂しさ紛れに話しかけたのだが、本当に返ってくるとは思っていなかった。

それらの言う言葉はどれも終末論的だった。

「世界が終わるその時、ただ一人の救世主が現れる」

「世界を救わんとすることは立派だが、運命の連続性には抗えない」

「いつ壊れてもいいように祈りの準備ぐらいはしておくべきだ」

...正直言って、私はこれを聞いてからこれらを操る行為を忌避するようになった。

多分この生命は私なんかよりずっと高尚なものだ』


「聖櫃は異常性のなくなったその時、役目を終えるもしくはもっと役目を果たそうと今度は私たちだけじゃなくて、周りの異常性を奪うことになるかもしれない。私達にどうこうする事はできないけれど、君はどうする?」


司書の後ろには何人も人がいるように見えた。私は私の人生だ。そう思っていたい。ただ、私をここまで導いてくれた皆は既にこの世にはいない。身を委ねると言うことも、悪くはないのかもしれない。


「私は、もう何もしません。運命に任せます」


物分かりがいいのか悪いのか、リバはそう言い切った。

司書も司書でそれが決断ならと納得したように、倒しておいた名札を立てた。


「最後の私だね。歓迎します。ここが我々の知識。"図書館"です」


===


「...そう言うことだったのですね」


そう合点が言った様子でボスは言った。隣には女性が立っている。


「リバさんには伝えたッス。それだけで十分...?」

「えぇ。あなたの仕事はそれでおしまいです」


落ち着いているシェーレと比べ、かなり忙しなく動くその女性はテルルの連れだ。


「カミアさん。今回の出来事については多分テルルさんから聞いているでしょうが、あなたにとってはどう思います?」


その言葉に、心底悩んだふりをして答えた。


「正直、人のエゴって時にとんでもないことをする...って感じスかねぇ。リバさんの特性はわかったッスよ。神から授かった一種の呪いで、死に際になっても人格と記憶とかをリセットして、禁忌を永遠に常世に伝える役目だとか」

「...そう、でしたか」


シェーレは落ち込んだ声を出し、カミアはしまったと思ったのだろう。慌てて取り繕った。ただ、それも届いていないように見えたので、黙ってしまう。


「リバさんは自分を殺すためにアレを設計したんスか?」


カミアはそれとなく聞いた。シェーレはしばらく答え渋ったが、言葉を返した。


「そうです。伏せていたのは謝りますが、私はその発明こそが彼女を助ける唯一の手段だと思ったのです」


結果としては成功なのだろうか。聖櫃は暴徒の手に渡らず、リバは眠るように緩やかに死んでいく。多大なる犠牲の元、積み上がった勝利だ。素直には喜べない。


「カミアさん。私は間違っていたのでしょうか?」


シェーレは右手の親指について指輪を外し、両手で弄ぶ。


「間違っている間違っていないはボクには到底...でも、責任は果たせたんじゃないッスか?」


責任。その言葉はシェーレの頭の中で何度も反復した。

組織のボスとしての責任。

元仲間との約束を守る責任。

自分の妹を守る責任。


「私は...」


指輪を力を込めて握るが、もうそのような力すら無い。あまりに衰弱しきっている。指輪はその力から抜け出し、軽快な音を立てた。


「そんなに思い詰めない方があの子達にはちょうどいいんじゃないッスか?」


カミアはその指輪を拾うと、どこからともなく取り出したチェーンで結び、それをシェーレの首にかけた。


「シェーレさんはいつまでもシェーレさんで、イオさんの姉なんスから。しっかり、見守ってあげるべきッス」


その答えに、シェーレはどう自分が進めばいいか決めたらしい。しっかりと前を見て、言った。


「私は、辞退します。一人の人間として、幕が降りた後の脚本は幕引一択ですから」


カミアはその答えに少々驚いたようだった。ただ、やれやれとため息を吐くと言う。


「シェーレさんの判断ならボクは止めないッスよ。ただ...いいんスか?」

「構いませんよ。妹なら、最初は確かに大変でしょうけど、慣れてくれるはずです」


シェーレは続ける。


「『負けられざる魂は消えない。ずっとどこかで燃え続ける。』」


カミアはそれに反応した。


「何かの本からッスか?」


くすっと、シェーレは笑った。


「自分の言葉ですよ」


===


「シェーレ!!!」


扉を開けた瞬間、車椅子に座っている奴ともう一人、見たことない誰かがいた。ただその一瞬の後、どちらも消えていった。部屋の中に残っていたのは奴の座っていた車椅子とその周りにあるものだけで、シェーレはどこにもいなかった。

その場に座り込む。私は守りきれなかったのか?

右手の指輪を取り、握りしめる。涙は堪える必要もないはずだ。

涙を拭き取り、一歩一歩踏み締める。景色はいつもホログラムだ。

机の上に紙を見つけたが、涙でよく読めない。適当に折りたたんでポケットに入れた。


ホログラムは晴天で、何かの白い羽が舞っていた。


「ダメだったか」


急に声がして振り返ると、テルルがこちらを見ていた。


「声を出さなくてもいい。別にいい」


テルルは指輪を拾い上げると、どこからともなく取り出したチェーンで結んだ。そして一歩一歩私に近づいてきた。


「お前はよく頑張ったんだ。始終見てた私だから言える」


振り返ったまま動きの止まっている私に、テルルは背伸びをして自分の首にかけた。


「...『瞬間さえ脳は記憶し、残像を産み出しそれを引き伸ばし大事にしまう。どれだけ嫌なものでさえも』。お前ならこの言葉は覚えているだろ。お前らが求めるのはより良いもの。だから、別にいいんだ」


身を委ねる。暗い今を見ないために。


===


テルルに連れられてどこかの丘に来た。どこから出したか花束を渡され、行けと顎で命令される。


「お前にとってこれをどう捉えるかは任せる」


丘を登ると、一つの墓石が立っていた。名前は書いていない。ただ、文字が書いてあるだけ。


『まだ死んだままです。

確認してくれてありがとう』


花束を置くことをずっと躊躇った。ただ、それをしなければ、私は前を向けない。


「これが最後の別れだと信じている。またな」

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