第9話,被害者

「お前は何を考えているんだ?」


一目見ただけで私はその人の大体の性格や行動原理を認知することができる。ただ、この組織カルコゲンのボス、シェーレは全くと言って良いほどわからない。今まで会ってきたものは大体わかっているつもりだったのだが。

勿論、その言葉に奴は答えない。

ベッドから立ち上がり、車椅子に手を掛け覗き込む様にして顔を見る。白髪に白い眼。輝きを失い仄かな灰色が残るだけで、その目は全てを見ているようで、一方向を向いている。偽りの景色を見てばかりで私の方を見ようともしない。


「そろそろ寝る時間だろ。動かすぞ?」


その言葉に対しては即座に反応した。


「いえ、まだこのままでいいです。先に部屋に戻っていてもいいのですよ」


その言葉を溜息で返し、またベッドに座り直した。




奴は、何を糧として生きているのだろうか。食行為の話ではなく、人生の面でだ。何の思い出も作らず生きてきていて、思い出が足枷になるとでも思っているのだろうか?走馬の灯にのみ使われるとでも思っているのだろうか?実際は違う。7日ごとの門もわからなければ、道も、周りの景色も、迫り来る脅威も、何もかもに対して盲目になる。音のない、匂いも感じない、そんな中でどうやって生き抜こうと言うのか全くもって予想がつかない。

あぁ、奴が組織を立ち上げたと言って態々来たのは私の方だ。来てみれば、知らないものだらけの世界が広がっていた。すでに奴はこんな感じで...いや、まだこの部屋に篭りっぱなしでなかっただけマシだったのかもしれない。車椅子生活は元からだったらしいが。この組織を守る立場に就いたことを報告したとき、奴が少し嬉しそうな笑みを浮かべたのはこちらの間違いだろうな。どう言うわけか組織は上手く回っていて、奴が命の危機に瀕することはなかった。


本当に人間なのかどうかすら考えてしまう。起床と就寝の時や奴の要望通りのものを持って来たりだのしているのは私だが、肩にかけられた腕はすぐに外れそうで、足は少し歩いただけで折れてしまいそうで、信じられないくらい重みがなくて。

腕を触ってみる。皮ばっかりで、中央部に微かに硬いものがあるだけ。そのまま腕を伝い、手に当たると、右手の親指に指輪がついていることに気づく。サイズがミスマッチで、ちょっと下に向けただけで滑り落ちてしまいそうな、細くて、奴にとって大きすぎる指輪だ。


「指輪なんかつけてどうしたんだ?」


私がそう言っても奴が言葉を返すことはなかったが、ポケットから奴が何か小さな箱を取り出して、渡してくる。


「...なんだこれ」


勿論、その言葉は返ってこない。少しだけみるために開けると、そこには指輪が入っている。驚いて、奴を覗き見ると、目を閉じ、微かに寝ていることが分かった。

ポケットに乱雑に箱を入れ、車椅子の車輪のストッパーを解除し、ベッドに近づける。首に手を回し、また腿の下に手を回すと持ち上げ、ベッドに横たえる。申し訳程度の毛布を首にまで掛けて、私の1日のルーティーンはそこで終わりとなった。安らかで、もしベッドでなく棺だったら死んでいると思って杭を打ち込むところだ。ただ、その顔を見ていると、不思議と虚な、悲しい気持ちになってくる。


偽の景色を映し出すホログラムを消し、消灯しようとする。が、ふと、机の上にある本が気になった。別になんてことのない、カバーのかけられた本だったのだが、妙に好奇心が湧いたのだ。

取り敢えず、カバーを外し、表紙を見る。タイトルは小さく、『良き理解者となる為に』とある。そんな本を持ってきた記憶はないのだが、私が入ってくる前に持ち込まれた本なのだろうか。だとしたら相当長いこと読まれた本...の筈だ。しかし新品同様に綺麗だ。少し奴の方を見る。もうすっかり寝ているように見えた。

栞の挟んであるページまで捲ると、中間の1ページだけ割かれていて、右側のページは一部分のみ黒く囲まれていた。


『23.相手の事をよく知りましょう。

円滑なコミュニケーションの後はお互いの信頼を深めるためによくお話をしましょう。そして信頼のために必要なことが相手のことをよく知ることと自分のことをよく話すことです。そうすることで相手はあなたのことを信頼しやすくなりますし、あなたも相手のことをわかりやすくなります。』


こんな内容の本。あいつが持ってても意味ないとは思うけどな。そしてここだけ、紙がくたびれている。

もうこれ以上この本からわかることはないだろうから、そっと机に置く。


私にはどうしても確信が持てないことがあった。奴は、本当は私のことをよく知っているのかもしれないと。私がこの組織に来た時から妙な違和感もあった。奴のことを無意識に気にかける節があることが。ただ、実際奴は自分のことを語らないし、私も記憶が曖昧だし、何も追求することはできなかった。かつては向き合えなかった凄惨な過去でもあると言うのだろうか。自分でその記憶を隅に追いやり、思い出せないようにしているとか。なくはない推測ばかりで堂々巡りだ。


ふと、ちょっとした音がしたかと思えば、奴が少し魘されているようだった。急いで近くに駆け寄ると、少し苦しい顔をした奴が涙を流していた。額に手を当てても特段熱の出ている感じではなく一先ず安心したが、涙の出ている理由は正直わからない。奴は左手を静かに突き出させた。特に何も考えない間に私はその手を握っていて、さっきまで哀だったその顔は段々と喜となり、左手から力が抜けていっていくのを感じた。


「おい、おい」


死んだのかと思い、声をかける。そうするとあっさり奴は目を開けた。涙を拭くことさえせず、いつもより細い声で奴はこう言った。


「離れていかないで...」


シェーレが言った。


「暖かい...」


この時、唖然としていたと思う。膝をつき、握ったままの腕を下ろし、しばらく沈黙が流れる。

こんなことは今まで無かった...訳でもないのかもしれない。頭痛がする。思い出したいのに思い出したくない記憶が頭を絞めてくる。


「...それは良かった」


その声に彼女は少し笑った。あまりに間抜けた声だったのかもしれない。それとも、また別に何かがあったのかもしれないが。


「...もう少しここにいて」


断る理由はなかった。彼女の涙は止んでいた。が、私が涙を流していた。いつからだろうか?


「どんな夢を見ていたんだ?」


できるだけ優しく聞いた。彼女はすぐには答えなかった。ただ、左手の力を微かに強くした後に言った。


「暗闇の中、置いていかれる夢」

「そうか。それは怖かったろうな」


同じように握り返すと壊れてしまいそうでやめておいた。怖い夢だったろう。暗闇の中、誰もいないなんて。


「なぁ」


その言葉で彼女はこっちを向いた。私は気になっていたことを聞いた。


「貴女にとって、私は何だ?」


彼女は少し驚いた顔をすると、また涙が流れ始めていた。彼女が答えることはなかった。




10分ほどすると、もう私と彼女の涙は止み、彼女は再び寝てしまった。左手を離し、灯りを消す。


「おやすみ」


そう一言言って、部屋を出た。




訓練室の自室への道中、私はずっと考えていた。最後の問いに何故答えてくれなかったのかも含め、彼女の"本当"が何者であるかを。組織のボス?複雑怪奇な不明人?そんなものじゃない。もっと、もっと私にとって巨大な存在だったに違いない。

不意に早足になる。既に廊下の電気などは消えており、正しく闇であったが、彼女の言う暗闇というのはこれよりもっと空虚なものだろう。自分がいかに惨めでちっぽけな存在かを、彼女は誤解を含めよく知っている。そうとしかもう感じられない。


自分の部屋に着くと、早速ポケットに入れたままの箱を開けるが、そこには小さなメモが入っていることに今気が付いた。四つ折りを解き、綺麗な手書きの字を読む。


『これは右手の薬指につけてね!

誕生日おめでとう!』


こんな活発な言葉を書くものとは思えず少し笑いが零れる。見落としたまま読まれなかった文字は裏側にあった。


『姉より』

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