第3話,294番目
「君は誰なの?」
いつかの夢の中、そう自分かもしれない存在に問うた事がある。
彼女は、私の居る時でも自分の部屋に戻っていくことがある。しかし、彼女が部屋に入って行くタイミングはわからない。目を離した一瞬でも彼女は自分の部屋に行っていると言った。
「この図書館の司書です」
「じゃぁ、この図書館は?」
この答えが返ってくることはなかった。彼女が答えたくないのか?彼女も知らないのか?どちらもあり得そうな話だ。
彼女の隣には大量の茶ばんでいたり、一部黒かったりする紙が積み重なっていた。乱雑に。ただここから見える紙の端でも、文字が埋まっているのが分かった。
「その紙は何?」
そう聞くと、彼女はその紙の山の頂にある紙を渡してきた。乾き、紙はパリパリとしていたが、万年筆のインクだけは乾き切っていなかった。書いてある文字は知らないものだった。ただ、意味だけが伝わってくる。
『しかし、彼女は彼を引き止めはしなかった。そんな彼女を隣で見ていたが、その目は複雑なもので、この先、未来への渇望。今まで虐げられてきた過去が転じての希望や、この状況への憤怒。多岐に渡り彼女はこの事態を予見し、その常に最悪な事態を見ていたわけだからその目は納得できるものだった。そうであったとしても、彼女は彼を止めなかった。
「旅路は長いものだったね。これから先、出会うことはないだろうけど」
彼女は私にだけ聞こえるよう言った。目線は変わらず、彼を見ている。その、複雑な目で。
「これから先はどうする。もう、私たちに生きる術など残されてはいない」
そう私は言った。そんなネガティブな思考を彼女はものともせず、言い放つ。
「なら、もうどうしようもないね」
彼女は諦めているようには到底思えなかった。しかし、その言葉は冗談ではないようにも感じた。この、不気味なまでに冷静な彼女を私はどのように送るべきか、見当がつかない。』
ここまで読んだところで、没収される。小説だろうか。
「物書きをしているのか?」
そう聞いたが、返答はない。顔を上げても、彼女はいなかった。
いつかの夢の中、自分でないものと思っていた司書に悩まされ続けていた。
天井を見れば、1階から3階まで順々に照らす吊り下がった照明。階段は両脇に存在し、本棚の近くには高所の本を取るために本棚に立てかける梯子がある。
いつも図書館に入った時は一冊の私が求める、もしくは私を求める輝く本を見つけに歩く。広大で、しかし飽きない不思議な雰囲気がする。
3階から一階を見下ろす。言い得ぬ不安感と好奇心が渦巻いた。ここから飛び降りたらどうなるのだろう。どうせ夢なのだから死んだりはしないはず。と、邪険な想像が次々と浮かんでいった。
奥側は少し中を覗くだけで入ったことはほとんどないのだが、暗く、また本棚も存在しない、無造作に本のみが積み重なっていた。ここが謂わば"本の墓場"なのだろう。
その部屋に入り、全体を眺めている。打って変わって閉鎖的な部屋だった。
「何をしているの?」
後ろから声をかけられ、振り返る。茶ばんだ紙と万年筆を持って立っていたのは彼女だった。
「...特に」
窓のようなものはないが、薄明るかった。ただ図書館のような暖色でない冷徹な色。月白色の明かりが部屋中に舞う埃を照らしていた。そんな中でも、彼女はその光に照らされず、妙だったのを記憶している。
私はその中の、絵本のようなものを取り出した。題名を確認しようとしたが、彼女に止められる。
「あなたは...何がしたいの?」
そう言われたが、どう考えてもこちらのセリフだった。
「...見るべきものでもないだろ?」
そう言っても、彼女は私の手首を強く掴むばかりで、離そうともしない。
彼女や私にとって、この図書館というのはなんなのだろうか。
少なくとも、私の記憶ではない...こんな場所は知らない。
彼女も、この図書館に見覚えはないみたいで、知ってる風に扱っているだけだ。多分、まだ困惑が残っている。
そもそも、彼女は私なのだろうか?
そういえば名前すら聞いたことがない。いや、最初に聞いたはずだが、答えてくれなかったのかもしれない。
それか、「もう知っていることだろう」と、敢えて?
『いつも大事そうにしている...って?馬鹿ね。思い出したくないから大事にしまっているの。良い思い出も、悪い思い出も。
私の部屋の中はそういうので溢れかえって、もう、踏む足場も選ぶほどで、思い出は埃をかぶって、もう見えない。見えないけど、捨てたくないし、掃除したくないの。
だって、悪い思い出はもう一度見たくはないし、良い思い出は捨てたくないから。』
「ここから出ることはしないのか?」
本を借りる時、聞いたことがある。彼女は首を横に振ると、言う。
「私は出てはいけない。あの子が戻ってきたら私は眠るだけ。外に出る道理はない」
「あの子、っていうのは?」
貸出証明に判子を押されると、それを突きつけ、「さっさと帰れ」とジェスチャーされたので、仕方なく帰る。こう言う時の彼女はそれ以上絶対に答えないとわかっている。しかしその途中、微かにこう聞こえた気がした。
「上手くやって欲しいのに」
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