第5話

翌る日、塔子が学校帰りに烏滸おこに出勤すると既に先客がいた。千弦である。


(まあ、妖術が解けるまでは毎日来るよね…)


社の代わりとしての茶屋なのだから信者獲得は喜ばしいのだが、妖術で人を操るのはルール違反だと塔子は思う。

挨拶の声をかけ、奥座敷へ着替えに入る。


20時までカウンターに千弦は居座りつづけ、閉店と共に帰っていった。


「みてみて、売り上げ2万8千円!」


吹雪は売り上げをヒラヒラさせてくる。


「どんだけ茶を飲ませたのよ」

「俺の初めて稼いだお金で、塔子になんでも好きなもん買うたろな」


塔子の機嫌の悪さを察知したのか吹雪は営業口調のまま後ろからベタベタと絡みついてスリスリ甘えてくる。それを塔子はひっぺがす。実際に、吹雪だけの店番の時に客が来るのは初めてだった。


「こんなの依存対象が吹雪に変わっただけで何も解決してないじゃない」

「そうだろうね」


吹雪は笑顔の仮面をはずして、片眉を上げて塔子を見た。


「正直言って他の女の相手なんぞな、うざったいことこの上ない。何度もいうけれど塔子さえいてくれたら、私は死ぬまで神域で二人で蜜月を過ごしたいのだからな」


金色の瞳がゾクリとするような色気を出した。塔子も少しドキッとして赤面するのを誤魔化すように空元気を出した。


「はいはい!引き篭もりは禁止!吹雪は新米の神さまなんだから社会と関わっていきましょう!新米の営業マンは足で稼ぐってビジネス本にもあったよ」


吹雪は頬を赤く染める塔子にクスリと笑う。


「段階を経て丁寧に術を解いて自立を促して行こうと思っていたが、まあ、早めに決着をつけよう。寿命ある塔子との大事な時間が目減りするのはかなんからな!」


吹雪は塔子と自宅に帰ると、店で塔子と過ごせなかった時間を惜しむように遅めの夕食を中庭の眺めながら取る。母と幼子のように、吹雪は塔子の湯上がりの長い髪を乾かして、胸でトントンとリズムを刻んで寝かしつける。


そして塔子が寝付いたのを確認すると、サラリと羽織りを方にかけ外にでた。


「ああ、めんどくせー…」


吹雪はそう呟いて、地面を軽く蹴る。千弦のマンションに辿り着く。オートロックのマンションのロビーから千弦の部屋を呼び出す。もう夜中の11時だ。返事はない。


吹雪がロビーのドアに向かって進むと鍵は自動的に開いた。そのまま7階に向かい、重厚な絨毯敷きの廊下を抜けると、女がヒステリックに喚く声が厚い扉を突き抜けてきた。


吹雪がドアノブに手をかけると鍵は当たり前に開く。リビングの方から声が聞こえた。


「ママなんで!?せっかく吹雪さんが来てくれたのに!」

感情的に喚いているのは千弦の方だった。

「許しませんよ!髪も長くてあんな色なんて!神戸にもう帰って来なさい」

千弦の母であろう女性の声をする。


(地毛なんだがな…)

吹雪は鬢に垂る白銀の前髪を掻き上げるとリビングへ進む。視線をむける千弦とその母に営業スマイルを貼り付けながら話しかける。


「千弦ちゃん。ドアが開いてたし、不用心やで!なんかあったかと思って心配したやんか」


千弦は吹雪に抱きついてきた。


(やっぱり塔子寝かしつけてきてからで良かった、またしばらく口を聞いてもらえなくなる)


母親は千弦を吹雪から引き剥がそうとする。


「なんてふしだらな子なの!離れなさい」


「昨日吹雪さんが一緒に住もうって言ってくれたの!ね?そうでしょう?だから、実家になんて死んでも帰らないわ!」


(うん、確かにそう言った)


吹雪は千弦の背中に手を当てる。抱き寄せるためではなく、術を取るためである。フッと千弦の体から力が抜けたあと千弦は正気を取り戻したらしかった。


「ちゃんとした人と結婚して頂戴!そしたら好きな楽器だって続けられるじゃないの!」


吹雪の胸に頭を寄せ、俯いたまま千弦は静かな声で答えた。

「好きな楽器…?好きなんかじゃないわ…」

「あなたに好きな事をやらせるためにママとパパがどれだけ応援してきたと思うの!」


千弦は怯まなかった。


「あなたがやりたかったんでしょ。自分が弾けばいいじゃない。下手くそでも弾けるんだから」


昨日と今日で見たオドオドしてほんわりした千弦とはまるで別人のようだった。


「私だって下手くそなのよ!勝手に演奏家になるための最短ルート敷いて、ヴァイオリンやめさせてヴィオラに転向させて!やりたいなら自分でやりなさいよ!お見合いもアンタがしなさいよ!」


母親はワナワナ唇を震わせている。


「私は猿回しの猿じゃない!」


千弦は叫ぶと後は声にならない嗚咽だけが残る。


「この子はッ!なんで親の愛がわからないの!」

殴りかかろうとする母親の手を吹雪が止める。


「暴力は愛じゃないですよ」


母親は吹雪の金色の目に怯む。


「おかげさまで、千弦さんは暴力で支配されることが愛だって思うように育っちゃいましたけど。彼女の人生は彼女のものだから、もう関わらないでもらえます?」


金色の目に吸い込まれように見つめていた千弦の母は急に大人しくなると、自分のバッグを取る。


「お父さんも会いたがっていたから、お盆には顔を見せてね」というと、そのまま玄関から出て行った。

千弦はびっくりした顔で吹雪をみつめる。


「うーん、これでええんかな?金比羅さんの代わりになった?」


塔子の判断がないと分からないなと思いつつも、吹雪は一件落着と判断し帰ろうとした。


「吹雪さん!大好きです!」


むにゅっと柔らかい千の胸が吹雪の背中にあたる。術を解いても、千弦から吹雪への好意はたいして減っていないようだった。


(ああ、塔子にバレたらキレられるやつだ)


営業スマイルで千弦を引き剥がし、「おやすみ」を告げると一刻も早く塔子に会いたくなった吹雪は7階の廊下から外に飛び降りると最短で自宅に帰ったのだった。

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