第12話 提案

 男の子たちと分かれ、僕たちはカラオケ店へとやってきた。なにかご予定がありましたか? と聞かれ、ひとりでカラオケに行くところだったと答えたのが原因だ。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 ドリンクバーから彼女がとってきてくれた、注文通りのオレンジジュースを飲む。緊張で張り付いた喉に、甘いオレンジジュースは相性が悪かった。

 緊張――。


 カラオケボックスという密室で、出会ったばかりの可愛い女の子と二人きり。しかも部屋の構成の問題で、彼女の席は僕と三十センチほど離れた右隣だった。

 期待できるような間柄でもないのに、不覚にも僕はドキドキしていた。ちらりっと、上目遣いに少女を見る。彼女は僕を見ていたらしく、ぱちりと目があった。そして彼女は口を開く。


「……わたくしの名前は分かりますか?」

「……知らない。そういえば、君はどうして僕のHNを知ってるの?」

「簡単です。ゲームの終わりに参加者の名前と顔写真の一覧が手に入りますわ」


 そう言うと、彼女はポケットから黒い携帯電話を取り出した。僕が持っているものと、全く同じデザインだった。


「ほら」


 見せてくれた画面には、確かに一覧表があった。【青鴉】【みるく】【ジミィ】と参加者のHNと顔写真が並んでいる。

 一番上に、彼女の顔写真があった。


「【都(みやこ)】?」

「はい。わたくしのHNですわ。ゲームの参加者ですから、お互いHNで呼び合いましょう? そして……本名は、名堂郁子(などういくこ)」

「名堂……郁子……?」


 記憶の端に、ちかちかと点滅するものがあった。名堂郁子。名堂。


「……あのー」


 僕はおそるおそる手を上げる。彼女の身につけている服装がやけに高価そうであることを改めて確認してから、


「ひょっとして、名堂財閥と関わり合ったりしますかー……?」

「はい。その通りですわ」


 都さんは、とくに何でもないことのようにそう言った。


「そっすか……」

「はい」

「え、ええええええええええ!!」

「ふむ。ひと呼吸おいて驚くとは、なんともベタな反応ですわ」


 にこりと上品に笑いながら都さんは首をかしげた。そんな彼女を眺めつつ、僕は驚きが止まらない。名堂財閥といえば、輸入産業で破格の富を築き上げた日本屈指の資産家である。


「え、えーと、で、都さんは……」

「分かりやすく言うなら、社長令嬢ですわ」


 ぶっと唾を吐き出した。名堂さんは少しだけ片眉をひそめたが、それだけで文句のひとつも言わなかった。礼儀正しい教育が伺える瞬間だった。


「ええと、それで青鴉さん。こういってはなんですが、お返しに、あなたも名前を教えていただけますか?」

「あ、はい。荒木直也です」

「そうですか。うん。覚えましたわ」


 こつこつと、こめかみを人差し指で叩いて都さんが言った。それから不意に瞳の輝きが変わる。モスグリーンの瞳の奥。その瞳孔が開かれ、真摯な眼差しが現れた。


「さて、青鴉さん――」

「……はい」


 唾を飲み込みながら答えた。


「わたくしと――手を組んでくださいませんか?」


 そして、彼女が放ったのはそんな言葉だった。三度瞬きを繰り返す。


「手を組む……ですか」

「はい。そうですわ」

「い、いやでも、次のゲームがどうなるか分からないわけで、っていうか、あの戦いがまたあるんですか……?」

「ゲームは三日に一度。最初、そう宣言されたはずですわ」


 したり顔でそういって、都さんはカップに手を伸ばした。彼女はドリンクバーのコーナーで、温かい紅茶を入れてきていた。六月末とは言え、カラオケボックス内はクーラーが効いている。彼女の半袖から除く白い素肌には、微かに鳥肌が立っていた。


「……手を組む、ですか」

「はい。手を組めば、勝利に近くなる。勝利に近くなれば……存在を、消されることもありませんわ」


 軽く唇を噛み締めて、都さんは斜め下に視線をそらした。声はかすかに震えていて、彼女の怯えを如実に表しているかのようだった。


「……ねえ。……やっぱり、本当に消されるの?」

「…………分かりませんわ」


 分からないから、怖いのです。

 ぽつりと都さんが続けた言葉が、耳の奥に響いた。彼女はそのまま、鳥肌がたった肩を交差させた手で抑え、自分を抱きしめる。震えていた。小刻みに振動する小さな少女の身体は、思わず抱きしめたくなるくらい、弱く見えた。


「わた、わたくし……。最初のゲームで負けてしまって……っ。次のゲームも、そして、この間のゲームも……っ。もう、後がないのです」

「!」

「なりふり構ってなどいられないのです。今日、と昨日、二度もあなたと出会って……。運命、だと思いました。ああ、どうか!」


 ふわっと、良い香りがした。なにかの花の香りのようだった。上品で、それでいて甘いその香りは、僕の脳内の刺激を確実に助長していた。


「あ、あの、都さん!?」


 彼女は、僕に寄りかかっていた。決して大きくはないが確かにある胸の感触が、心臓の音を高鳴らせる。


「お願いです。どうか、わたくしと手を組んでください……」


 右耳に甘い吐息とともに、そんな言葉が囁かれた。


「わたくしは……ただ、普通の女の子のような生活をしてみたかったのです。起きる時間も、眠る時間も、勉強も習い事も、――交際相手ですら、押し付けられるような名堂の家から解き放たれて、もっと自由に振る舞いたいと思っていただけですわ」

「……? どういうこと?」

「ああ。ご存じありませんか……。あのゲームは――こんな世界だったらと、何かを強く望む人の前にしか現れないそうです」

「望む世界――」


 僕が望むもの。

 姉さんが、傷つかなかった世界。めんどくせえなと悪態をとりながら、一緒に買い物にでも行ける世界。


「あなたが望む世界と、わたくしが望む世界――」


 ずいと顔をよせ、都さんは僕に近づいた。お互いの鼻息がかかる、唇が触れ合う寸前のような距離感。


「一緒に、叶えませんか?」


 潤んだ瞳で、彼女はそう言った。

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