第11話 悪夢

 翌日。六月三十日の日曜日。

 僕の目覚めは最悪だった。

 なにせ起きた瞬間に不愉快になるほど、汗でシャツがべったりと身体に張り付いていた。それに、夢も見ていた。僕が雛乃を殺す夢だった。


 何度も、何度も、何度も、何度も。

 僕は夢の中で、雛乃に刀傷をつけた。

 首筋に振り下ろし、返す刀で腹を裂き、もう片方の手で彼女の左目に切っ先を突き刺さした。


 夢にしても――ひどく気分が悪くなる。

 自分の脳みそが、忘れるなと警告しているかのようだった。あの時、雛乃を裏切ったことを忘れるな、と。

 姉の姿が脳裏に浮かび、ありえない状況に圧迫され、思わず彼女を手にかけてしまった。あの時は、それだけが生き残る道に思えたが、あの場から離れた冷静な僕は、何か別の方法があったのではないかと後悔するばかりである。


「はぁぁ」


 ため息をつきながら天井を見上げる。こうして何もしないで寝転がっていると、思い浮かぶのは昨日のことばかりだった。

 僕は立ち上がり、シャワーを浴びることにした。そのまま外出着に着替えて、外に出る。


 天気は、腹の立つほどの晴天だった。適当に駅前に出ようと歩き出す。とにかく、気の紛れることがしたかった。カラオケに行こうかとぼんやり思いつく。

 歌うことは好きだ。うまくないとは思うけれど、そんなことは関係がない。ただ、腹の底から声をだし、頭の中のぐちゃぐちゃを外に追い出したいのである。


 カラオケ店へと向かう途中に、公園を通りかかった。そこでは幼稚園から小学生低学年とみられる男の子と女の子が、二人でブランコに乗っていた。

 僕と雛乃も昔、あんな風にブランコに乗っていた。雛乃はうまくブランコが漕げずに、勢いがつくまで僕が背中を押してやるのが常だった。あまりに強く押しすぎると、雛乃は怖いと泣き出しては、ブランコから降りたあとに僕をなじった。けれどすぐに泣き止んで、彼女はまたブランコに乗ると笑うのだ。


 幼い頃の雛乃の笑顔を思い出して、僕はキュッと切なくなった。

 と、勢いがつきすぎたブランコから、男の子が倒れ落ちた。あっと思った瞬間に、その子が泣き出す。隣の女の子が慌ててブランコから降りるが、何をしていいのか分からないのであろう、うつ伏せのまま倒れた男の子のそばでうずくまり、彼女もまた泣き出してしまった。


 僕は彼らに近づいた。そしてしゃがみこみ目線を合わせ、「大丈夫」といって女の子の頭に手を乗せた。続けて、男の子のわきをかかえて起き上がらせる。地面に座らせると、膝小僧に痛々しいカスリ傷があった。


 痛い、痛い、という男の子に、僕は鞄からハンカチを取り出した。水道場でハンカチを湿らせて、膝小僧に当てる。肩をびくりと震わせ、泣き声がひどくなったが、きちんと泥を拭わなければバイ菌が入る可能性がある。本当は消毒までしてあげたいけれど、残念ながら持っていない。このままハンカチを巻きつけて応急処置を終わりにしよう――そう思っていた僕の背後から、影がさした。


「少々、どいてくださいますか?」

「え?」


 声に聞き覚えがあった。振り返ると、派手なカチューシャをつけたセミロングの金髪少女が立っていた。

 彼女は返事も聞かずに僕を押しのけ、男の子の前にしゃがみこんだ。そして、シンプルな茶色のポシェットから消毒スプレーを取り出した。


「ちょっと染みますが、我慢してくださいですわ」


 そう言ってから、頭にぽんと優しく左手をおいて、膝小僧にスプレーを吹き付ける。男の子は辛そうだったが、乗せられた手が安心感を与えるのか、泣き声は大きくならなかった。彼女は消毒スプレーをポシェットにしまうと、続けて絆創膏をとりだした。


「はい」


 ぺたっと、彼女は男の子の膝にそれを貼り付ける。「わあかわいい……」と女の子が声をもらした。絆創膏にはなにやらふわっと手を動かした三匹のパンダと蝶々が描かれており、たしかに可愛らしい。


「よしよし」


 男の子の頭を、彼女は撫でる。「ありがとう、おねえちゃん」とまだ泣き声混じりの声で男の子はそう言った。女の子も、ありがとっと頭をさげる。なんだか、心温まる瞬間だった。


「さて」


 そんな中、彼女が僕を振り返る。モスグリーンの瞳で真っ直ぐに、僕の瞳を射抜く。


「少々、わたくしとお付き合いしてくれますか、『青鴉さん』?」


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