ヤンキー少女のいつかの頃

 両親にとって、七條七海が、七條七夏の『二週目』だと気が付いたのは、一体いつの頃だったっけ。


 私の姉は別にどんくさいというわけではないけれど、何事にもたくさん失敗をする人だった。


 ピアノコンクールでとちって楽譜を忘れることもあったし、遠足にもっていくお弁当を友達に見せてひっくり返したこともあった。スイミングスクールでは昇級試験で足がつって溺れたこともあったし、中学の頃した私立受験は第一希望でおちて滑り止めの中学に入学した。その中学で入った漫研で散々やらかしたのは、当人も親もなかなか詳細を教えてくれない。


 五歳離れたそんな姉を見て、両親は私には失敗はさせまいと、そう想っていたのだろう。


 姉の失敗は散々ッぱら聞かされた。あの子はこういう馬鹿なことをしたから、あなたはしてはだめだよ。私が何かに取り組むたびに言われ続けていたっけね。


 ピアノコンクールで、姉には取れなかった銀賞をとったら両親ははちゃめちゃに喜んだ。遠足に行くときは、私はお弁当はカバンの奥の絶対ひっくり返らないところに詰めた。スイミングスクールでは、昇級試験は一度も落ちることなく一級まで上り詰めた。中学の受験は姉の第一志望のさらに一つ上の一貫校に受かって、入学後は特に部活にも入らなかった。


 私が何か為すたびに、両親は私をこぞって褒めた。『やっぱり七海は七夏とは違うな』が決まり文句。その背後で姉が少しだけ俯いて、悲しそうにしていたのがいつまでも脳裏にこびりついて離れなかった。


 私が失敗しなかったのは、七夏の間違いを全て知っていたから。


 言ってしまえば、ただそれだけで、それ以上の何ものでもなかった。


 部活を何にするかと尋ねられたとき、『まあ、七海は漫研とか入らないわね』と母親に言われてしまって、結局何に入ればいいのかわからなかった。漫画は好きだったのに。


 そんな頃になって、随分、今更、気付いてしまう。


 ピアノを始めたのは、お姉ちゃんがやってたから。『七夏がやったから七海もやるわね』という母親の問いに、何も考えずに頷いただけ。


 スイミングスクールももちろん同じ。中学受験も、本当は地元の友達と一緒に居たかったのに、気付けばそんなことも忘れて、頷いていた。


 全部、お姉ちゃんが歩いた道を、ただ言われるままに歩いただけ。


 間違い方を知っているから、他の子どもよりも要領よくできただけ。当然、先に歩いたお姉ちゃんよりも、うまく歩くことができた、ただそれだけ。


 そういえば、私が自分の意思で選んだことって、なんだっけって振り返っても、ちっとも想いだせなくて。社会科見学の選択制の職業体験すら、七夏と同じものを選んだだけ。


 私っていったい何だろう、と疑問に想った夏の日に。答えを聞ける人は誰も、何処にもいはしなくて。




 そうやって悩んでいたら、『やりたいことやったら?』っていつか誰かに教えてもらった。




 やりたいことって、なんだろう。わかんないよ。私、そんなこと、今まで考えたこともなかったし。


 『え、生まれて今まで、一度もやりたいこと考えたことないの? ありえない』


 え、うん。ごめん……ね?


 『別に怒ってないけど。じゃあ、あれ、後悔とか。やれなかったこととか、そういうのないの?』


 やれなかったこと……?


 『そう。後悔してたら、それって本当はやりたいことがあったけど、できなかったってことでしょ? 逆に考えたら、そこにやりたいことのヒントあるじゃん』


 …………なんだろ。そんな大した後悔、想いだせないけど。


 『別に、大したことじゃなくていいの。どうでもいいことでもさ。ファミチキ頼んだけど、本当はエルチキのほうがよかったなって、そんくらいで別にいいの』


 …………いいの? 大したことじゃなくて。


 『いいんじゃない。やりたいことに、優劣とか、別にないでしょ』


 …………じゃあ、一個だけあるかもしれない。……どうでもいいこと。


 『そう、なに?』


 …………


 『………………』


 この前ね、帰りに友達に会ったら、金髪のぱっきんきんになってたの。もう一人は茶髪にも染めちゃってさ。私の学校、髪染め禁止だから、やっちゃダメなんだけど。なんか別人になったみたいに、凄くてさ。だけど、二人とも全然、昔と変わんなくて、それがなんだか嬉しくてね。変だけど、変わったのに、変わらないのが嬉しくて。私がちょっと変なこと言っても、笑って受け入れてくれて、変わらずに友達でいてくれて。


 『……………………』


 だから、私も二人と一緒のとこに行きたかったな……って。ほんとは、……ダメだけど。もし、できたらそうしたかった……かな。


 『………………ねえ』


 …………なに?


 『


 ………………え?


 『どう考えても、そこがクリティカルでしょ。あったじゃん、やりたいこと。大事じゃんそういうの、なんで無視しちゃったの?』


 ………………だって、お姉ちゃんが受験してたし……。


 『あー、うん、ごめん。今更言ってもどうにも、なんないね。でもさあ、そういうとこじゃない。本当はやりたいことって。どうでもいいなんて言ってたけどさ、私からしたら、そんなのどうでもよくないじゃん。一緒にいたかったんでしょ? じゃあ、何をしてでも一緒に居た方がいいよ。あんたのためにさ』


 ………………そう、かな。


 『そーだよ。なんかぽけってしてるね、君。もうちょっと、自分の心にちゃんとやりたいこと聞いた方がいいんじゃない?』


 やりたいこと……かあ。


 『そーそー、なんでもいいからさ』


 あなたは、あるの? ……やりたいこと。


 『私? 私は……合気道習いたいかな……空手はちょっと向いてなかった』


 ふーん、そうなんだ。合気道とか、するんだ。ちょっと意外。


 『……どー、意外なの?』


 んー、もっと本とかいっぱい読んでるかと想ってた。


 『眼鏡だけで判断したろ今。……まー、読んでるけどさ』


 そ、何読んでるの?


 『別に、てきとーに。芥川賞とか、直木賞とかそういう有名どころを雑食してる』


 ふーん、……面白い?


 『あ―……直木賞のは結構面白いよ? 芥川賞は……なんか変なの多いかな。結局なんだんったんだろ、って話も割とある』


 そうなんだ。……そっか、今度私も読んでみよっかな。


 『んー、そう、下町ロケットとかは結構おすすめかな。……芥川賞はコンビニ人間がまあ、ギリいけるかな……?』


 まあ、私、マンガくらいしか読んだことないんだけどね。


 『よくそれで、中学受験出来たね……?』


 七夏……お姉ちゃんが、漫画好きでさ。そればっかり。国語はあんなの、書いてあることをそれとなく書き換えるだけのゲームだから。


 『名門校のお嬢様は違うなあ……。いや、マンガしか読んでないのか、このお嬢様』


 お嬢様言葉使おっか? えーと、……きんぱっぱになりてーですわー。


 『っ……ぷふ。そんなお嬢様いないって』


 お嬢様って概念がそもそも古いですわよ。おーほっほっほ。


 『そーだね、あ、私そろそろ帰んなきゃ』


 うん、そっか。じゃあね、ばいばい。


 『うん、ばいばい。やりたいことしなよ、どっかのお嬢様』


 うん、そだね。やりたいこと、やってみるよ。








 そんなことを、いつかに言ってもらった。


















 ※



 その後、なんやかんやで中高大まで一貫の私立学校から、わざわざ公立を受け直して、地元の学校に戻ってきた。


 髪もむつきとゆめに、おすすめのお店を教えてもらって、すっかりきんぱっぱになってみた。ピアス穴を開けるときの、あの大惨事は今でもちょっとした笑い話だ。


 お陰様で、親には散々見放されたけど、おかげで今は幾分か気分がいい。


 いつもの図書室で、いつもと同じように本を広げる君の隣に、勢いよく腰を下ろす。


 君は眼鏡の奥の鋭い視線を、少しこっちに向けた後、ああと軽く口を開いた。


 「何持ってきたの、それ」


 それに対して、私はふふふとほくそ笑みながらブックカバーを外しながらその背表紙を君に見せる。そこに描かれているのは往年の少女漫画のタイトルだ。いい加減、図書室での暇つぶしも考えないといけない頃合いになってきたしねえ。


 「んー? 漫画。結構、漫画好きでさ」


 私がそういうと、君は何気なく耳にかかった髪を後ろになびかせた。その様が、夕日に照らされて綺麗だななんて、こっそり一人ごちてみる。


 「ふーん、そうなの初耳」


 そんな君の問いに、私は思わずにやりとほくそ笑んでしまう。ほーん、初耳、初耳ねえ。果たして本当にそうでございますかしらね。


 「んなことないじゃろー」


 私の返しに、君は少しだけ眉根を寄せて、不思議そうに首を傾げた。


 「……本当に初耳だと想うけど。あんた言ってたっけ?」


 当の君は当然、訳も分からないって反応だ。ふふーふ、ま、そりゃそうでしょうねえ。私はすっかり変わっちゃったから、気付けるはずなんてないんだよね。


 「…………んー? やっぱ言ってないかも」


 ばらしちゃってもいいのだけど。多分、みかげにとってあの時の話はきっと他愛もないことで。覚えてなんていないと思う。だから、あえて言うこともないかな。それに私だけがこっそり覚えてるって言うのも、なかなか乙なものだしね。


 「でしょ」


 違和感をさらっと流しながら、君は何気なくそう言って。


 「そだねー」 


 私も何気なく、頷いた。


 やりたいことをやりなさい、そんなどこかの誰かさんの言葉を想いだしながら。


 目の前の君へと、私はにっこり微笑んだ。


 「どうしたの? 変な顔して」


 「んー? いやあ、なんとなく」


 「…………?」


 まあ、もう少しだけ秘密にしていても、罰は当たらないでしょ。


 それから、私は耳元のピアスを弄りながら、うししとこっそり笑っていた。


 「そーいえば、下町ロケット面白かったよ?」


 「そう、そりゃよかった…………って、私、それ勧めたことあったっけ?」


 「うん、昔にね」


 「………………?」


 怪訝そうな君の顔を見ながら、私はこっそり漫画で表情を隠しながら笑っていた。


 何も覚えてない君を見ながら、一人こっそり笑ってた。


 きっと君は覚えてない―――そんな、いつかの記憶を想い返しながら。

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