図書室少女のいつかの頃

 ただ、強くなりたかった。



 独りで生きていけるくらいに強く。



 誰にも脅かされないほどに強く。



 そうなりたくて。



 そうなった。



 だから、私の人生に後悔はきっと、ない。





 ※







 私の人生に強いて歪みがあるとすれば、原因の一つはうちの父親だ。


 今時、時代遅れの昭和気質の人間で、私が悪いことをするとすぐ怒鳴るし殴る。酒が好きで、声がでかい。いいことがあると髪がぐしゃぐしゃになるくらい撫でてくる。


 それに対して、母親もあらあらまあまあみたいな感じで、特にブレーキがかかってないのもまずかった。まあ、別にそれが私の精神に悪い影響をあたえたかっていうと、そういうわけでもないんだけどね。


 殴られると、いったいなあとは想うけど、私のことを考えて殴っているのはわかっていたから、特にそれで不満もなかった。いや痛いけど。あとたまに気分で殴って来るけど。それに第一、私と一緒に出た保育園の親子リレーで優勝したからって、泣きながら一人胴上げするような父親だった。手放しに嫌いになれと言うほうが少し難しい。まあ、相応に鬱陶しくはあったけどね。


 別に父親は間違った父親ではないけれど、まあ、時代遅れの父親ではあった。娘の頭に、困ったらげんこつで解決するっていう手段を植え込んでしまう程度には。


 で、次点で、歪みがあるとするならば、小二の頃に他人の悪口を言う同級生の一人にターゲットにされたことだろう。


 そいつは、まあ姑息な奴だった。あえて先生がいなくなったころを見計らって、なにかとぐちぐちと悪口を言ってくるような。それが大層、うっとうしかったから、私は父親とのコミュニケーションにのとって、我が家では当然の解決に出ることにした。


 つまるところ、言っても解らない奴は、力をもって黙らせる。


 小学校二年生の脚力でも、本気になれば机の一つも吹っ飛んで、ついでに隣の子の机も吹っ飛ばせるのだと、幼心に初めて知った。その時の、クラス中のぽかーんとした顔が、今でも随分と印象に残ってる。


 で、さらにめんどくさくなたったのが、次の日に、そのうっとうしかった奴がとった手段だ。それは、わざわざ男の子を連れてきて私を羽交い絞めにしてから、筆箱をぼろぼろにするというものだった。


 今考えると、ばっればっれないじめ手段だし、さっさと教師に通告でもすればよかったわけなんだけど。残念ながらその当時の私はそこまで頭の出来がよくなかった。全部自分で何とかするものだと勝手に想ってた。


 それから、小学二年生の頭で、ないなりに考えて、現状を打破する手段を模索して。


 模索した結果、結局私の脳裏にあったのは、吹っ飛ばしたあいつの机と怒られるたび私の脳天に振ってきたおやじのげんこつだけだった。これがまあ、全ての歪みの始まりといえばそうなのだろう。


 翌日、私は適当に理由はごまかして母親に空手を習いたいと申告した。


 母親は不思議そうに首を傾げて、父親は格闘技はいいぞと酒を飲みながら愉快そうに笑っていた。まあ、あんたは良いっていうだろうねって感じだった。


 そんなわけで、すんなりと空手道場にはいること、はや三か月。


 無事に、拙いながらもそれなりの格闘技術を会得した小二の私は、ある日、その拳をいじめっこの女子の腹に深々と突き刺していたわけだ。


 いつもどおり羽交い絞めのにしてくる男子の腕を、ふっと力を入れた一呼吸で振り払って。余裕そうな表情の主犯に向けて、無防備なお腹へ道場で練習した一撃を捩じり込むように踏み込んだ。


 恐らく、人生で初めて鳩尾を深く殴られたそいつは、呼吸ままならないままに、しばらく私の足元でえづいていて。私はそれを呆れと軽蔑の視線でただ見下ろしていた。


 結論から言えば、結果は一長一短。


 私へのいじめはそれでぴったりと制止したけど、学校の先生と道場の先生にはしこたまに怒らることになる。武道とは、素人を打ちのめすために磨くものじゃない。自分の心を強くするためにあるもの、だそうだ。


 ただそんなこといっても、嫌がらせを受けている今こそが問題で、当時の私にとってはいじめをなんとかするほうが大事だった。武道の技術は見についたけど、心得はこのころからさっぱり進歩していない。


 ちなみに、問題の親父は私の話を聞くと大いに爆笑して自分の子どもの頃の話を楽しそうに語ってきた。やれ、自分もいじめっこをぶちのめしただの、太極拳をやっていただの。その大層な太極拳で私を殴っていたのかよ、と私は半ば呆れたけど。


 一方の、母親の方はぺこぺこと関係各位に謝っていたが、特段私を責めることはしなかった。二人とも、私の選択は何よりも尊重してくれた。そういう意味では、恵まれた両親のもとに生まれたと言えるのかもしれない。ま、性格はどっちも、いい加減だけどね。


 ただ残念なことに、私に嫌がらせをしていた奴は、クラスでそれなりに中心にいた奴ではあった。性根は悪いけど。おかげでそれ以降、私にさっぱり味方はいなくなってしまった。ただまあ、正直、私の方も大概で、あんなやつの友達とかこっちから願い下げだとかなんとか想っていたりした。


 そんな人間関係があったもんだから、そのうちに母親が読んでいた小説が、唯一の友達になるのにそんなに時間はかからなかった。


 他人が敵になるのなら、それでよかった。


 その分、強く生きていく必要があると思った。そのための努力はなんでかそんなに苦じゃなかった。


 誰かに脅かされないほどに、強く。独りでも困らないほどに、意思を固めて。


 そうやって、小さい頃から、我ながら随分とひねくれて生きてきた。



 



 ※




 あれから、倍近い人生を生きてきて、私はおおむねそのままの姿で成長した。


 相変わらず本だけが友達で、自衛手段として格闘技は続けてる。空手はどうしても、上背や筋力がものを言うので、習っているものは合気道に変わったけど。


 背丈があのころから、大した伸びなかったのはかなりのネックだ。160こえるくらいあれば、色々と選択肢はあったけど、小柄な体躯では有効な技術が限られる。


 友達は相変わらずほとんどいない。当然、同級生のいじめっことはもう随分前に疎遠になっているから、友達は作ろうと思えばできたんだけど。なんだか今更めんどくさくて、わざわざ作ろうとも想わなかった。


 いじめっこを撃退するために、他人のことばかり睨んでいたから、もともと悪い人相が随分と余計に悪くなって。


 お陰様で、人があまり寄り付きたがらない見た目になった。


 ただそんなんでも、学校という場所は勉強の義務さえ果たしていれば誰も文句はいってこない。


 友達の一人も連れてこないことを、たまに親が心配そうに見てくるだけだ。


 そうやって、小学校から高校に至るまで、本ばかり読んでいた過ごしていた。


 眼が悪くなるのも、さもありなんって感じだね。かけた眼鏡が、眼つきの悪さを助長しているのも、確かだけど。


 でもまあ、別にそこまで後悔はない。


 私やりたいようにやってきたし、自分の道は確かに自分で選んできた。


 最初のつまづきは運が悪かったとは想うけど、今更わいわいと人と騒げるような質でもないし。


 これでいいとそう想う。


 そうして、独りで積みあげたちっぽけで堅牢な城の中、小説だけを友人にして玉座に鎮座するかのように。


 私の積み上げた安寧が、確かにそこにあるのだから。


 これでいいと、そう、想う。


 そう、想っていたのだけど。


 たまに。


 少しだけ、たまに。


 堅牢に、物理的に、精神的に、社会的に、ただ堅牢に創った私という城の中で。


 誰も私の隣にいようとなんてしないことに。


 少しだけ……嫌気が、差しながら。


 それでも、私は今日に至るまで、後悔をせずに生きてきた。





  ただ、最近はそういえば。




 「みかげはちっこいねえ」


 「なに? 喧嘩売ってる?」


 「いや、売ってないよ。バーサーカーか、君は」


 「一般的には他人の身体的なコンプレックスに言及するのは、喧嘩売ってる判定なはずだけど?」


 「さーよーか。そら、すんませんなあ。私としては、ちっちゃくて可愛いねえという意味で言ったのだよ」


 「ああ、そう」


 「ちっちゃいと抱きしめやすいねえ」


 「抱きしめるていで、胸触ったら、私はこのまま『跳ぶ』からね?」


 「んなことしたら、私の顎がけつあごになっちゃうよ……」


 「そもそも、その抱きしめ方がおかしいんじゃないの?」


 「えー、いや丁度いいにおいがするもんでして、あと身長の加減がちょうどいい」


 「おし、やっぱ、跳ぶか」


 「ごーめん、ごめんて。肩に移動するから許して」


 そう言って、私の背後をぴったりと密着していた七海は、そっと私の肩に自分の顎を乗せてきた。


 まったく、いったいこんなことして何が楽しいんだかね。


 わからないから、いつも通り、多分に呆れて。


 わからないから、仕方ないなと軽く笑った。


 そうやって、無駄にべったりと引っ付いてくる同級生に呆れながら。


 帰りのほかに誰もいない廊下を、二人でだらだらと歩いてた。


 高く高く積み上げた、壁の中。


 強く強くと鍛え続けた、城の中。


 それが何故か、今は、少しだけ騒がしい。


 どこかの誰かが隣に移り住んできたものだから。


 

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