第28話 予定外の残業

 「牧ちゃん帰り際で悪いけど、今日、何か予定入ってるかな?」


 「いえ、特にはありませんけど・・・・・」


 時計は17時47分。牧野は本日の処理を終えて、デスクの上を片付け始めていた。いつまでもPCのキーボードを叩き続けている山田の様子に、なんとなくイヤな予感がしていた。


 『今日は予定が入っています』


 本当は、そう言いたかった。しかし、まだ4月に入社したばかりである。本音なんか言えるだけの余裕はまだない。


 「そうかぁ助かった。人事事務のヘルプ頼めるかなぁ。実は明日、休暇取って友だちと遊びに行く予定なんだ。だから明日の分、徹夜してでも今日中に片づけておきたいんだ」


 人が良い山田は、牧野の返事を真に受けてもうすっかりその気になっている。


 『何で私が、山田さんの遊びの休暇のために、残業を手伝わなくちゃいけないの?今日は大事な日なのに、ふざけないでよ』


 心の中では精一杯文句を言っても、残念ながら返事は決まっている。


 「はい、わかりました。何か私にできることならやらせていただきます」


 「ありがとう。本当に牧ちゃんって優しいね。今度、お昼ご馳走するからね」


 人が良いのは間違いない。しかし、仕事は遅い。決してできないわけではないが、計画性が無くスピード感は欠落している。


 しかも責任感の欠片もない。ビジネスなのだから、賃金やポストに対応する働きを求められるのが、仕事本来の姿であるべきなのに。


 山田は一流大学を卒業し、入社当初、社内では将来を期待されていたが、事務能力もせいぜい標準レベルな上に上昇思考もないため、現在は庶務係の主任を務めている。


 数人いる入社同期の仲間たちは、既に管理職を担っている者もいる。同期で係長になっていないのは山田一人である。


 毒にも薬にもならない、そんな山田の性格が幸いしてか、職場の雑務を支えるお年寄り連中からはそこそこ評判が良いようだ。


 牧野は山田を嫌っているわけではないが、職場の先輩としては尊敬に値しないと考えている。


 人事の仕事は職場においても限られた者しか従事できない。一般的には庶務課長、庶務係長、人事担当者であるが、人事事務の実情は人事担当者が大半の処理を行い、係長は点検のために目を通し、課長が最終的に決定する。


 まだ入社したばかりの牧野にとって、人事事務の中身や職員別の評価などに関心は大きく、いつか人事担当者になりたいと密かに思っていた。


 本当はデートの約束があるし、仕事の手伝いなど嫌だったが、人事事務の手伝いには若干の興味があった。

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