15 話すことがいっぱいある

 子供将棋大会(のあとに登坂さんとプロ棋士が指した日)の次の日。登坂さんが教室にこないので、昼休みに保健室を覗いてみたが、登坂さんは来ていないという。

 教室に戻ると、先生が登坂さんにプリントを届けてくれる人を探していた。登坂さんは軽い風邪らしい。

 クラスメイトは誰ひとりとして、登坂さんにプリントを届ける仕事を請け負ってくれないようだったので、家の方向こそ違うが僕が引き受けることにした。


「いいのか真殿。お前家の方向逆だろ」


「でも将棋同好会で一緒なので」


 担任の沖田先生はしみじみと納得してくれた。でも僕は登坂さんの家に行っていいのか分からなかったので、放課後登坂さんにメッセージを送った。

 登坂さんはすぐ返事をくれた。もちろん来て構わないという。風邪っぴきにしてはシャキシャキと返事をよこすなあ、としみじみ思っていたら、風邪は仮病だよ、と「ニヒヒ」の聞こえそうなメッセージをくれた。


 ……登坂さんの家にいくのはこれが2度目だが、登坂さんの家を見ると登坂さんちマジもんのお金持ち……? となってしまう。

 思わず立派な門の前で立ち尽くす。ふと我にかえってインターフォンを鳴らすと、登坂さんのお姉さんにしては歳がいっていてお母さんにしては若い女の人が出た。お手伝いさんのようだ。

 プリントを届けにきました。そう言うとお手伝いさんは玄関を開けてくれた。プリントを渡して帰ろうとすると、登坂さんが走ってきた。シンプルなパジャマを着ていて、髪は寝ぐせだらけだ。

「マドノくん、ちょっと待って。話すことがいっぱいある」


「え、で、でもだめだよ、女の子の部屋にお邪魔するなんて」


「お手伝いさんがいるからやましいことは出来ないのは間違いないでしょ?」


 それもその通りだ。とりあえずお邪魔することにした。登坂さんは自分の部屋に通してくれて、お手伝いさんがお煎餅とお茶を持ってきた。


「プロと勝負したの、どうだった?」


「うん、最初は手加減してるなーって思ったけど、最終的に二枚落ちとはいえ全力勝負になって、わたしが圧勝した。思い出せば思い出すほど楽しい将棋だった。だから学校サボって並べてた」


 それはよかった、と思った。でも登坂さんはまだ言うことがあるようだ。


「で、その棋士の先生に、なんで研修会に入らなかったの、こんなに強いのにって言われちゃってさ。親が許してくれなかった、って言って悲しい顔させちゃった」


 そっちが本当に言いたいことのようだった。


 登坂さんの部屋を見渡す。壁にはアマ六段の免状が飾られていた。


「免状ってすごい高いんじゃないっけ」


「当時存命でやや認知症気味だった祖母を騙して、お茶の免状だって思わせて手に入れた」


 登坂さんはニヒヒと笑った。


「そうだ、東京の大学に行くお許しが出たよ」


「マジ?! すごいじゃん!」


「セキュリティばっちしの女子寮のついてるとこ見つけてさ、あのバカ高のカリキュラムでもなんとかなりそうなとこだったし、ここに行きたい、行って数学勉強したい、って言ったらお許しが出た。これで女流アマ名人戦に参加できるぞ!」


「そっか。よかった。男のアマ名人がプロへの編入とかやってるけど、そういうこともできるの?」


「無理じゃないかな。アマ名人っても女じゃお話にならないよ。でも自分より強い人と勝負できるだけで充分だからさ」


 本当に、登坂さんは自分より強い人と勝負したいという欲求があって、東京に行きたい、と思ったのだろう。


「まあ4年間自分より強い人と勝負できればそれで充分。そのあとは就職するのかな。どのみちすぐこっちに帰ってきて適当に結婚するんだろうけど、そうなったらそうなったでやることあるしね」


「やること?」


「うん、うちの親のやってる縫製工場、フィリピンとか中国とかから出稼ぎの女の人いっぱい来ててさ、その出稼ぎの人たちに将棋教えて職団戦に出たいんだ」


 職団戦って職場ごとにチームを組んで行う将棋大会なんだよ、と登坂さんは笑顔だ。


「将棋フォーカスとか観てるとやっぱり男の人のチームが多そうでさ、それも都内の一流企業とかそういうとこばっかりなんだけど、もし地方の縫製工場の出稼ぎ外国人女性で組んだチームが勝ったらすごいことだと思わない?」


 確かにそれはその通りだ。登坂さんはニコニコしている。

 そしてきっと登坂さんはそれができるという確信があるのだろう。登坂さんは実際教えるのがとても上手い。


「確かにそれはすごい。将棋、面白いからきっと出稼ぎの人たちにもいい気晴らしになるんじゃないかな」


「福利厚生ってやつだ。夢はいっぱいあるよ。だから心配しないで」


 登坂さんはニヒヒと笑った。

 心配しないで、と登坂さんは言った。登坂さんは登坂さんの人生を生きている。僕が代わりに嘆いたり怒ったりしてもなんの意味もないのだと納得する。


「登坂さんがそれでいいなら、僕もそれでいいよ」


「……あのさ。マドノくん、高校生やってる間だけでいいから、本当に彼氏と彼女みたいにしようよ。手を繋ぐとか、買い物行くとか、そういうの。いまやらなかったら一生やらないと思うから」


 登坂さんの急な申し出に、僕はとてもびっくりして、えーと、と言葉を探す。

 いいよ、と答えるまで、少し時間がかかってしまった。登坂さんは花が咲くような笑顔になった。

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