第2話『岸野陽花里と日時計公園Ⅱ』

『サトルくんの家に日時計があるんだ』

『いや、家にはないよ、学園に行く途中にあるコンビニの隣の小さな公園の中にあるんだ』

『小さな公園、通学路にあるコンビニの隣に公園なんてあったかな』

『多分コンビニ違いだね、最寄り駅は学園前から一駅分くらい離れているから』


 俺の家から学園まで二駅、その中間地点にある公園なので一駅分は離れている。


『家を早く出て、学園に行く前に日時計を眺めるのが好きなんだ』

『そこで缶コーヒーを飲んでるの』

『そう、できれば缶コーヒーを飲むのを毎朝のルーティーンにしたいんだけど、財力の都合で一週間に一回って決めてるんだ』

『素敵なルーティーンだね、そのことを知ってる人っている?』

『いや誰も知らない、聞かれもしないで人に話すことでもないし』

『そうなんだ、あ、あの、サトルくん』

『なに?』

『もし、よかったらだけど、私も行っていいかな、朝の日時計を見に』

『俺が拒否する権利なんてないよ、公園の中にある物なんだから』

『よかった、じゃあ向こうに帰ったら絶対一緒に見ようね、約束だからね、その時は私に缶コーヒーの飲み方教えてね』

『缶コーヒーに飲み方なんて無いよ、でもわかった約束する。あっちに帰ったら二人で日時計を見よう』

『うん、楽しみにしてる』


 あれー、幻覚の中で誰にも教えていないと思っていた一週間に一回の日時計や缶コーヒーの事もバッチリ教えているんですけど。


 それに、ヘタレの俺とは思えない大胆な約束を岸野さんと交わしている。

 いやいや、でも、幻覚の中での出来事だよな。

 そうか、岸野さんが公園に現れた所から幻覚が始まっていたのか、それなら納得できる。


「私は幻覚じゃないよサトルくん」

「へ?」

「声に出してたよ」

「マジ?」

「うん、マジ」


 真顔で断言する岸野さん。

 本当に、今目の前にいる岸野さんは幻覚じゃなくて本人なの。


「うっすらとでも覚えていてくれたんだ、約束のこと。仕方がないってわかっていても、忘れられるのはショックだったんだよ」

「え、約束?」


 幻覚の中では確かに約束をしていましたけど、あれってまさか過去の出来事ってそんなわけない。


「でも、切っ掛けがあれば思い出す可能性がある。これは朗報だね」

「すみません、まったく岸野さんが何を言っているのか理解できないのですが」

「ううん、今はいいの、でも一つだけ覚えていて欲しいことがあるんだ」

「な、なんでしょう?」

「私は、私たちは、どんな時でも君の味方だから、絶対に裏切らないから、そのことだけは覚えておいて」

「え、ああ、うん」


 また、一瞬だけ岸野さんの姿が鎧姿の騎士に見えた。


 それから会話をすることもなく、二人の間に飲みかけの缶コーヒーを置いて、一つのベンチに少しだけ離れて座り日時計を眺めていた。


 憧れの女子が隣にいる。


 落ち着かないと思ったのに、何故か心が安らかだった。


 自分を守るため、彼女との距離を自然と離すためにわざと間に置いた缶コーヒーが邪魔に感じるほど、岸野さんの隣に座ることを体が覚えているみたいだ。


 何もせず日時計を眺めているだけなんて、俺は好きだけど岸野さんは暇じゃないかなと表情をうかがってみれば、優しい笑顔で日時計を見つめる姿があった。その姿は長い闘いを終えて帰ってきた歴戦の戦士が浮かべる表情と表現したくなるほどの強さを内包した穏やかさがあった。


「どうかしたの」

「え、な、何でもない」


 横顔を眺めていたら彼女もこちらを向いたので視線がばっちり合ってしまった。

 隣に座るのは平気だったのに目が合うと体温が急上昇する。俺の体はいったいどうなってしまったんだ。


「残念だけど、そろそろ学園に行く時間だね」

「あ、ホントだ」


 時間を確認すると日時計の影は走ってギリギリ間に合うかどうかの時間を指していた。


 おかしい、時間経過がいつもよりもかなり早く感じてしまった。

 俺はどれだけ彼女の横顔を眺めていたんだ。

 岸野さんが立ち上がるのにつられて俺も立ち上がり、置かれていた缶コーヒーの中身を残さないように一気に飲み干して、あ、これ、さっき岸野さんが口を付けた缶コーヒーだったと思い出す。


「早くいこう、もう走らないと間に合わないよ」

「そ、そうだね」


 備え付けのゴミ箱、ちゃんと缶と分類されている所に入れて、岸野さんと走り出す。


 公園を出た直後に公園を紫の膜が覆う。なんだこれ、また幻覚なのか。


「止まっちゃダメ、一気に走るよ」


 腕を引かれて全速力に近いスピードで走り出す。

 岸野さんってスポーツ万能なのは知っていたけど、男子の俺より明らかに足が速くありませんか。


 全速力で走っていると、前方にウチの制服を着た女子が一人、顔には覚えがあるクラスメートの伊賀野いがの帆影ほかげさんだ。遅刻しそうな時間なのに彼女は急ぐでもなく、腕を組んで佇んでいる。


 長い前髪で片目を覆い隠しているウルフカットのミステリアスな女性、教室でも誰かと話ている姿を見たことが無く、休み時間になるといつの間にかにいなくなっている一匹狼女子。

 彼女に至っては挨拶すらしたことが無い。

 そんな伊賀野さんが見えている片目で岸野さんとアイコンタクト、かすかにうなずき合うと、公園へと足を向けた。


「サム、また後でね」

「え?」


 すれ違いざまに伊賀野さんは俺へ声をかけてきた。

 全速力中だったので返事もできなかったけど。


『あんたの背中は私が必ず守る。だからサムは前だけを見ていて』


 もう、どうなっているんだ、幻聴を聞くのも慣れてきたぞ。

 腕を引かれたまま、俺たちは一駅分の距離を全力で走り抜けた。途中の信号も運良く? 全て青だったので一度も立ち止まっていない。


 止まったのは校門についてから。

 周囲の視線がとてつもなく降り注いでいます。


 そりゃそうだ、学園でもトップスリー確実の美少女に腕を引かれて現れた平凡男子。このミスマッチの組み合わせを見ない方がどうかしている。俺が逆の立場だったら、間違いなく凝視している。もしかしたら怨念まで込めていたかもしれない。


「けっこう余裕で間に合ったね」

「うそ、ホントだ」


 走っても間に合うかわからない時間だと思ったのに、到着してみれば、五分以上の猶予があった。途中の信号機が全て青だった事を差し引いても計算が合わない。


 思い返してみれば、全力でずっと走っていたよな。


 岸野さんは息も乱れていないし、汗一つかいてないから忘れていた。ああ、それだったら、俺も息乱れてないぞ、汗は、視線が集中した時に流れ出た冷や汗だけ。

 明らかに体力までおかしなことになってる。

 だけどゆっくり考察している余裕はなかった。

 隣にはずっと岸野さんがいるから、降り注ぐ視線が弱まらない。


 下駄箱で靴を履き替え、クラスメートだから向かう教室も同じ、イコール、教室まで並んで歩く。

 結果、教室の中でも多くの視線が飛んできた。ほとんどが驚きや妬みの感情だったのだけど、ごくわずかに、腹を抱えて笑う白髪不良や、あきれてかぶりを振る反応を示す男子が二人ほどいた。


 まだ、まったくわからないけど、二日前、教室で爆発が起きてから俺を取り巻く環境は大きく変化したことは間違いない、と思う。


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