第1話『岸野陽花里と日時計公園Ⅰ』

 教室での白い衝撃後に集団誘拐事件から二日。

 学園の方は大事を取って一日休校となっていた。


 あの意味不明の事件から初の登校日。


 俺はいつも通り早めに家を出る。このまま真っすぐに学園に向かえば間違いなく教室に一番乗りすることになるが、寄り道をするためなので一番乗りはありえない。

 学園はあまり好きではない、激しいいじめなどは受けていないが、俺のような気弱な人種は不良たちには得物に見えるらしく、視界に入ったらからまれる。


 からんでくる比率が一番高かったのが、あの事件でいきなり白髪頭になった盾崎であった。

 盾崎はとても怖い、一昨日は急に優しくなって驚いたけど、二度と顔を見たくないと思うほどには恐怖の対象だった。それでも不登校にならず学園に通い続けているのは、女手一つで俺を育ててくれている母さんが、必死で学費を納めていてくれるからだ。


 そんな母さんがくれたお小遣いをカツアゲされて、何もできない自分が腹立たしかった。


 だけど、二度と返ってこないと思っていたお金が一昨日返金された。

 不思議だ。

 嬉しかったけど、不思議だ。


 あの白い衝撃の後から俺の周囲が明らかに変化している。体の傷痕や今朝の夢を含めて時間が経過するにつれて不思議が増えていく。


 それでも玄関を出て感じる風は今までと変わらない、俺は遠回りしながら学園を目指す。途中、あまり混んでいない行きつけのコンビニに入り、微糖の缶コーヒーを購入してすぐ隣の公園へ。


 缶コーヒーは七日に一度の楽しみだ。毎日飲みたいけど、一缶百円もするので毎日飲むのは俺の財力じゃ無理。

 二度目のカツアゲにあってから財布の中には五百円くらいしか入れないことにしている。


 お昼は最安のノリ弁しか買えないけど、持っていても取られる可能性があるので我慢だ。たまにはから揚げ弁当を食べたいけど、我慢している。そのおかげで七日に一度の缶コーヒー微糖が楽しめるのだから。


 コンビニの隣の公園。小さな公園。

 遊具もブランコが二つに、小さな滑り台とそれにくっ付いている砂場、そして小さな日時計があるだけ、あとはトイレとベンチ以外無い。


 朝の早い時間は誰も立ち寄らない俺のお気に入りスポット。

 日時計近くのベンチに座り、遅刻しないギリギリの時間まで、その日時計をのんびり眺めるのが好きな時間。


 俺の家から学校までは徒歩で三十分程度、電車に乗ると二駅。

 母さんは俺に定期代を渡そうとしたけど、健康のために歩くと断った。大雨の日などは大変だけど、まだ一度も電車に乗ったことは無い。この公園に立ち寄ると到着まで一時間以上かかってしまうが、それを見越して早めに家を出ている。


 プルタブを起こして、ゆっくりと缶コーヒー微糖を味合う。

 わずかな甘みを感じた後にくる苦味。

 いつもならこれで目が覚めるのだが、今日はとてつもない夢を見た影響で目はしっかりと最初から覚めている。


 俺だけのお気に入りの場所、だったはずなんだけど、今日は珍しくこの公園に足を踏み入れる人物が現れた。

 あれ、俺の視線は日時計に向いたままなのに、見えていない公園の入り口から人が入ってくる気配を感じ取ってしまっているのですが、俺に気配を読む能力なんて無かったはずなんだけど。


「これがサトルくんのお気に入りの日時計か、小さくてかわいいね」


 現れたのは、今朝の夢の中で主演女優を演じていた岸野陽花里その人だった。


「一週間に一回って聞いていたから、合えないかもって思ったけど、会えてよかった。おはようサトルくん。目覚めの缶コーヒーを飲む姿、さまになっていてかっこいいよ」

「お、おはよう」


 な、なななななななな、なんでここにいるの。


 一週間に一回を聞いた。誰に、俺は誰にも話したことないぞ。

 一昨日から連続パニック記録更新中だよ。

 挨拶だけでもよく返せたな俺、あの岸野さんにかっこいいって言われてしまったぞ。


「よかったら、飲んでみる」


 ちょっと待て、なんで飲みかけの缶コーヒーを差し出しているんだ。

 パニックで脳と体が切り離されたのか。

 男子の飲みかけなんて、しかも俺の飲みかけなんて、あの岸野さんが受け取るわけないだろ。

 まだ間に合う。急いで差し出した手を引っ込めるんだ。


「いいの、ありがとう。気になってたんだ」


 受け取りました。

 そして口に運んで飲みました。

 白い喉が動いたので、間違いなく、あそこの食道は液体を通過させています。


「ありがとう、はじめて飲んだけど、思ったより苦くなかった」

「微糖だからね、俺もまだブラックが飲めるほど大人になってない」


 間接キッス達成、こんぐらっちれーしょん。


 これは幻覚だ、そうでないなら夢の続きだ。

 これは現実ではありません。

 だってほら、一昨日から見るようになった鮮明な幻覚がまた見え出したぞ。


『なあ、そろそろ昼の時間だろ、メシにしようぜ』

『まだそんな時間じゃないよタンガ、あと二時間は頑張ってくれ』

『マジかよ、くそ腹減ってきたぞ』


 悪態をつきながらも、あの盾崎が俺の指示に従い大盾を持ってみんなの先頭を進み木々を払いのけ、道などない森に道を作っていく重労働を一人でこなしていた。

 すごい幻覚、次第に思考や手足の感覚が幻覚の中の自分と重なっていく。


『腹減ったぞー』

『昼はヒカリの手作りだから、それを励みにがんばれー』

『ヨシカのメシじゃねえのかよ、ヒカリのメシじゃ励みにならねぇぞ』

『なんて贅沢な奴だ』

『ちょっと、私のお弁当じゃ励みにならないってひどい、確かにヨシカの方が料理はおいしいけど私だって一杯練習したんだから』

『その練習台になったのは誰だと思ってやがる』

『主に俺だな』


 ヒカリの手料理は誰よりも先に俺が確保していた。


『まあ、サトルには適わないけど、俺だってけっこう食ったぜ失敗作』


 あれは失敗作ではありません。成功への試作品です。


『感謝しています。でも今回は本当に自信作だから期待していいよ。どうしてもお昼まで我慢できなら、先頭を少しの間変わってあげるけど、干し肉もあるからちょっと食べる』

『冗談じゃねぇぞ、これは俺の仕事だ、体が動く間は誰にも譲らねぇ』


 タンガは盾役としてパーティーの先頭を歩くことにプライドを持っている。大変な作業なので悪態をついたり、後ろの仲間に愚痴を言ったりはするが、そのポジションを譲ることはなかった。ようは淡々と道を作る作業が暇になって話し相手が欲しくなったのだ。


『サトル、昼メシの時間になったらすぐに教えろよ』

『了解、了解、わかってるって』

『すごいよねサトルくん、どうして時計も見ていないのに正確な時間がわかるの』

『正確な時間まではわからないけど、現在地と方角、あとは俺のジョブの影法師スキルを応用すれば、誤差十分前後で時間が割り出せるんだ。このスキルが無かったら日時計好きの俺でもここまで正確な時間は出せない』

『サトルくんって日時計好きなんだ』

『うん、缶コーヒーを飲みながらわずかに動く影の形を見てるのって、とっても落ち着くんだ』

『なるほど、だから最強の影法師のジョブを手に入れられたんだ』

『影法師なんてぜんぜん最強じゃ無いだろ、このジョブのおかげで最初の頃は酷い目に合わされたし、皆にはバカにされるしで散々だったぞ』

『そんなことない、私は一度もバカにしたこと無いから、皆って部分は訂正を要求します』

『ごめん、訂正します』

『よろしい』

『でも、影法師が最強じゃ無いってことは訂正しないよ、最強なのはヒカリの聖騎士だから』

『頑固者だね』

『これは頑固ではありません、事実を言っているだけです』

『まったくもー』


 ものすごい幻覚だ。

 間違いなく、ここに登場しているのは俺、夷塚悟である。

 あの岸野さんと、はたから見ればまるでラブコメのような会話を繰り広げている。

 そして、幻覚の会話はまだまだ続いていく。

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