雷と雨の血闘



この顔、この獲物、私が間違えるはずもない、彼女こそが探し求めていた人物だ、コイツの名前はレオーネ=ラトゥス!


刀に手が伸びる。


「……」


だが刀身は未だ見えないまま。


それは決して寝込みを襲うことに対する忌避感ではない、もし手を出せば直ちに反撃が行われるだろうことが肌で感じて分かるからだ。


無様を晒し気を失っているマヌケ、闇討ちなど容易かのように思われるが決してそうじゃない、むしろこんなザマでありながら『今の今まで生き延びていられる』事の方が重要だ。


圧倒的な優位なはずなのにどうしてか命を取れる気がしない『止めておけ』と全身の細胞が告げている、さもなくば生命が脅かされる。


——後ろに下がる。


これは形を変えた自殺だ、達人が作り出す剣の結界と何ら変わらない。


直接攻撃するのは愚行と断じる、かと言って見逃す訳にもいかない、ならばどうするか……!


——キンッ。


鞘走り、はるか上空にて轟く雷鳴をも撃ち落とさんと刃が煌めく。


そして一瞬の静寂の後、壁、床、天井に無数の亀裂が生じる。


——崩壊する洞窟。


広げた間合いはこの為のもの、自分まで巻き込まれぬよう確保した外への退路、私は豪雨の吹き荒れる平原へと転がり出た。


ザァァァァ……。


打ち付ける雨粒、冷える体、そして物理的では無い明らかな寒気が魂を貫き抜けていった、やがて圧殺し切れなかった剣気が爆発する!


——ドンッ!


崩落に埋もれたはずの洞窟が叫び声をあげる、降り掛かる質量の尽く跳ね除けて、で姿を現すレオーネ=ラトゥスと共に。


異様な気配を漂わせる彼女の大太刀は、周囲の光を吸い込むか如く妖しさで、傷ひとつ曇りひとつ見られない。


「……卑怯者」


こんな土砂降りの雨の中でもハッキリと分かる、あらゆる憎悪を敷き詰めたような眼差しが、雨粒を透過して私を射抜く。


「我が敬愛するお方を殺したのみならず、あまつさえこの私まで手にかけようとするだなんて」


ザリ……ザリ……。


耳に障る嫌な足音、発散された重圧はのしかかる水の重みを忘れさせる。


「任務があった、必要があって屋敷を離れた、だが帰る頃にはそこは地獄に変わっていた、一体誰がこんなことをやったのか」


——フッと姿が掻き消える。


「……ッ!」


ガギィィィン!気付いた時には目の前に!


「見付けたぞ、地獄に残ったお前の気配、私は追い求めついに目の前に!


許さねー、こんな私がようやく安心していられる場所を奪ったお前を、決して洗い流せない罪を犯したな剣士!なんもかんも砕けてなくなれ!」


この頃には既に、先程彼女が見せた醜態のことなど頭の中から吹き飛んでいるのだった。


※※※※ ※※※※ ※※※ ※※※※ ※※※※


——ザバッ!


両者共に距離を取る、振り上げた刀に払われた雨粒が飛沫となる。


視界も悪く、足場も定かでは無い、この劣悪な環境下での死闘は幕を開けた。


——並走する。


お互いを睨みつけ合いながら、一定の間隔を保って雨の平野を駆ける。


こんなにも耳障りな音が鳴り響いているというのに、ここはまるで風がない日の海のよう、いっそ不気味な程に静まり返った空間は、ある時を境に生き物のように牙をむく。


そう、こんなふうに。


——ガッ!


「く……っ」


受け止めた刃、、予兆もなければ気配もない、よもやこの距離で不意打ちを許そうとは。


すぐさま受け流して反撃に出る、体を僅かに捻って余分を作り、すれ違うようにして切り抜ける。


だがすれ違う一瞬、奴は肩で私のことを押し出しバランスを崩させた。


——頭蓋に響く危険信号!


膝を折り、頭を下げ、しゃがみ姿勢から一回転、木の葉が風にヒラリと煽られるが如く。


足元の草がちぎれ飛ぶ、大量の水しぶきと共に、しかしそこに人の血の赤は混じっていなかった。


手応えがないことを確認すると同時に、私は後ろにゴロリンと転がった。


——ヒョウ!遅れて耳に届く風切り音。


刀を前に突き出し隙を作らぬようにしつつ、低い位置で構えて下から奴の顔を睨む。


同じく、私より高い位置で構えを取るレオーネはこちらの全身を注意深く観察しており、安易に攻め入るような真似はしなかった。


——ゆっくりと立ち上がる。


そしてすり足、相手の左側に回り込むようにして、円を描きながら床を滑る。


軸を合わせるレオーネ、幾度となくフェイントが仕掛けられる。


しばらくお見合いに付き合うと、またしても何の気配も感じさせずに奴が先手を取った。


——切っ先が持ち上がる。


死角から、真下から、それはまるで上着を羽織り直すかのような自然な動作で、大太刀の長いリーチを存分に活かした急襲。


視界不良であることを差し引いたとしても、その技の美しさたるや思わず見惚れてしまうほど。


ギリギリで正中をズラし、迫る刃に刀の腹を添えて退ける。


額には冷や汗が浮かんでいる、今の一瞬のゾクッという嫌な感覚、死にかけたという事実がこれでもかと突き付けられている。


接触する互いの獲物、力の掛け合い、技の応酬。


相手を出し抜き有利を取る、蹴落としのし上がり、回避不能の痛手を与える、そのための足掛かりを作るべく行われる攻防。


傍から見ればなんの変化も見られないだろう、だが実際にはごく微細な力の加減によるやり取りが繰り広げられている。


——ギャリ。


「……ッ!」


一連の攻防を制したのは向こうだった。


押し退けられ、抑え込まれ、そして弾かれる。


そこまでの動作は非常に無駄がなく、抵抗の余地もないだけ完璧にコントロールされたものだった、私の刀はあらぬ方向に逸らされる。


——ス。


肉の中を異物が通り抜ける、咄嗟に体を傾け盾に使った左肩、辛うじて切り飛ばされずに済んだ腕が瞬く間に血で染っていく。


足の入れ替え、また入れ替え。


隙を最小限に抑えて距離を取り、続けて繰り出される正確無比な連撃を捌く。


相手の呼吸を見切って反撃に移行!後ろ足で地面を蹴って片手突きを放つ。


——ビッ!


奴の胸の辺りが斜めに裂ける、驚いた様子の奴はしかし動揺を晒すことはなく、すぐさま次なる一手へと移った。


奴は掴んだのだ!私の刀を!素手で!


馬鹿なことをと思う間もない、奴は掴んだ刀をグイと捻りあげることで私が力を加えられぬようにし、間髪入れずに刀を突き出した。


抵抗できない、防ぐ手立てがない、刀を離して次の一撃を避けたところで、そこから先の未来は真っ赤に濡れている。


攻撃は不可能、回避も不可能、いちかばちかの肉切骨断も狙えぬときた、ならばどうするか。


——土壇場の思いつき。


溢れ出る泉のようなインスピレーション、生命があげる雄叫び、師匠から教わった剣術が今、生身を得て胎動を始めた!


掴まれた刀を作用点とし技をかける。


——グンッ。


「……!?」


いきなりバランスを崩され焦るレオーネ、彼女は自分の力で制圧したはずの細い刀によって足元を掬われたのだ。


私は足を持ち上げ、にあった奴の顔面を思い切り蹴り抜いた。


——ガッ!!


足の裏に衝撃が伝わる、迫っていた切っ先が失速した、捕まえられていた刀身が解放され自由となる、蹴られた勢いで大きく仰け反るレオーネ。


「——むん!」


そこから一呼吸も置かずに加速、距離を潰して刀を振り抜いた。


……だが、奴は。


——パキィィィィン!


顔面にぶち食らわされた一撃を意地とプライドによって対処、衝撃に身を委ねることで幾分その勢いを殺し、そのまま長大射程を誇る大太刀を遠心力に任せて振っていたのだ。


力と力のぶつかり合い、衝突する鉄の塊は互いの推進力を打ち消しゼロに還った。


——されど条件は同じでない。


下から睨めあげるような血みどろの奴の顔が、憎しみなどという言葉では到底言い表せないほどの暗い魂の炎が、稲光の向こう側に一瞬見えた。


同程度の力同士がぶつかった場合、それはより質量のある方が有利となる。


即ち、迎撃にあったのは私の方だ。


衝突に際し封殺される推進力、叩き落とされる私の刀、だが奴の獲物は空中にてピタリと挙動を止め、確かなアドバンテージを得た。


切っ先が空に弧を描き、斜めに振り下ろされる。


——ザン。


袈裟に入る一本線、遅れて頭上に掲げた刀、神経をガラスの破片ですり潰したような途方もない痛みが脳髄を貫く。


訪れる脱力感、じわじわと着物を濡らす血液、膝を着きそうになるのをグッと堪えて踏みとどまり、切られた直後の体に鞭を打つ。


振り下ろされたこの一撃は必殺を狙ってのもの、いくら打撃を受け流したとはいえアレは決して誤魔化せるダメージでは無い。


常人には考えられないような苦し紛れ、百人居れば百人が切り殺されるであろう土壇場の馬鹿力、その爆発力、目を焼く火花。


——無論、それはこちらも同じ。


我が肉体を切り裂いた奴の大太刀は、そのまま地面へ吸い込まれた、低い位置にあるそれは決して長くは留まらないであろう。


だがしかし、今この瞬間においては、抵抗の足掛かりとして持ってこいだ。


——踏み付ける。


上から刀の背を踏み付ける、そうして持ち上げを阻止し半ば倒れ込むように肉薄、奴の刀の持ち手を捕まえて引き込み、胸に剣をぶち込んでやる。


「がは……ッ!」


肩で奴の体を押して反動を貰い、突き刺した刀を勢いよく引き抜く。


血が吹き出し、奴がよろめく。


……ここだ!


私はすかさず傷口にめがけ肘打ちをお見舞い、後ろに下がりながら逆袈裟を二連。


——ガンッ、ガンッ!


硬い手応えに弾かれたのを確認して構え直し、切っ先を真っ直ぐ相手に向けながら突進、腰と肩を回して喉元に突きを放つ!


——ザク。


斬撃は、動脈の僅か右を掠めた。


「ちぃ……!」


仕留め損なった、あれだけやられておいてまだ余力を残しているとは!胸を刺し貫かれたというのに絶命どころか気力の衰えも見えぬか!


——鍔迫り合いに持ち込む。


単純な力押しならばこちらに分がある。


相手の膝を崩してそのまま押し切ろうとする、だがその前につま先を踏み付けられバランスが崩れる。


——ガッ!


頭突きを加えられ目の前に星が散る。


刀の持ち手を抑えられて引き込まれ、再び頭突きが叩き込まれる。


グラッ……。


一瞬意識が飛びかけ膝を着く。


だが頭上の殺気に生存本能が働き、あと一歩のところで正気を保つ。


振り下ろされる刀を掻い潜り、低い位置からタックルを仕掛ける。


腰にしがみついて腕力で無理やり押し倒し、倒れ込みながら剣を奴の腹に突き刺す。


「ぐああああ——ッ!」


血の滲む悲鳴があがる。


刺しこんだ刀をグリグリと動かして苦痛を与え、奴の刀を持った腕を上から押さえ込み、何度も何度も地面に打ち付ける。


蹴ったり殴ったりもがいたり、抵抗百種が行われるがどれも決定打にはならず、上を取った私はそう簡単に主導権を渡さない。


刀は杭のように、地面と肉体に縫いつけられ完全に固定されている。


頭を振り下ろして鼻を叩き折り、奴の腕を締め上げて筋肉と骨を潰し、刀をギコギコと動かして傷口を更に広げる。


「はな……せ……ッ!」


凄まじい抵抗に合いながら、四足の獣のように首筋に噛み付き、顎の力で首の肉ごと血管をぶっちぎってやる。


「がああああ——ッ!」


体を起こして、打ち下ろすッ!


起き上がって来られぬよう、戦意を叩き折るよう、『守る』以外のいかなる選択肢も取らせはしない、お主が刀を手にすることはもう無い!


——ガッ!ガッ!ガッ!ガッ!


ビチャッと血が飛び散る、拳の骨が痛む、顔の形が歪んでいく。


奴は、肩から腰まで斜めに刻まれた私の傷口に親指を突っ込み、抉るように中身を掻き出すように暴れさせるが殴打の勢いは止まらない。


拳を振り上げ、その頭蓋を砕こうと渾身の力を込めて、大衝突を見舞ってやろうと振り下ろし。


——ゴギッ!


「づぁ……!」



その抵抗は実に効果的、殴りの手は緩み隙を与えてしまう。


奴は好機を逃さない、すぐさま私を自分の上から弾き飛ばした。


宙に舞い、背中から地面に墜落する、衝撃で肺の中の空気が漏れ出るが、何とか受身は間に合った。


地面を這うようにしてレオーネに突っ込み、起き上がろうとしているその体に飛びついて再び地面に引き倒す。


腹に刺さっていた刀はとうに引き抜かれ遠くに投げ捨てられていた。


ゴロゴロと上下が入れ替わる、その過程で私は奴の腕から大太刀を捨てさせる。


六度ほど天地が入れ替わった頃、ようやく我らは転がるのをやめ揃って地に足をつけた。


しゃがんだ状態で互いの服を引っ張り合い、殴りつけ、押し飛ばしては引きずる。


ガードをすり抜けて拳を叩き込み、その腕を取られて技をかけられ、反対に技をかけかえして地面の上を転がす。


踵で顔面を踏み抜き、その際足首を掴まれて引き倒され、背中から首に腕を回され締めあげられる。


——ギリギリギリギリッ!


「ゴフッ……」


意識が遠のいていくのを感じつつ、正しい方向に回転することで拘束を緩め、生まれた余白を利用してするりと抜け出す。


奴の腕を取り、肘を叩き折る。


——バキッ!


「グッ……!」


倒れ込みながら横っ面を殴り飛ばし、両者揃って雨の床に体を打ち付ける。


雨なのか血なのか肉片なのか、もはやそれすらも定かでは無い状況で、自分が今どんな状況かも度外視でただひたすらに相手を滅ぼす為に動く。


首の傷を抑えて地面をのたうち回るレオーネ=ラトゥス、それを這いずりながら追い掛けるも、つま先で顔面を蹴り上げられ吹き飛ぶ。


——ドサッ。


ひっくり返った私を上から抑え込むレオーネ。


私は衣服を利用して奴の首を絞めあげた。


だが雨で滑って思うように絞まらない、力が伝わりきらない、奴はおぼつかない手つきで私のことを殴り始めるが逆にその腕を捕らえてやる。


キレはだいぶ落ちている、こうして捕まえるのが容易なほどに。


手首の関節を極め、人体の反射を引き起こさせ、と同時に首を抱え込んで今度こそ絞め上げる。


——ミシミシミシミシ!


「グ、ァ……ァ……ッ!」


「さっさと、死ね……!」


尋常ならざる圧力を加えられ続けた首の骨は、ついに限界を迎える。


——メギ。


「か」


フッ、と抵抗が止んだ。


「ぐ、ぁ……おのれ……ッ」


動かなくなったレオーネの体を押し退けて、乱れた息をなんとか整えようとする。


「くそ……!」


拳を握りしめて地面を叩く、寒さ、痛み、目眩、頭痛、悪寒、痙攣、麻痺、ありとあらゆる不調が雪崩のように押し寄せてくるこの現状。


勝ったことを喜ぶ余裕もない、そんなことはどうだっていい。


私はなんとか息を整えて、倒れた奴の体を手繰り寄せ、近くに転がっていた岩を掴み取り、その頭蓋が割れるまで殴りつけた。


完全に死んでいると分かる状態になるまでそれを続け、そして何か役に立ちそうな物は持ってないかと衣服を探った。


「左腕が、動かぬ……」


感覚が無くなってきた片腕を無視して立ち上がり、打ち付ける雨の中を彷徨い、途中で落としてきた自分の刀を回収、血を拭って鞘に納める。


「あと……ふたり……」


幽鬼のように。


私は血みどろの姿のまま、この大雨の中をゆらゆらと彷徨い進む。


うわ言のようにそれを繰り返す、ここで止まってたまるかと己を奮い立たせるために、この程度の傷で死ぬものかと熱を抱き。


「あと、ふたり——」


アマカセムツギはまだ、死とは程遠い。

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