サリウス=ジヴリール


雨水が体を冷やし、泥風が傷口を洗う。


着物は血で台無しとなり、信念すらも酷い有様だ、今の私はただの亡霊に過ぎない。


——曇りの平原をただ歩く。


こんな気分になるのはもう何度目か、いい加減しつこいな、いっそ感情など捨て去ったバケモノであればよかったものを。


人としての矜恃などとうに失い果てている、死へ向かって歩み死を連れて蔓延させる、兵器としての働きもできない無能の女。


「痛くない、苦しくない、悲しくない、悔しくない」


それは私の言葉では無い、私が殺めた数多の命のセリフだ、思うこと話すことは許されない、速やかに次の標的を見つけ出し殺す。


ただそれだけを考えていればよい、他のなにも必要ではない、そうだとも私はただそれだけで良い、思考などこの際消えてしまえばいい。


意思も意識もなくして歩き続け、気付けば私は目指した場所に着いていた。


体は、無事だ。


何度も何度も傷ついて、幾度となく死ぬ怪我を負って、私はこの剣の腕と共に肉体までもが人から離れていっている、血は一日で止まっている。


——大きな建物。


権威を振りかざすつもり満々の、薄汚い金と力の集大成、この世界を支配しているつもりのあのゲスクズども、鉄と網に囲われた武装基地。


政府機関の本拠地、たくさんの軍隊とたくさんの兵器に守られた世界一強力な要塞、ここに私の殺すべき次の英雄が居る。


作戦はない、ただ正面から撃滅しよう——。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


これは一体どういうことだ。


「……」


奴らの敷地内を歩く。


火薬の炸裂も肉のやける香りもしない、そもそも武器を持つ人間が居ない、世界最高峰の武力が集結する基地は


「なんだ、何が起こったのだ」


戦いの痕跡がどこにもない。


正確に言えば『戦闘が行われた形跡』がない、黒煙も立ち上らずただ一方的に殺られている、彼らは等しく抵抗出来ていない。


尽くが斬殺されている、とてつもないスピードで強襲され一瞬で滅ぼされている、『何が起こった』んじゃない『何も起こらなかった』のだ。


兵器はそのまま綺麗なまま、武器も装備も全てが無事だ、床にはただ血溜まりがあって、死体の山がそこら中に築かれているだけ。


戦いは無かった、彼らは虐殺された。


誰に?そんなの決まっている、こんなとこを出来るのはこの世界にたった一人しか存在しない、英雄ただひとりを除いて。


私は歩みを進める、迷いなく、久しぶりに来る場所だと言うのに、記憶ではない今この時に誘われて基地内を歩いている。


この惨状を作り出した者の元へ、そいつはまだこの場所に居る、一番分かりやすくて広い場所で気配を撒き散らして佇んでいる。


——やがて。


「……来たな」


その背中が目に映った。


その男は黒い盾を持ち、役割以上の価値を持たない黒い剣を携えていた、広く逞しい背中はおぞましい数の死者の手垢が刻まれている。


「ま、まさか」


コイツだ、この男だ。


コイツがこの地獄を作り上げたのだ、たった一人で軍隊を、それを統括する基地を破壊し終わらせた、ただの一度の抵抗もさせずに。


「なんて奴だ」


——格が違う、ひと目見てそれが分かる。


男が振り返る。


「……邪魔者は入らない、やろうか」


冬の日の鋼鉄よりも冷たい眼差しが向けられる。


そしてその瞳は、私の姿を捉えると同時に色と熱が取り戻されていった。


「……その傷」


男は。


——チャキン。


迷わず矛を収めた。


男は敵意なくこちらに近付いてきて、高い位置から私を見下ろしこう言った。


「……その傷はいつ治る」


沈黙の末、慎重に答える


…一日、療養すれば」


男は私の隣を通り過ぎ、砂粒を踏み砕いて言った。


「……そうか」


戦いは、この期に及んでまで起こらなかった——。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


歩く男の後ろを着いていく。


コイツの名前はサリウス=ジヴリール、数いる英雄の中で唯一いちどの手傷も負ったことが無いとされる最強無敵の存在。


死骸まみれの建物の廊下を歩く。


死体を目にする度に突きつけられる、技のキレの差を、私じゃ彼らをこんな風には倒せなかった、もっともっと酷い戦いになっていた。


何故こんなことを、コイツにとって連中は味方のはず、まさか横槍を入れられない為だけに全滅させたとでも言うのか?


「……ここを使え」


私は部屋に案内された。


「……必要なものがあれば言え、俺は司令室でパンを食べている、体調が万全となったらその刀持ってやって来い、お前の英雄狩りに付き合ってやる」


扉が閉められる、私は豪華な部屋に取り残される。


「……」


正直意味が分からない、アイツの考えがさっぱり理解できない。


だが私に選択の余地は無かった、何故なら今の状態で戦っても万に一つの勝ち目も無いからだ、奴の言葉に逆らう価値はゼロだ。


「……」


今はただ療養に務める、それしか無い。


——ドサ。


荷物を下ろして、服を脱いで、刀を置いて、体も気分もリセットしよう、シャワーで血を洗い流してグッスリと眠ろう。


明日の戦いに備えてゆっくりしよう——。

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