雷雨と共に


——戯言だ。


「私たちは分かり合える!同じ志を胸に抱いている!私には同胞を救う使命があります!


あなたも私も被害者だ!アイツらの甘い言葉に誘われ利用されてしまった!だからこそ自らの手で今を変える必要があるのです!」


——聞くに絶えない妄言だ。


戦いの最中だというのに、この男は決して口を閉じることは無い。


それどころか攻撃のひとつすら仕掛けてこない、奴はただ防御に回っているだけ、私の繰り出す猛攻にひたすら耐え忍んでいる。


戦いの影響で部屋が破壊されていっても、何度命が危うくなろうとも、英雄ミシェリア=クレセントが見つめているのは希望に他ならない。


「あなたの力が必要なのです!」


攻撃が弾かれる。


私は殺す気で挑んでいる、それこそ目の前が真っ赤に染まるほどの激情に突き動かされながら、人間的な排除した殺戮機械として動いている。


——ガァァン!


にも関わらず奴の緋色の剣はそれを跳ね除けてみせる、たとえどれだけ暗雲がたちこめていようとも、地上から完全に光が消え去ることはないように。


この男の思い描く理想は強固で、鮮烈で、そして何より迷いがない。


「きっと信じられないでしょう、憎悪しているでしょう、その心の内側は私には分かりません、ですがそれでも!私はあなたを迎え入れたいのです!共に我らが敵を打ち倒しましょう!」


現実で実際に行われている攻防とは別に、言葉の剣が私を追い詰めていく。


「きっと数しれない罪を犯してきたはずです、多くの不幸を生み出し、だけども止まることが出来なかった、もはや進み続けるしかないのでしょう


だが何も暗闇を一人で行くことはありません、咎人と言うのなら私も同じこと、現段階ではお互いのことは何も分かりません


だからこそ話し合ってからでも遅くはないのです!その後で私を切るのならどうぞお好きになさって下さい!組織を滅ぼすのならご自由にどうぞ!


いちど剣を納めませんか?私はあなたの事を傷付けるような真似はしたくない」


先行きの見えない現状、背負った無数の十字架、私という存在がどれだけ害となっているか、


私が加担した計画がこの世界をどんなに変えてしまったのか、彼の言葉はそんな私を救ってくれる。


手を引いてくれる、隣に立つ同志がいる、ひとりで背負う必要はないのだと思わせてくれる、あらゆる責任から解放してくれる。


「もう孤独に思い悩むことはありません、あなたは十分よく戦いました、その荷物をどうか私にも背負わせては頂けないでしょうか?」


——引きずり込まれる。


「味方です、私はあなたの味方なのです、だから剣を収めても問題は無いのです、世界よりも何よりも、私はただあなたの事を労わって差し上げたい」


——引き寄せられる。


「だからどうでしょう、まずは好きな飲み物の話からでも始めてみませんか?」


心は揺れる、ビジョンが上書きされる、まとわりつく希望を必死に振りほどいて、今更救われる資格など無いということを今一度思い出して。


私は、奴の差し伸べる手を、その輝かしい剣と共に跳ね上げた。


「……お主も、私の背負う罪のひとつとなるがいい」


かの英雄の瞳を真っ向から捉える、ヤツの理想は正しいモノなのかもしれない、だが今更『正しさ』程度なんかに止められはしないのだ。


ハッキリとした拒絶、そして明確なる殺意を込めて睨みつける、対話の余地など微塵もありはしない、それでも尚考えを変えぬというのなら大人しくその首を差し出すが良い。


「……そうですか」


残念そうに、悔しそうに、心底惜しそうに、唇の端を噛みながら今にも泣き出しそうな顔を向けて、奴は私にこう言った。


「本当はやりたくないのですが、致し方ありません」


「……ッ!」


ビリッ、と嫌な緊張が走った。


気配の変化に伴い攻めの手が止まる。


「不本意極まりない、本当はこんなことしたくない、だがどうやら貴女を説得するにはこうする以外になさそうだ


大変申し訳ありませんが、後遺症が残らない程度に無力化させていただきます、後ほどきちんとした治療を受けさせますのでどうかご安心下さい」


——構えが変わった。


闘気が全身を覆っていく、漂う空気が淀んでいく、他の者達からでは絶対に感じることの出来ないこの剣気、どうやら向こう側はやる気になったようだ。


二人の間には自然と距離が生まれる。


そして水面下での読み合いが始まる。


切っ先の僅かなブレ、視線の動き、膝の角度、あるいは目に見えない意識の世界、一瞬たりとも気の抜けない静かなる攻防。


戦いは地味で、変化がなく、まるで無風状態の泉を眺めているかのような穏やかさで、並の人間には集中を維持することなどは到底不可能であろう。


つま先を少しだけ前に出す、瞬間的に奴の剣の握りが強まった。


牽制と分かっていながら反応せざるを得ない、その隙に微かに変化した間合いが調節される。


気付かれぬよう手の内を細工してリーチを伸ばす、だが奴はそれも目敏く見ていたようで、上半身がやや後ろに引いた。


このままでは届かない、かと言ってこれ以上の動きを見せれば先の先を取られて敗北する。


まずは相手の意識を釘付けにする必要がある、私はワザと隙を作り出し、いかにもカウンターを狙って準備しているかのように演出する。


当然乗ってくることはない、だが無視することもしていない、プレッシャーが強まるのを確認しながら後ろ足をこっそりと寄せる。


……だがその途中!


なんの予兆も前触れもなく、ミシェリア=クレセントは突如として攻撃に踏み切った!


振り始めが見えなかった、恐るべき瞬発力によって加速が一瞬にして行われ、気がついた頃には既に斬撃は最高速度に到達していたのだ。


構えていた刀が真上から叩き落とされる。


握りを弛めて獲物が手から離れるのを防ぎつつ、切っ先が小さな円を描くように手首を回して衝撃を殺し、相手の首元に刃先を持っていく。


——剣と剣が擦れる。


こうすることで相手の獲物は自然とこちらの正中を外れ、尚且つこちらの射線は通すことが出来る、あとはこのまま突けば良いだけなのだがそう簡単には取らせてはくれない。


シャッ!


奴は前に出てきた、そうなればこちらも相手の剣に押されぬよう踏ん張る必要が出てくる、結果的に切っ先は急所を離れ天井の方を向くこととなる。


——鍔迫り合う。


一瞬のうちに七を超す技の掛け合いが起こり、それぞれで手応えを得られず、お互いに示し合わせたかのようなタイミングで相手の剣を押し出した。


グッ……!


両者共に離れ、先程より近い位置で武器を構える、ここは互いにとって必殺の領域だ、どの角度からでも相手の命を奪う一撃を放つことが出来るだろう。


注意すべき事が増え、見るべき場所が増え、より鋭い反応が求められる、より高度で精密な集中が必要となる。


精神の削り合い、雑念が混じった方が敗北する、今は瞬きすらも邪魔となろう、先の先のそのまた先を読み合う戦いだ。


「……」


「……」


長らく場は動かなかった、お互いまったくピクリとすら動くことは無かったが、それを打ち破ったのは私の方だった。


姿勢を変えぬまま重心を後ろ足へと移動させる、そしてそのまま気付かれぬ内に、地面を蹴って真っ直ぐ前に飛び出した。


「……ッ!」


踏み出すのと同時に腕を前に出す、その動作自体には殺気が無く、それ故に相手は虚を突かれる。


ミシェリアはギョッとしながら刀を逸らそうとした、だが私の扱う武器にはある特徴があった、それは刀身が真っ直ぐではないこと。


——カツンッ。


受け流そうとした奴の剣は、逆に、私の刀のによって跳ね返され、その正中をガラ空きにする結果となった。


——ザグ。


喉元に切っ先が突き刺さる。


その代償として逸れた奴の剣が私の左肩を貫くが、しかし命に近いのはこちらの方だ。


切っ先を鋭く振り抜き、血管を巻き込みながら肉を裂く、刀の通った軌跡をなぞるように赤い血飛沫が横へ流れていった。


——手が伸びる。


奴は私の肩に刺さった剣を抜こうとするが、筋力でガッチリと固定されているそれはビクともせず、その隙に土手っ腹に蹴りを叩き込まれて地面の上を転がっていった。


ミシェリア=クレセントは、首に空いた穴を必死に手で抑えながら、おぼつかない足元で壁を支えにフラフラと立ち上がろうとする。


だが直ぐに膝から崩れ落ち、辛うじて壁に肩を預ける形で踏みとどまった。


「やはり生け捕りなど、甘い考えでしたか……」


奴は最後の最後まで、こちらの命を狙ってはいなかった、あの土壇場になってさえも彼はわざと私の急所を外していたのだ。


本当なら今の戦いは相打ちに終わるはずだった、奴の反応速度は恐るべきものだった、自分の攻撃が逸らされたと分かるや否や咄嗟に軌道修正を図ってきたのだ。


あの時彼が私を殺す気でいたのなら、きっと我らの目線は同じ高さにあっただろう。


「拠点は他にもあるのか」


力なく首を横に振るミシェリア。


彼はうっすらと笑みを浮かべながら『心配せずとも、あの女を取り逃した時点でもうテロは起こせませんでした』と、こちらの聞きたいことを先回りして答えてくれた。


「……そうか」


彼の発言が嘘とは思えない。


実際ここに乗り込んだ際、初めに抱いた感想は『聞いていたような強大さは感じられないな』だったからだ、この組織は恐らくまだ成長途中だったのだ。


この男のカリスマと武力、それが全ての支えとなっていたのだろう、とても世界的なテロを起こせるような組織には見えなかった。


恐らく武力の大半は私が始末してしまっていたのだ、あのホテルや船の上で襲いかかってきた連中は確かに手練が集まっていた。


それほど必死だったということだろう、ロイの盗み出したをどれだけ取り返したかったのかが伺える。


サク、サク、サク。


奴の傍に歩いて行って、見下ろす。


「言い残すことはあるか」


間を置かず、彼は言った。


「いつか貴女が、心から休める時が来ますように」


——ヒュッ。


そして断頭台が血に濡れた。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


……悪夢にうなされて目が覚める。


「酷い夢じゃ……」


起き上がり、ぼやけた思考をハッキリさせる、それにはこの寒さと雨音が非常に役立ってくれた。


ここは薄暗い洞窟の中、ミシェリア=クレセントを殺したあと私は速やかに街を離れた。


結局、本来の標的であるレオーネ=ラトゥスの居場所は掴むことが出来なかったのだ。


だがもし仮に私が奴の立場なら、あんな騒ぎがあった街などは早々に立ち去るであろう、アテも手掛かりも無いのに留まるのは危険だ。


それならいっそ街を離れ、別な標的を狙いに行こうという算段だった。


……が、現実はこれでもかというくらいに冷たい。


街を出て数時間、空に濃い色の雲が立ち込めた、それから程なくしてこの大雨だ。


ザァーザァーと降り注ぐ雨粒は視界を潰す、挙句の果てには雷鳴まで轟く始末、私は一旦の立ち往生を余儀なくされたのだ。


「痛……」


肩の傷を抑える。


奴の言葉通り後遺症は残らなかった、傷口はなんとも綺麗なモノだ、適切な処置さえ施せば問題なく刀を振ることが出来るだろう。


だからこそ傷口は濡らしたくない、濡れた衣服やタオルは荷物になるし、食料や医療品を無闇に水に浸けるような真似はしたくなかった。


「しかし、一体いつ止むのやら……」


大雨は豪雨となり、今では雷雨と化している、風もだんだん強さを増してきているし、しばらくはここを動けそうにない。


目的地まではまだ大分距離がある、今を多少急いだところで意味は無い、もどかしさはあるものの大人しくしているしかあるまい。


雨風を凌ぎながら、陰鬱な色に染まった空を見上げる、ここは少々すきま風が多い、寝起きで体温が下がっているのもあって手足が震えている。


焚き火でもしようか、そんなふうに思い立った頃、私の耳は打ち付ける雨音の中に混じった質感の違う物音を拾いあげた。


「ん……?」


それは最初とてもちいさな音だった、ともすれば聞き違いだと思ってしまいそうな程に、だが時が経つにつれそれは鮮明になる。


地面に染み込んだ水分が破裂する、規則正しく打ち付けられては飛び散った、焦るように急ぐように、一直線にこちらを目指して向かって来る。


——チャキ。


洞窟の壁に立て掛けておいた刀に手を伸ばす。


よもや追っ手の類か?しかし尾行などは着いていなかったはずだ、あるいは仕留め損なったテロリスト共の残党が居たのだろうか?


——物音はドンドン近付いてきて、やがてその正体を表した。


「だっはーっ!えらいこっちゃえらいこっちゃ……」


豪快な叫び声と共に視界に飛び込んできたのは、目を疑いたくなるような奇抜な格好をした女で、彼女は大きく安堵の溜め息をつき額を拭った。


「やっべやっべ、全身びーっちょびちょ……ありゃ」


呆気に取られていると、その女と目が合った。


どうやら彼女は今初めて私のことを認識したようで、目をぱちくりとさせながらしばらーくの間無言のままで見つめ合った。


「……お、おぉ〜〜?」


衣服をギューッと絞りながら、前かがみになって私の顔を覗き込んでくる。


「あーっ!」


そして何事か突然大声を出したかと思うと、ビシッと私の方に人差し指を突きつけて、これまたとても大きな声でこう言った。


「探してた人殺しー!!」


彼女は背中に括った自身の身長程はあろうかというを抜き放ち、そして洞窟の壁に盛大に柄をぶつけた。


——ゴッッッッ


「あっ」


そしてきっと慌てすぎたのだろう、彼女は刀を抜くためのスペースを確保しようと動いたが、地面の水溜まりに足を滑らせてしまった。


「おわぁー!?」


——ガッッッッ


彼女はそのまま洞窟の壁に頭を打ち付け、白目を向いて気を失ってしまった。


——そして、訪れる静寂。


「……」


一度にあまりに多くのことが起こったので、今しがた目撃した光景をどう処理していいか分からず、私はしばらく停止していた。


「……あ?」


が、気を失い倒れている彼女の横顔を見て、私はとある記憶を思い起こした。


「ま、まて」


そうだ、この女の刀には見覚えがある、最近どこかで見たことがある、資料に乗っていた、目を通した、いずれ戦うことになるからと記憶に留めた!


「まさか!」


——!!!

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