鬼が出た。


戦いにおいて発生しうる読み合い、フェイントの応酬や誘い込みなど、そういったは起こらなかった。


——ガギィィン!


かち合う鉄と鉄、飛び散った火花が夜闇を裂き、両者の姿を浮かび上がらせる。


お互い主導権は握らせなかった、形勢は今のところ極めて平坦であると言える。


本来ならここから距離を取り直し、牽制のしあいが始まるところだが。


「殺すッ!」


強い意志の込められた言葉と共に、次なる一撃が首へ迫った。


奴の剣技は実に荒々しく、ひたすらに相手を惨殺することしか考えられておらず、それは最早『流派』とすら呼べるかどうか。


——再び閃光が炸裂する。


獲物がぶつかり合う瞬間に、力の向きを変えて受け流す。


だが奴はその勢いを利用して加速に変え、回転し、まるで木こりの斧のように真横から振り抜いた。


刀を盾に使いながら距離を殺す、相手の衣服の一部を掴んで組み付く。


——ギリギリギリッ!


刃と刃が擦れ合って生じる不協和音、相反するふたつの力は互いに絶対譲らない。


その頭上ではもうひとつ別の攻防が繰り広げられている、拳と拳の泥臭い殴り合いだ。


拘束から逃れようともがく、逃がすまいと力を込め相手の動きをコントロールする。


離せと言わんばかりの殴打が襲い掛かる、頭を下げたり相手に密着したり、小細工を使いながら何とかそれを凌ぐ。


逆にこちらから手を出すこともある、頭突きや肩を使っての当身、あるいは膝蹴りを加えて相手の注意を逸らそうともしていた。


しかし状況は一向に変化せず、埒が明かないと判断した私は発想を変え、自分から後方に倒れ込むように飛んだ。


——ウェインを捕まえたまま。


ドンッ!


ふたりは地面にもつれ込み、落下の衝撃でぶつかり合っていた刃と刃が離れる。


墜落に対処出来たのは、事前に備えることが出来た実行者たる私のみ。


素早く相手の身体を返してマウントを取る、そして刀を相手の首に押し当てて、力任せに引き裂こうとするものの。


次の瞬間には私はひっくり返され、足を取られて関節を極められそうになる。


咄嗟に体を捻り、地面に手を着いて。


体勢を作った上で相手の体を蹴り付ける、その衝撃は凄まじく、お互い一瞬体勢を維持できなくなるほどに強烈なモノだった。


奴はつんのめり、弾みで捕らえられていた私の足が自由になる。


ガラ空きの背中を切り付けてやろうと膝立ちのまま刀を振り上げるも、奴が振り向きざまに降り抜いた乱暴な斬撃によって出鼻を挫かれる。


後隙を狙ってやろうと画策する。


だが二撃目への繋ぎが予想以上に早かった。


飛来する斬撃を、刃が地面に当たらぬよう工夫しながら真上へかち上げる。


——ズザッ!


膝で地面を滑り、擬似的な踏み込み動作を行いつつ、振り上げた刀を重みに任せて振り下ろす。


だがウェインはあろう事かこちらへ飛び込んできた!そしてそのまま間一髪のところで斬撃を防ぎ、私の刀を持っている方の腕を押さえ込んだ!


剣士にとってそれは致命的、武器と利き腕が敵の手中に落ちるなど言語道断、あとはただ己の未熟さを恥じながら死を待つのみであろう。


……しかし!


我が師はそれに対抗する術を教えてくれた!


そこは武道家の間合い、人である以上決して抗いようのない構造上の欠陥を突く技、崩しを入れてから実行に移るまでは実にコンマ数秒である。


「……ッ!?」


——ドジャァァッ!!


覚悟を決める暇もない、気が付けばウェインは受身を取ることすらも出来ずに、顔から地面へと突っ込んで行った。


ふたたび膝で滑り、倒れた奴の首目掛けて一刀を落とすも、通常では考えられない体勢から放たれた蹴りによって刀の持ち手が弾かれた。


「……ちぃ!」


今ので決まったと思った。


投げ技をモロに食らって、よもやこれ程早く復帰を果たしてくるとは思わなんだ、奴め直前で受身を取ることを諦めて起き上がりに全力を注いだな。


死角から飛んできたその一撃は、見事に私の片腕を捉えており、結果姿勢が崩れてしまう。


ウェインはその隙を見逃さない。


顔中を血だらけにしながら鬼の形相で飛び込んできて、奴は私の肩を思い切り突き飛ばした。


万全の状態であるならば、加えられた力に自分の体重を上乗せして返してやるところだが、今の状態では技の掛かりが甘かった。


戦いにおいて体重差は大きな要因となり得る、そして今回それはモロに影響した。


——張り倒される。


辛うじて受身は間に合ったものの、転んだ拍子に自分の刀で自分を傷付けてしまった、幸い動脈は避けたようだが怪我自体は決して浅くなかった。


ドバドバと血が溢れ出す。


早いうちに止血を行わなくてはマズイが、どうやらその隙を与えてくれるつもりは無いらしい。


起き上がりかけの私に向けて渾身の一撃が振り下ろされる。


……舐めるなッ!


私は止まる気配のない出血を利用して、手のひらに血液を貯蓄、そしてそれを相手の顔に向けて投げ付けることによって一時的に視界を奪う。


「ぐっ……!?」


放たれた渾身の一撃は、目標物に到達する前に失速し、到底脅威とは呼べぬ代物に成り下がった。


体を傾け、斬撃を肩に当たるギリギリで避け、起き上がりながら速攻で詰め寄り、刀を奴の両目にグッと押し当て横に引いた。


——サク。


嫌な感触が手に伝わる、彼の眼球は完璧に切り裂かれた、今後もう二度と何も見ることは出来ない、トーマス=ウェインは視力を失くした。


……にも、関わらず。


「ぐ、あああああッ!」


彼は怯むことなく、雄叫びを上げながら私に掴みかかってきた!


「な、なに……っ!?」


そして力任せに押し倒し、手当り次第に拳を振り回して私のことを殴り付けてきた。


抵抗しようとするも、無闇矢鱈に振り回されるおかげでタイミングが掴めず、ほんの一瞬だけ防御に集中する必要があった。


「お、のれ……ッ!」


殴られ、打ち付けられ、抜け出す隙を与えてくれない、このままではいずれ限界が来ることを察知した私は奴の目が見えないことを利用した。


拳はどこに振り下ろされるか分からない、だから刃を上に向けた状態で、まるで盾のように構えておいたのだ。


殴打、殴打、殴打、殴打、そして。


——ザクッ!


「づぁ……ッ」


拳を刃が引き裂いた。


拳の勢いが弱まったのを見計らい、私は奴自ら傷付けた方の手を取り、傷口をグチャグチャに破壊してやるつもりで思いきり握り締める。


——ギリィッ!


人は反射的に痛みから逃れようとする、それは生き物としての本能であり、専用の訓練を受けていない限り何人たりとも抗うことは出来ない。


痛みに反応し硬直が生じる、筋肉の緊張すれば武術の餌食となる、結果トーマス=ウェインは驚くほど軽々投げ飛ばされていった。


——素早く起き上がり、奴の元へ滑り込む。


暴れて抵抗しようとするのを無理やり押さえ込み、剣も拳も振れない角度で制圧。


そして今度こそ奴の首に刀を押し当て、体重を掛けながらゆっくりと、根元から切っ先にかけて一直線に切り裂いた。


「ゴ、フッ……」


動脈が切断されたことで傷口からは夥しい量の血が流れ出す、それは私の刀傷とは比べ物にならないほどに深刻な状態であった。


「ま……だ……」


それでもなお戦う意思を見せ続けるウェインの手から強引に剣を奪い取り、遥か遠くへ投げ捨てる。


カランカラン……。


続いて私は彼の髪の毛を掴んで頭を持ち上げ、必死に引き剥がそうとしてくる腕を払い除けて首元に切っ先を突き付けた。


死の間際、視線が交わる。


まるで怯えた子供のような目をしている、俺の最期はここじゃないと必死に訴えかけてきている、その目には色濃い希望が滲んでいる。


「……すまない」


——ズブッ。


瞬間大きく目が見開かれ、まるで何が起こったのか分かっていないような無邪気な顔をして、ある時瞳の中から魂が抜け去った。


「……すまなかった」


もう聞こえる事のない謝罪の言葉を、既に骸と化してしまった男に聞かせる。


あるのはただ疲労感、脱力感、嫌悪感、必要では無い殺しを実行したことに対する言われようのない罪悪感、それらが心に重くのしかかった。


弁明の余地はない、私は身勝手なる理由で人殺しを行ったのだ、彼が死ぬ必要なんてこれっぽっちもなかったはずなんだ。


……いや、折れてはいない。


ただ事実を受け止めなくてはならない、自分がしてしまったことを正しく認識しなくてはいけない、だから全て飲み干すのだ……。


「いつか必ず報いを受ける」


私には罰が与えられる、想像を絶するような苦痛が必要だ、全てが終わった暁には必ず、これまで犯してきた罪をこの身体で。


「だが、まだだ……まだ早いのだ……目的を果たすまではそれは許されない……覚悟したことだろう……」


呪文を唱えるように、言い聞かせるように、立ち上がりもせずそんなことを続ける。


自分の中で折り合いを付けるために、納得できないものをどうにかして納得させようとする、拒絶反応に苦しみながら無理やり強引に。


——その時。


「……っ!?」


——ヒュッ。


それは殆ど反射だったと言っていい。


例えば目の前に突然ボールが飛んできたら、大抵の人間は顔を背けようとする。


反応が間に合おうが間に合うまいが関係はない、『考えるより先に体が動いてしまう』それ自体が重要であるからだ。


人には時折理解が遅れる瞬間がある、行動を取った後で自分が何をしたのか認識する、そういったタイムラグは正しく『反射』によってもたらされる。


そこに思考の余地は無かったのだ。


私はただ本能に従って動いたにすぎなかった。


戦いの直後で気が張っている時に、背後から突然漂ってきた微かな『殺意』に対し、身を守るべく刀を振るっただけだった。


——それが


「な……なぜ……」


——その一撃がを傷付けたのか。


「うあああああああああああああッ!!!」


「あ、あは……躊躇っちゃった……わ……」


手からナイフを取り落とし、膝から崩れ落ちる彼女のことを、私は我を忘れて抱きとめた。


……何故!?どうして!?彼女はひとりで隠れ家に向かったのではなかったのか!?それがいったいどうしてこんなところにいるのだ……ッ!?


——傷口は!?


ダメだ深すぎる、これじゃ間に合わない!今から医者に見せる時間があるだろうか?しかし私はこの町の地理に詳しくない、病院の場所も知らない!


いや、警備隊から逃げている途中街の景色は上から眺めていたはずだ、記憶を辿れば病院の場所ぐらい必ず思い出せるに決まっている。


とりあえず応急処置を……ッ!


包帯、清潔な包帯がない、衣服を破いて傷口に巻こうにも衛生面が気掛かりだ、たとえ一命を取り留めたとしてもその後の感染症がリスクだ。


そもそもこれは手で抑えてどうにかなる問題ではない!動揺している場合ではないぞアマカセムツギ!今必要なのは正常で冷静な判断能——


そっと、左の頬に手が添えられた。


途端に脳みそが冷えていくのが分かった。


目の前の光景が意味すること、それを正確に理解するだけの判断能力が戻ってきてしまった。



彼女はもう、どうしようもなく手遅れだったのだ、あと数分も経てばロイは死ぬ。


「……どうして」


ウェインのことをつけて来たのか……?


確かに彼女は私にすら気配を気取らせずに忍び寄ることが出来る、本気で隠れようと思えばウェインぐらいなら難なく騙せるということなのか。


彼女は虚ろな目をしている、既に焦点が定まらなくなってきている、私のことが見えているのか見えていないのかすら分からない。


……彼女が何をしようとしたのかは分かる、復讐だ、彼を殺された事に対する復讐だ。


だがロイは直前で躊躇したのだろう、隙だらけの私の背中を前にして、あと一歩踏み出す事が出来なかったのだ、それで気配が漏れたのか。


「殺すつもりは、無かった」


言い訳をすることしか出来ない、『必ず助かるからな』などの励ましの言葉を掛けることも出来ない、自分の不甲斐なさが憎たらしい。


「なんでこんなことに……」


涙を流すまいと必死に堪える、それだけはしてはならない、間違っても私に涙する権利などないのだ、私が彼女を殺したのだから!


「……いい、の」


「——!」


小さく。


とても小さくだが。


消え入りそうなほど微かに声がした。


死ぬ気で耳を傾ける、一字一句聞き逃してなるものかと全神経を集中させる。


「もともと……わたし、は……あの船で……」


数度咳き込み、その後フッと力無く笑って見せて。


『ゆるす』


三文字ぶん唇を動かしたあと、突然腕の中から重みが消えた。


「……ロイ?」


もう呼び掛けには応じない、もう居ない。


彼女はこの世から消えた、存在しない、話さない、この手で未来を閉ざしてしまったのだ。


「——」


音が消える、色が失せる、頭の中から余分が損なわれ思考がクリアにシンプルになる、自分がすべき事の主張がヤケにうるさい。


弔いを。


そして殺戮を。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


屋敷のドアが消し飛んだ。


沢山の声がした、男もいたし女もいた、とにかく沢山の武装した兵士たちがこぞって驚愕の表情を浮かべていたと思う。


——そんなのどうでもいい、好都合だ。


通り過ぎた場所に桜が咲く、花吹雪が壁や天井を血で染めていく。


私には全て見えている、向かってくる敵の動きも振り下ろされる剣も、まるで水の上に浮かぶ葉っぱのように穏やかに感じる。


打ち砕く。


破片が飛び散った。


人も鉄も真っ二つになっていく、何もかも視界に収めた数秒後には壊れている。


興味を抱くもない、前へ進めば新たな増援がやって来るけれど、結局一秒以上私を食い止められた人間は誰も居なかった。


五、十、十八、二十九、四十を超えたあたりから数えるのが面倒になった、きっと百だろうが千だろうが大した差はないのだろう。


足元が濡れて気持ち悪い、手元が粘ついて気色が悪い、視界はいつからか一色で染まってるし、拭っても拭っても晴れやしない。


いちばん強いヤツが居る場所を目指して、邪魔なゴミを全て片付けて。


そうしてたどり着いた一際豪華な扉を、なんの感慨もなく粉微塵に切り飛ばして中へ踏み込んだ。


「——おやおやおや、随分と騒がしいのですね、そんなに急いではお体に悪いですよ?」


そこに居たのは眼鏡をかけた長身の男だった、奴は困りましたねと言ってこう続けた。


「実は突然の訪問だったので何ひとつもてなしの準備が出来ていないのですよ、私としたことが何たる失態でしょう


ところでお客人フルーツティーはお好きですか?私のおすすめの品が御座いましてね、ちょうど昨日仕入れたばかりなんです


あれ何処にしまいましたかね……」


奴はテーブルを爪でトントンと叩きながらそんなことを宣っていた。


「貴様が英雄ミシェリア=クレセントか?」


その問いかけに、奴は嬉しそうに顔を輝かせる。


「おお、私のことをご存知なのですね!」


だが私は探し物が見つかるなり、血みどろの刀を向けてこう言い放った。


「ならば死ね」


その言葉を聞いてなお、奴は不気味なほど希望に満ちた笑顔を浮かべているのだった……。

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