明日の水平線


——突きつけられた切っ先。


「ふー……」


聞こえてくる相手の息遣い、高まった私の集中力はその心臓の鼓動すら耳で捉えんばかりだ。


足の指で地面を捕まえ、上半身を柔らかくして剣を構える、獲物を握り込んだ手のひらの感覚が研ぎ澄まされている。


互いにぶつけ合う剣気、長らく動きのない死合場、目線の動きや下半身の僅かな角度の変化で揺さぶりを掛けては掛けられる。


——分針が音を鳴らす。


常人ならばとっくに集中力を切らしている時間、一瞬の絶え間もなく続くこの緊張感は、精神的にも肉体的にも大きな負担となった。


相手の額から汗が流れ落ちる、それは肌を伝って降りていき、やがて目元へと差し掛かる。


生き物として当然の生理現象、眼球に侵入しようとする異物を排除しようとする無意識の動作、まさしく瞬き程の間。


——たかが一瞬、されど一瞬。


滑るような足運びで前に出る、腕を前方に投げるような無造作な突き。


「……!」


すこし遅れて相手が反応する、私の剣を逸らそうとする。


それを避け頭上で獲物を回し、百八十度円を描くようにしながら片手で膝を払う。


直前で間合いが外れる、こちらの打ち終わりを狙い刺突が迫る。


私は腰を落としたままで軽く飛び、体の向きを反転させた。


それまで左構えだった姿勢が一瞬にして右構えに変わる、私は獲物を両手で握って攻撃を止め、そのまま肩を入れるようにして突き込んだ。


トンッ……。


切っ先が脇腹に触れる。


「くそ……!」


なおも消えぬ闘志、奴は私の剣を上から叩き落としてきた。


咄嗟に勢いを殺す、そして手首を返しながら後ろに引き、叩き付けた際の反動を利用して切り上げを放とうとしている奴のを打った。


バシィッ!!


「ぐ……!?」


ガシャン、と奴の握っていた剣が落下した。


すかさずそれを背後に蹴り飛ばす。


抵抗の為伸びてくる腕を掻い潜って前方に詰め、肩口に刃を押し当てて切り裂いた。


ドタドタッ……。


斬撃を食らった敵は派手に転がり飛ばされていき、数メートル離れた地点でようやく止まった。


「……」


決着を察し残心を解く、そして胸元から紙を取り出して刃を拭おうとして、今自分が手にしている物がであったことを思い出す。


「——そこまでッ!」


我に返るのと同時にストランドの声が響き渡った。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


「……やはり強いな」


「純粋に技術で圧倒的な差を付けられている」


「真剣だったら軽く四回は死んでいるな……」


それと同時にガヤガヤと、それまでの沈黙が嘘のように話し声があちらこちらから聞こえ始める。


ここは道場、反英騎士団のアジト内に造られた戦闘訓練を目的とするの施設であった。


「お前らここで相手にならないようなら打倒英雄なんて夢のまた夢だぜ、せめて一本くらいは命と引き換えにしてでも取りに行く気概を見せてみろよ」


やれやれ仕方ねぇ野郎共だなと、呆れ半分といった様子で彼らを見回す。


「アンタも勝てねーでしょうよぅ」


気だるげな欠伸と共に反論が飛ぶ


「黙れキリア」


ガヤガヤ、ワイワイと、いわゆる武を扱う道場としてはやや緊張感に欠けているような雰囲気だが、私としてもあえてそれを指摘して正そうなどという考えは無かった。


「ああ、くそ……痛ぇぞちくしょう……」


先程倒した団員がムクリと起き上がった。


「すまぬな、加減をしようとは思っていたのだがいざ立ち会いが始まるとそのあまりの気迫に本気にならざるを得なかった。


つい強めに打ってしまった故早めにしっかり冷やしておくがよい」


模擬刀を手鞘に収め、彼の元に歩いて行って片手を差し出す。


「いいさ、実戦なら今ので殺られてるんだ、これまでもっと酷い怪我もしてきた、それに比べたならこの程度どうって事ない」


その手をガシッと掴み介助を得ながら立ち上がる、彼の右手首は見てわかる程に腫れていた、悪いことをしてしまったなと心が痛む。


「身体能力も経験も上な相手にどう立ち向かうのか、そんなもんは物量押し一択だ。


だが烏合の衆じゃ意味が無い、少なくともここに居る全員が、本気のコイツ相手に五分は保たせられるようにならないと話にならん。


先の戦いのことは既に知っているだろ、あの規模の戦いを繰り広げる相手に今のままじゃまるで力不足だとオレ達は痛感したはずだ。


時間は少ない、限られている、コイツだっていつまでもオレ達と行動を共にする訳じゃない、死ぬ気でホントに死ぬ一歩半手前まで追い込む必要がある!」


団員に向け檄が飛ぶ、彼女自身夜遅くまで起きて鍛錬をしていることは、ここ最近彼らと共に過ごすようになって以来何度も目撃している。


立ち会いの度真剣を使う事を私に強要し、毎度毎度重症ギリギリの所まで粘ってその傷が癒える前に次の勝負を挑んでくるほどだ。


ストランドの言葉は厳しくて甘えが無い、しかしその数十倍自分に厳しい、団員はそんな彼女の性質をよく知っているので誰ひとり反発はしないのだ。


ストランド服の下は真新しい切り傷にまみれており、昨夜も気を失うまで私に投げられたばかりだ。


手を止めたら殺すぞと脅されたあの時の彼女の表情は忘れられそうにない。


「今ので団員全員しばかれたな、じゃあ今日はこの後夜までみっちり自己練に当てろ、一日でどれだけ成長できるのか明日オレが直々に確かめてやる」


彼女はそう言うと、こちらをチラッと見て『来い』という合図を残し道場を後にした。


私は向かいながら、自己鍛錬に励む団員のうち目に付いた何人かの構えや振り方を矯正しつつ、部屋の外で腕を組んで待っていたストランドの所へ行く。


「遅れてすまぬ」


「……こっちだ」


怒られるかと思ったがそんなことはなく、むしろ何やら浮き足立つような様子で歩き出した。


私はそんなストランドを疑問に思いつつ後を着いて行った。


何処へ向かうのか?その質問を差し込む隙は無く、恐らくは尋ねても無視されるだろうという確信めいたものがあった。


やがて私達はとある部屋の前へ辿り着き、ストランドの顔にはイタズラを考えている少年のような笑みが浮かんでいた。


「待ってろ」


ひとり扉を潜り、中からゴソゴソと漁る音が響く、それから彼女は直ぐに部屋から出てきて『ある品』を差し出した。


反射的にそれを受け取り眺める。


「これは……」


飾り気のない黒い鞘、使い込まれた柄、色の禿げた鐺、手に馴染む重み、中身を見るまでもなくそれが何であるのかを察した私は顔を上げる。


「仕上がっていたのか」


「今朝な」


鯉口を切って刀を抜く。


美しい刀紋の浮かんだ二尺三寸の太刀、その姿は以前の物と変わりがなく、まるで一度たりとも折れたことが無いかのように曇りが無かった。


「……」


あまりの出来に言葉を失う、上から下へ視線を往復させる、もう二度とこの手に戻ることは無いと覚悟していた感触をよく味わう。


「こんなに難しい刀を打ったのは久しぶりだと爺共が喜んでたよ、素材も鍛造方法もめちゃくちゃで再現するのが大変だったと聞いている。


奴らも腕のいい鍛冶師だがそれに関しては元の技術をなぞるのが精一杯だったそうだ、出来ることなら金輪際折らないでくれると助かると言伝を頼まれた」


「そうか……」


刀を鞘に納める。


出会って以来何から何まで世話になりっぱなしだ、この街に辿り着く時も、英雄を倒す時もその後も、常に騎士団からの助力を受け続けている。


現に今も。


刀の鍛造が終わるまでの数週間、食事や寝床、衣服を提供して貰っているのだから。


「それでどうする」


感傷に浸っていると声が掛けられる、彼女の言う『どう』が意味するのはひとつだけ。


「うむ、最初に話した通りこの街を発とうと思う」


私がここに留まっている理由はもう無くなった。


彼女達と居るのが苦痛だというわけでもないが、結局ひとりで動いた方が持ち味を活かせるというのがこの前の戦いで再認識できた。


「足手まといか」


「いかにも」


忖度のない返し。


ストランドは『そうか』と噛み締めるように呟き、次の瞬間にはカラッと笑ってこう言った。


「またいつでも頼れ」


「健闘を祈っている」


別れの挨拶はこれっきりで、大それた送別会は必要ない、団員には彼女の口から伝えてもらおう。


荷造りは既に済ませてある、私にあてがわれた部屋の中央に風呂敷に纏めて置いてある、旅立とうと思えば今直ぐにでも行けるように準備が整っている。


互いに背を向けて歩き出す、またいつ会うことになるのかは分からないけれど、彼女と彼女の仲間の事は忘れまい。


孤独な旅路ではあるものの、しかし思想を同じく活動する者がゼロというワケではない、その事実は私の心をひどく救ってくれたように思えてならない。


——とん、とん。


取り戻した愛刀を片手に廊下を歩く、一歩一歩踏み締めるように確実に。


ここで入手した、私の知り得なかった英雄の情報、それを元に次の標的は決まっている。


レオーネ=ラトゥス、彼はいま海の向こう側に居る、乗船の手筈はストランドに整えてもらった、目指すは西の海岸にある港町である……。

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