陸を離れて


騎士団との別れを済ませた後、私は人目を忍んで街を出発した。


街を出る際に必要な諸々の手続きは、そういう根回しが得意な人材がストランドの部下にいたので助けてもらった。


見慣れた夜空の下、遮るもののない平原を歩いていると、ある地点を境にそれまでの夜闇が嘘であったかのように晴れ渡った。


「なんとも不思議じゃ」


一定の境を持って朝と常夜が隔てられている、それはまるで絵本のページを捲ったかのよう。


久しく忘れていた天然の光源、人が作り出した光に慣れ切っていた私の目は、空に輝くアレの力強さをこの身をもって味わっていた。


「暑い……」


外套の内側に熱がこもる、笠で遮っているはずの日差しが私の目を焼く。


空には雲ひとつなく、旅行くものを嘲笑うかの如く熱線が襲い掛かる、おかげで水の消費ペースが予定よりだいぶ早くなってしまった。


途中、ついに耐えきれなくなった私は腰の獲物を隠す為の外套を脱ぎ去った、このままでは暑さにやられて体調に影響が出るとの判断であった。


増えた荷物をまとめて背中に担ぎながら、周囲に人の目が無いかを気にしつつ適度に休憩と水分補給を挟む、ついでに塩分も欠かさず摂取する。


平原を抜けると次は山登りだ。


比較的傾斜が緩くはあるものの、最近雨でも降ったのか地面がぬかるんでいて歩くのに苦労する、万一土砂崩れでも起きやしないかと怯えつつ足早に山を登りきりそして下る。


正直登りよりも下りの方が骨が折れた。


不安定な足早で平衡感覚を保つ為には筋肉を使う、そこに追い打ちをかけるような暑さで二重に疲労させられる。


増水した川に行く手を阻まれたり、迂回路を探す過程で足を滑らせて転んだり、結局迂回路は見つからず何とかして川を越えるしかなくなったり。


首筋を虫に刺されて、草むらから飛び出してきた毒蛇をギリギリのところで掴み取り、木の枝に荷物が絡まりひっくり返ったりなど色々あった。


そうしているうちに頬を撫でつける風の感触が変わった、海辺特有の鳥類の鳴き声も聞こえてきた、潮の香りも漂ってきた。


瞳に映る景色も一新され、背の高い木やゴツゴツとした岩場、脳髄に響くような深い緑の森などが辺りを取り囲んでいた。


無論、どこまでも果てのない大海原も私の視界の何割かを埋めている。


見晴らしが良い、遮蔽物がほとんどない、目的地である港町もここからハッキリと目視することが出来る、あそこに辿り着くのも時間の問題だ。


あとひと息。


「ふー……」


ここいらで一旦休憩を挟もうか。


荷物を置いてその場に座り込み、体の横に刀を置いて念の為いつでも抜ける状態にしておきながら、浴びるように水を飲む。


エレゴーラを出てからそれなりに歩いた、日差しと気温のおかげで時間感覚が定かでないが流石に少し疲れが見える。


元から距離があると聞いてはいたが予想より消耗度合いが大きい、ここ数週間に居たことで身体が鈍ってしまっていたようだな。


「良い運動になるのう」


腹の空き具合から見てちょうど昼頃か、目的地へは近いとはいえ直ぐに到着するような距離でもない、この分ならばあと半刻は掛かるだろう。


今のうちに昼食を摂っておこう、わざわざ人の多い飲食店に行くことも無い、誰とも会わないのならそれに越したことはないのだから。


軽く食事を済ませる、食事と言っても缶詰めだが、そこら辺の雑草や虫を見繕うよりはよっぽど人間らしい食べ物だ。


味の方はまずまず、また食べたいかと言われれば微妙といったところ、別のモノと交換してくれると言うのなら惜しみなく差し出すだろう。


やがて食事が終わり休憩が終わった。


立ち去る前に痕跡を消していく、火を使った痕やその場に残る匂いなど、ここに人が居たという事実を可能な限り薄めるように努める。


「よし、こんなものか」


荷物を背負い、刀を腰に差し、笠紐を首に巻いて固定し歩く前に軽く体を伸ばす。


急に動いて怪我でもしたら大変だ、食後の微睡みを吹き飛ばす意味もあり、気持ちを切り替える上でも深呼吸とストレッチは大切な儀式なのだ。


そうして筋肉をほぐし、さぁいよいよ旅路を再会しようと思った時、遠くの砂浜に人影を発見した。


その者は右手にモリ、左手に魚がわんさか入った網を持ち、今まさに海の中から上がってきたばかりであるようだった。


別におかしいことは無い、立地を考えれば砂浜で日光浴をしていようが漁をしていようが何も不思議はないはずだった。


だがなんとなく、これといって理由は見付けられないがなんとなく視線が吸い寄せられた。


肉体美が凄いからだとか、若い男だからだとかそういう事ではなく、どこか『普通と違う』雰囲気をその立ち姿から感じたのだ。


と、その時。


「……なんと、目が合った」


周囲には私以外の人間は歩いておらず、彼が誰に視線を送っているのかは言うまでもない、まさかこの距離から気付かれるとはのう。


「……よもや英雄であるまいな」


脳裏に過ぎる嫌な想像、だが騎士団から得た情報ではレオーネ=ラトゥスはまだ子供のはず。


確かに若くは見えるが少年と呼べるほどではない、事前に聞いていた標的像とは合致しない。


「困ったな、手を振り出したぞ」


アレは完全に私を呼んでいる、砂浜に畳んで置いてある衣服をいそいそと着込んでいるからな、あのまま放っておけば彼奴は私の元に来るだろう。


無視して先を急いでも良い、万一望まぬ相手だった場合のことを考えるならばそれがもっとも適切だ、しかし何やら興味が惹かれるのも事実。


結局私は好奇心に負け、彼と接触することにした、ここまで来たなら無視して先を急ぐ方が不自然だ、そう長く時間は取らないし大丈夫だろう。


一時的に進行方向を変えて海岸に向かう、それなりに離れてはいるが行こうと思えばすぐだ、二三考え事をしているうちに目的地へと到着した。


「よーぉ旅のモンか?」


「見ての通り、じゃな」


ほんのりと焼けた肌、眩しいまでの金色の髪、職業は何なのかよく鍛えられた肉体、背は私よりも高く目付きが鋭い。


手のひらの感じを見るに常に何かを握る生活をしているようだな、であればやはり漁師だろうか?剣ダコのようには見えないな。


「いやぁ、自分から手振っといてなんだけどまさか答えて貰えるとは思わなかったよ」


「ヤケに目立つ風貌の男からガンを飛ばされたと縮こまっておったよ、お主の言う通り最初は無視して通り過ぎようかと考えていたのだ」


「正直な女だ!」


ガハハーと大口を開けて笑う男、今のところ気さくで気持ちのいい奴という印象しかないが、まだ判断するには早すぎる。


「だがガンを飛ばすで言えば先に仕掛けてきたのはそっちの方だぜ?なにやら陸の方からアツい視線が送られて来てるとなれば、反応しもする」


他意は込められてないように感じた。


「喧嘩を売ってしまったようで申し訳ないのう」


「あぁいやいや!気にすんなってそんなこと!」


やはり深い意味はなかったか、見た目通り言葉通りに受け取って差支えない人物なのだろうか。


しかしどうにも、それだけの男ではないような気がする、最初に感じた『普通とは違う空気』というヤツを今もハッキリと認識しているのだから。


「声は掛けたがこれといって特に用事はないんだな、ただそこに居たから呼んでみただけで、足止めしちまったみたいで悪いな嬢ちゃん」


何となく見続けてしまった私と似たようなものか、であれば私とて同じ故それを責めることはすまい、まさしくお互い様というやつだ。


「あー、この先の街に行くのか?この辺通る奴なら大抵そこを目指す……っていうかそれ以外のケースを見たことが無いからな」


誤魔化すか、いいやそれは不自然だ、船に乗るというのは一般的な行為のはずだし、あえて濁す意味も薄いだろう。


「そんなところじゃな」


「最近物騒だからな、危ない場所から逃れて海の向こうにって考える奴が増えてきている、近頃じゃ船に乗る為の料金も値上がりし始めてて世知辛い」


……なんだ?探られているのか?


『物騒』という言葉が曖昧すぎて何を差しているのかが分からない、けれどその言葉に対して私には幾つもの心当たりがある。


同意を示すべきなのか、それともシラを切るべきなのか、世情というものに疎い私ではどう反応するのが一般的であるのかが判断できない。


「誰しも危険からは遠ざかりたいものよ」


私は第三者からの視点で答えた、否定も肯定もしていない、これならば違和感を与えずに会話が続けられるはずだと考えた。


「生き物の習性だな」


やり過ごせたようだ。


よし、こちらからも少し踏み込んでみるとするか。


「ところで随分よく鍛えられた体じゃな、仕事は漁師かの?」


「あぁまぁそんなとこだ、男なら鍛えてなんぼだよ、そっちのがモテるし健康にも良い、こうしてアンタみたいのからまじまじと見つめられるからな」


「世辞が上手いのう」


……流されたな、私がやったのと同じだ。


話の核心から軌道を逸らして追求をかわす手法だ、これ以上踏み込めば会話の流れとしては不自然だ。


確実に一般人ではない、かと言って害意があるわけでもない、ただ警戒心が強いだけの真面目な男だというのが今のところの印象であった。


「そうかそうか、悪いなホントに引き止めて、何か渡せる物があれば良かったんだがこんな魚を貰っても困るだろう?」


と、左手の網を振りながら言う。


「良い男を見れたということでチャラにしておくよ」


「アンタこそ世辞がうめぇな!」


ひとしきり笑い合い、私は彼の元から立ち去った、結局得た物は何も無かった、むしろ時間を失ったとして反省するべき行いだったのかもしれない。


ある程度進んだ後、何気なく後ろを振り返って先程の浜を見てみると、そこは既に誰の姿もなくなっていた。


「妙な男だったな」


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


「テュルハにようこそ」


検問を無事に潜り、私は港町にやって来た。


人や商業施設もさることながら、建設中の建物やら土地を広くする工事やら、これまで訪れてきた街とはまた違った種類の活気が溢れていた。


一見するとただの平和な日常だ、少なくとも当人達にとっては。


純粋な気持ちでこの光景を見れないことに苛立ちを覚える、幸せそうに笑い合う人々の表情とは裏腹に吐き気が込み上げてくる。


エレゴーラではまだマシだった、住人として過ごすフリをするのに支障が出ないくらいにマシだったんだ、だがこの街に限っては違う。


笑顔が、笑い声が、急造でこしらえた出来損ないの仮面をこぞって着けているような不気味さが。


腐り果ててウジの沸いた死体の山のように生理的嫌悪感を与えてくる。


歪だ、狂っている。


酷い気分だ、彼らをこんな風にしたのが自分であるという事実がのしかかる、目を逸らすにはあまりに鮮明で広大でら逃れようの無い悪夢だった。


笠で視界を塞ぎ、なるべく何も見ないように聞かないようにしつつ船乗り場へと急ぐ、ありとあらゆる感情の濁流に飲み込まれながら必死に歩く。


船乗り場に辿り着くとそこは人でごった返していた。


乗船を目的とするもの、それを見送りに来たもの、あるいはたった今船から降りてこの街にやってきたものと、パッと見ただけで数百人は下らない。


「だーかーら!さっきから何度も説明してんだろ!」


「ですが規則ですので……」


受付の方で揉め事が起こっている。


大きな荷物を傍に置いた黒髪の女が、受付で職員と口論を繰り広げている、詳細は不明だがこれだけ人がいれば揉め事の一つや二つ起こるであろう。


私はスムーズに乗船出来ると良いのだが……。


言い合いを尻目に係員の案内を元に列を進み、事前に発行しておいた券を見せて手続きを済ませ、問題に見回れることなく船に乗り込む。


手荷物検査には少々肝を冷やしたが、武装に関する正式な書類——無論偽装の書類だが——のおかげで何事もなく審査を通ることが出来た。


本当に何から何まで騎士団の世話になっているな、今度会った時にはお礼をしなくては。


出航まではまだ時間がある、これが単なる観光であれば船の中を見て回ってもよいのだが、必要に駆られて止むを得ず公共の手段を利用しているというだけで、なるべく人目にはつきたくない。


到着まで丸一日掛かると言うし、客室で大人しくしておくことにするのだった……。


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