好き嫌いの話。


——夜の森は容易ではない。


土の床は体温を奪い、四方から感じる生き物の気配は精神を削り、素肌を撫でる夜風はおよそこの世のものとは思えぬほど冷え切っている、たとえ毛布を頭まで引っ被ったとしても、大して改善はしない。


また虫の類も大いに負担だ。


顔の周りをちょろちょろ飛び回られたり、接地した背中を伝って首筋に登ってきでもした日には、おちおち眠ってもいられない。


`療養`と呼ぶにはあまりにも劣悪な環境。


そしてそれに拍車をかけるように、この硬すぎる床と凍えるような寒さが、全身に点在する真新しい傷口を刺激し安らかなる就寝を妨げる。


少し離れた場所で横になるストランドとキリアも、私と同様に苦戦しているようだった。


……我々は現在仮の協力関係にある。


敵か味方かの結論を出す為に必要なのは、私とストランドの両者が生存したまま反英騎士団の拠点へと辿り着くことだ。


更に、


その後の話し合いによって私の目指している目的地と騎士団の拠点が同じ場所にあることも判明した。


だが我々は互いにかなり消耗している、食料や医療品の備蓄も万全とは言い難く、目的地へはまだ距離があるうえ怪我のせいでろくに急ぐ事も出来ない。


アマカセムツギは味方か?


ストランドは味方なのか?


両者共に確証を得ることは出来ず、到底信用には程遠い状況下だが、実際はそんな悠長なことも言っていられないのが現実である。


我々には時間を無駄にしいてる余裕は無いのだ、何せ世界を変えようとしているのだから、時が経てば経つほど望まぬ展開に転ぶ可能性は上がる。


そのうえで。


全てが上手くいった結果として見込める利益と、主張が虚偽であった際に負う不利益とを天秤に掛けた結果、三者共に同じ結論に到達したという訳だ。


故に。


ムツギ、ストランド、キリアの三名は、証明しきれないお互いの安全性については目を瞑り、こうして限りなく近い距離で休んでいるのだった。


……もっとも、休めているとはとても言えないが。


「ふ……は……」


気温のせいだけではない寒気と震え、額を流れ落ちる脂汗、前触れなく乱れる呼吸と悲鳴を上げる肺、これまで積み重ねてきた無茶のツケが襲い掛かる。


苦痛は耐えることが出来ても消すことは出来ない、戦いの最中でもない平常時であれば尚更だ。


薬剤を使用している関係上酒で痛みを誤魔化すことも出来ない、薬が効いてくれる事をひたすら祈って目を瞑り続けるしかないのだ。


そんな調子で私は寝付けない夜を過ごし、五感が閉ざされる兆しすらなく朝日を拝むことになる。


——瞼の裏が朱色に染る。


多くの人々にとって太陽とは希望の象徴だが、今この時に限っては非常に忌々しい。


今暫く、地の底で大人しくしてはくれぬだろうか?せめて三十いや十五分でも寝かせて欲しい、ほんの少しだけでも良いから。


そんな願いは叶うはずもなく、辺りは瞬く間に光に包まれ一日の始まりを告げた、地に生きる生き物のことなどまるで意に介さぬ無慈悲さに嘆き悲しむ。


手に入らない安眠への未練、それを最後まで惜しみつつも手放す決意をする。


「く、ぅ……」


反動を付けて体を起こす。


何をするのにも、いや何もしなくたって痛む体だ、そんな事をすればどうなるのかは言うまでもない。


呻き声を上げながら樹木を背にして座り直す、膝を立てて腕を掛け、目頭を押えて顔を擦る。


朝から実に憂鬱だ、ちっとも休めやしない、刺すような外気とクソ硬い地面のおかげで余計消耗した、こんな事なら初めから横にならなければよかった。


体が重い、頭も働かない、疲れは少しづつ確実に私の首を締めている、この調子じゃ限界を迎えるのもそう先の話でなさそうだ。


時間差でストランドらも起き上がってきた、どうやら彼女達も眠れなかったようで、目の下の隈が濃くなっていた。


「眠れるかってんだちきしょう」


「全く同意ですね」


「右に同じく、だ」


そこからしばらく誰も言葉を発さない時間が続く。


それぞれ包帯を取り換えたり、軟膏を塗り直したり、傷口の状態を確認して記録したり各々のやるべき事をやっていく。


それが終わったら次は朝食だ。


場を整え、火を起こし、栄養価の高い野戦食を温め時を待つ、完成までの空いた時間で武器の手入れや今の体の調子を動いて確かめたりする。


「……戦えって言われたらあと何回かは行けるな」


肩を鈍くグリグリと回しながらストランドが言う。


それに対し食器を配っていたキリアが、はぁ……と溜息をつきながら反応を返す。


「アンタの言うその『行けるな』は『最悪刺し違える覚悟で挑めば敵をぶっ潰せるな』の意味でしょ、そういう死なば諸共みたいなの止めてくれませんかね」


出来上がった三人分の料理、とても豪華な朝食とは呼べないが食べるものがあるだけで十分だ、手軽で早く楽に栄養を摂取できる、文明様々ってやつだ。


「イザって時はそれが必要な事もあるだろ、でも安心しろよ、お前らを置いてオレだけ先に逝くってことは何があっても絶対にないからな」


掬った料理を次々口の中に放り込みながらストランドが答える、スプーンをふりふりしながら`任せろ安心しろ`と念を押す。


「そう言って頂けると頼もしいですがね、下の者の意見としてはアンタ危なっかしくて心配なんですわ、いつかポックリと逝っちまうんじゃないのかってね」


「その小言、五千超億回目だぜ」


野菜をキリアの皿に押し付けながら彼女が言う。


「ガキですかアンタは」


勝手に皿の中に入れられた野菜を、やれやれという顔で食べ、途端に人目見て分かるしかめっ面をして水をがぶ飲みするキリア。


ここまで私には関係のない話ゆえ、特に反応を示さず食事を続けて居たが、今の会話を聞いてストランドという人間に少し興味が湧いた。


彼女の体に刻まれている戦いの歴史は凄まじいものがある。


傷の話では無い。


言葉使い、立ち振る舞い、咄嗟の判断、冷静さ、それら全てから、彼女がこれまでどういう生き方をしてきたのかが読み取れる。


何度も死にかけ、何度も窮地に陥り、挫折し絶望し傷つき打ちのめされ、それでも生きることを諦めなかった者のみが辿り着く境地だ。


自己投影、なのかどうかは分からないが、私はなるべく彼女の人となりを知っておきたいと思った。


「……んぁ、なんか用かよ?」


視線を向けている事に気付かれてしまった。


別にやましい理由では無いので本当のこと言っても良かったが、今はもっと他のことを彼女に伝えておくべきだと感じた。


「野菜、残していては大きくなれぬぞ」


「なっ……!?」


飲み物を吹き出すキリア、沸騰するストランド、そしてそれを見ながら彼女が食べることを拒否した問題の品を表情ひとつ変えずに頬張り笑ってみせる私。


「やられましたね、騎士団長様?」


愉快そうに笑いながらストランドの肩をポンと叩くキリア、それを勢いよく振りほどき顔を真っ赤にして怒るストランド。


「好き嫌いくらい良いじゃねーかよ!そもそも野菜だから食べられないんじゃない、これに入ってる野菜があんまりにも美味しくねーんだよ……っ!」


乱暴に食べ物を掻き混ぜるストランド、その顔は羞恥の赤に染まっている。


「なら、私が全部食べてやろうか?」


もう一段階、追い打ちをかけてみる。


「な、舐めんな……!」


怒ったぜこんちくしょう!と言って、泣きそうな顔になりながら嫌いなはずの野菜をバクバクと口の中に放り込んでいくストランド。


「急に仲間ヅラしてきやがって……ちょっと距離が近くなったからって調子乗りやがって……そもそもとっくに育つ年齢じゃねえーだろふざけやがって……」


ボソボソ耳に届く呪詛を聴きながら、お空に浮かぶキラキラのお天道様よりもうんと心地が悪くないな、と思うアマカセムツギであった。

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