探探の一日目。


森の中は足場が悪く、好き放題に伸び散らかした木の根や振り積もった落ち葉等によって進行速度が著しく低下する。


通常時であっても大変であろうその道は、今の負傷した我々にとってはこの上なく負担となるものだった。


ガッ!


「おっ、と」


このように足が障害物に引っ掛かって転びそうになるのはよくある事で、その度にヒヤッとさせられる。


「ち、くしょ……歩きにくいな、ったくよ」


悪態をつきながら慎重に進むストランド、彼女も既に何度か被害にあっている。


背の高い木が陽の光を遮るのも問題だ、おかげで足元がよく見えず不意な障害物に対応しにくい。


私は夜目が効くので他の者よりはマシだが、如何せん傷のおかげで思うように足を動かせない。


半ば引ずるような形でしか歩けないので、たとえ見えていても回避が難しい場面も多々ある、その事にイラつきを感じつつも一歩一歩確実に足を下ろす。


転んだ先に尖った枝なんかが落ちていた日には目も当てられない、不注意で手や足を切ろうものなら傷口から雑菌が入り込んで破傷風まっしぐらだ。


治療に時間を取られるような愚は犯せない、 これ以上足止めを食っている余裕はないのだから。


足場に関しては、気を付けていればある程度なんとかはなるが、しかし時にはどうしようもなく避けがたい困難が待ち受けていることもある。


それは——


「……また、ここもですか」


唐突に、三人の足が止まる。


私たちの目の前には、筆舌に尽くし難い密度で生い茂る緑の結界が広がっていた。


一寸先も見通せぬとはまさにこのこと、枝と枝が重なり合うようにして道を塞ぎ、それを補強するかのように生えた木や草が行く手を完璧に閉ざしている。


「これは、無理じゃな」


切り崩して進もうにも、この状態がどれほど先まで及んでいるかが分からない以上、下手に突っ込んで も良いことはあるまい。


多少の伐採程度であれば問題は無いが、ここまでのモノとなると話が変わってくる。


「仕方ねぇ、迂回だ」


とこのように、本来の道から外れて進まなくてはならない事も頻発するので、定期的に方角を確認するのは欠かせない。


来た時はどうしたのか?という疑問は残るものの、現状私は彼女らの仲間では無いので、そこを訪ねてもおそらく答えては貰えないだろう。


そもそもこの森にいた理由からして、刺客が差し向けられていたりと何やら重要性が高そうなのだ、そう簡単に情報を渡されるとは思えない。


下手に詮索して怪しまれるのも困る、ここは尋ねたい気持ちをグッと我慢して成り行きに身を任せる他ない。


ストランドが胸元から方位磁針を取りだし、パカッと開いて自分の向いている方向を慎重に確かめる。


どちらを向いても全く同じ光景が広がっているので、こういった迷わない為の道具は必須だ。


が、


方位磁針にのみ頼っていると、磁場の強い地帯に出ていた時に進む先を見失ってしまうので、木を登って太陽の出ている方向を確かめる必要も出てくる。


その役目を負うのは三人の中で最も体力があり、高い水準で運動能力を確保している私だった。


「じゃあ、頼んだぞ」


「承知した」


これは自ら志願したことであり、最初はストランドが自分でやると言っていたのだが、効率や安全性を考えると私がやるのが最適だと二人を説得した。


木ぐらいであれば、足を使わずとも腕の力だけで登ることが出来るのでそう大した負担にもならない、伊達に英雄の称号を与えられた訳ではないのだ。


太い木の幹に捕まって、握力と腕の力だけで体を支えてヒョイヒョイと登っていく。


軽い調子で仕事をこなす私を下から見て、ストランドとキリアが感嘆の声を上げている。


「あの怪我でよくやるぜ」


「こういうのを見せ付けられると、発言の真偽を確かめるまでもなく信じたくなっちまいますね」


「ひょっとしたら今こうして見ているもんが既に、アイツの言葉を裏付ける証拠なのかもしれねぇな」


「アンタ出来ますか?あれ」


「バカにすんじゃねえよ、無理に決まってんだろが」


一分と掛からず頂上に到達した私は、ガサガサと木の葉を掻き分け森から顔を出し、明暗の差によって若干目が眩みつつ太陽の浮かぶ位置を確認した。


そして進行方向に問題がないことが分かったので、先程と同じようにして体を支えつつ、下に降りる。


「どうだった」


地上に降り立ち、手をパンパンと叩いてほろう私にストランドが尋ねる。


「依然として問題は無いのう」


「よし」


此度も彼女は、私の報告を特に疑うでもなく、言葉そのままの意味で解釈し歩みを再開する。


そこで私はふと気になって質問を投げ掛けてみた。


「そう簡単に私の報告を信用してもよいのか?」


「嘘ついてるかもしれねぇ、ってか」


「可能性としては十分に考えられるであろう?」


「ンなことするメリットがねーだろ、こんな所で嘘ついたって待ち受けてるのは共倒れする未来だぜ、非現実的過ぎて一考の価値も無いな」


理屈では確かにそうだ。


しかし、いくら論理的な根拠に基づいていたとしても、つい先程知り合ったばかりの元敵対者の言葉を


自分たちは襲撃を受けて間もなく、それによって部下を大量に失い、更には相手が荒唐無稽な発言をする奴だという事を念頭に置いたうえで


それでも尚冷静な判断を下せる人間が果たしてどれだけ存在するだろうか?


非現実的と言えば私の存在の方が非現実的だろう、いったいどれだけの修羅場を潜り抜ければそんな合理の化け物みたいな思考が出来るのやら。


反英騎士団か、ひょっとしたら私が思っているのよりずっと可能性のある組織なのかもしれぬな……。


自分の中で彼女らに対する関心が深まったのを感じていた、その時——


私は。


少しの躊躇いも無く。


一瞬の迷いすら無く。


大海原の何処かで生じた海面の揺らぎでさえ捉え切るかのような鋭さで。


ほんの僅かに感じた違和感、意識に差し込む歪み、視界の端で動いた真黒い影、私はそれが何であるのかを瞬時に察し、即座に行動を起こした。


「——むん!」


問答無用の抜刀斬撃ッ!


に向けて放つ。


……ズパッ。


を切り裂いた感触、真二つに寸断される影、大惨事になる前に目論見は達成した。


「——ッ!」


瞬き一回分ほど遅れて。


ストランド、キリアが瞬間的に剣を抜き放った。


……致し方なし。


誰だってそういう反応になるだろう、しかし今のは説明をしている暇は無かった、そういう誤解を受けても文句は言えない、その事は重々承知している。


どう話せば最も穏便に済むか?頭の中で理屈を組み立てていると……


「クソッ!助かったぜアマカセムツギ……ッ!」


どうやらその心配をする必要は無さそうだということが感じ取れた。


落ち葉の上を歩いていくストランド、彼女は屈んで、剣で何かを掬い上げた。


銀色の刀身に引っ掛かり、ダランと垂れ下がっている細長くも重みのあるその物体の正体は……。


「毒蛇だ、それも人間を殺しまくってる種類のな」


闇夜の様に黒い体は森の風景に溶け込む、その牙には生き物を容易に殺害する強力な毒が仕込まれており、もし噛まれれば数十分で手遅れになる猛毒だ。


「騎士長も私も反応が遅れちまってました、貴女が居なけりゃ誰かが噛まれていたでしょう、その場合我々に治療の術は無いので確実に命を落としていた」


『感謝します』と、ストランドと共に周囲への警戒を続けながらキリアがそんな事を言ってきた。


「我々は随分長い間この森に囚われている、いい加減そろそろ集中が途切れ始めるだったのだ、どれだけ気を張っていたとしてもそれは防げない事だ」


私とて気が抜けていた、人間誰しも集中力には限界がある、私が反応出来たのは単に夜目が利いて他の者よりも早く気配に気付けたというだけのこと。


もし視界の外、背後から襲いかかられていたら幾ら私とて対応が間に合ったとは言い難い、今のはただ運が良かったに過ぎない。


「……そろそろ限界だな」


ストランドは今回の件を受けて危機感を覚えたようで、ここらで一旦休憩にしようと提案をしてきた。


「見立てが正しければ目的地までは丁度折り返し地点を過ぎた辺りだ、この先は山を登ることになるから今無理をしてここを通り抜けても良いことはねぇ」


どうだ?と私たちを見回す。


するとキリアが口を開いた。


「休むって此処でだろう?ならさっきみたく何かに襲われる危険性があるってことだ、そんな状況で腰を下ろして休憩なんかしたら危なくねーですかね?」


彼はどうやらストランドの意見には反対のようだ、確かに彼の言うことには一理ある。


それこそいつ何処から先程のような危険が飛び出してくるか分からないのだから。


それに対しストランドは反論を述べた。


「そりゃ歩いてたって同じだろ、朝からぶっ通しで進み続けてるんだ、そろそろ体力的にも集中力的にもボロが出始める時期だ、そんな状況で消耗を継続する選択をするのはオレは愚かだと思うぜ」


対立する意見、どちらの言うことにも納得出来る、進むのも止まるのも同様に危険が伴うし、相応の利点が存在する、しかし私の意見としては……。


「現状一対一で決め手がねぇ、これ以上言い合っても恐らく結論は出ないと断じる、そこでオレはお前に尋ねるぜ剣士、お前はどっちの意見に賛成だ?」


奇数人数を利用した多数決、合理的な判断だ、キリアもその意見には納得しているようで私の回答を待っている。


私は——


「進むべきだと思う」


——ストランドの意見に賛同した。


「ほおう?そう思う訳を聞きましょーかね」


うむ、至極真っ当な要求だな。


意見を述べるなら相応の根拠が必要だ、私はまだ彼や彼女とは知り合って間もなく人となりもイマイチ理解出来ていないのだから。


私は二人に向かってゆっくりと話し始めた


「経験上、こういう時に無理をして先に進んでも良いことは起こらないと知っているからじゃ


ストランドの言う通りでどっちにしろ危険はある、だがこのまま進行を続けたとして、既に一度綻びを起こした旅路じゃ


時間経過と共に同様のあるいはもっと大きな取り返しのつかない事態を呼び込む可能性は増していく、その頃には森を抜けていられる保証は何処にもない


仮に何事も起こらず進めたとしたよう、しかし現時点で我々が居るのは中間地点、森を抜けるよりも早くに体力の限界が来るだろうことは想像が付く


その時になって休憩を選んだとして


キリアも言った通り『いつ襲われるか分からぬ状況』で、集中も体力も今より欠いた状態で突発的事象に対応出来る等とはとても思えぬ


ならば余裕があるうちに、幾らかマシに体を動かせる今のうちに休憩を取るのが賢い選択だと私は思う」


長らく語ってしまったが、おおよそ自分が言いたいことは言えたので良しとしよう、後は彼らがどのような判断を下すのかを待つのみ。


「つーことで二対一だ、多数決だ、異論はねぇな?」


なんと、ストランドは本当にそれでいくつもりか、果たしてそれでキリアは納得したのだろうか、団長権限で話を決められて不満は無いのだろうか。


と、思っていると。


「了解」


拍子抜けしてしまう程あっさり彼は引き下がった、てっきり言い合いの一つや二つ起こるかと思っていたのだが……。


「反論出来ませんからね、少なくとも私には二人の案をひっくり返すに足るだけの有力な理屈を容易できねぇんで、この話は私の負けってことでおしまいよ」


「……さっぱりした男だの」


「年の功ってやつですわな」


「そんじゃ設営すんぞ、あんまり草むらには近付くなよ、と言ってもそこら中クソ緑だけどな!」


ほんの少しだけ、彼らの人となりが見えてきたような気がした……。

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