夢のはざまで会いましょう④

 ──鋭い覚醒だった。


 思わず飛び起きるも、あたりはまだ暗い。スマートフォンを手探りで探せば、現在午前一時。さっき寝たばかりでこんなにも濃い夢を見るとは。


 頭が割れそうなほどの鋭い痛みが生々しく残っている。気を落ち着かせようと部屋の電気をつけ、タバコを探すも中身はカラだった。ぐしゃっと握りつぶしながら冷蔵庫を開ける。夜闇の中で放つまばゆい光に目がくらみそうになるが、缶ビールを取ってプルタブに爪を引っ掛けた。しかし思うように開けられないので乱暴に冷蔵庫へ戻し、キッチンに立ってシンクの蛇口をひねった。頭を突っ込んで水にさらせば、いくらか気分が落ち着いてくる。

 犬のように頭を振ってしずくを払ったあと、背中の汗を手で拭った。シャワーも浴びよう。すぐさま横にあるユニットバスへ入った。冷たいシャワーに当たりながら小窓をぼんやり見つめる。


 真っ黒。この夜の中じゃ山と空の境界がわからない。繋がった景色を見ながら、柚葉の顔を思い浮かべた。


 量産型な柚葉と僕は吹奏楽サークルで出会った。担当パートは違うものの、コンパで話して意気投合したから付き合うようになる。彼女はこんな冴えない僕を愛してくれるのだが、一方の僕はなかなか彼女を満足させることができない。

 この前なんかバイトを優先したばかりに激しく泣かれた。


 あなたが忙しいって言うから我慢してたのに、どうしてわたしを優先してくれないの? わたし、ずっとずっと幸平くんのこと思ってるんだよ? それなのに、幸平くんはわたしのことなんかどうだっていいの?


 確かに、そう言われても仕方ない。もうバイトは辞めよう。大学入学してからずっと世話になった居酒屋だが、これからは柚葉を大事にしないと。


「卒業したら結婚するんだし」


 結婚しよう。そう告げたら彼女は真っ赤に泣きはらした目を柔和に細めた。嬉しそうに笑ってこくんと頷く顔が愛しく、それまで寂しい思いをさせてきたことを侘びた。

 しかし、あのとき誓った言葉を思い返すと不安な気持ちがじわりと胸中に広がる。


 僕はシャワーの栓をし、水滴をぬぐった。洗濯済みの下着と部屋着に着替える。もともと着ていたものは床に放置したままにし、電気を消して布団に潜る。


 なかなか寝付けなかったが、気がつけば朝がきていた。

 数時間経てば恐怖も和らいでいたが、浅く眠っていたせいだろうか。あの怖い夢もなんだか幻のように思え──いや、夢なのだから幻に決まっているのだが、すっかり忘れ去っていった。不思議なことに朝日を浴びると、見た夢の内容が曖昧になっていき細かいところまで覚えていられなくなる。ただ、怖かったなという感覚しか残っていない。


 今日は柚葉に会う。いや、今日だけじゃない。明日も明後日も明々後日もずっと会い続ける。そうすればきっと僕は殺されずに済む。


「……なんでそう思ったんだ?」


 着替えながら独り言つ。まったく、自分の頭の中と感情がよくわからない。

 身だしなみを整えていると、柚葉から着信が三件きていた。もうすぐ会うっていうのにせっかちだな。


 今日は柚葉が行きたがっていたレストランに行って、映画を見て、そのあとはなりゆきに任せるとして。そんなスケジュールを頭で組み立てながら家を出た。

 最寄り駅に行くまでスマートフォンが鳴り止まない。仕方なく信号待ちのときに電話に出た。


「もしもし、柚葉? もう着くからちょっとまってほしいんだけど」

『幸平くん……』

「いい? ちょっと待っててな。あと一分で着くから」


 自動車用信号機の上にいるカラスが嘴で信号をコツコツ叩く。ほどなく歩行者用信号機が青になり慌てて電話を切った。柚葉が何か言いかけた気がするけど、もう駅は目の前だからそのときに聞けばいい。


 横断歩道を飛ぶように渡って走り、ロータリーを横切って駅構内へ向かうと、改札の前でスマートフォンを触る柚葉を見つけた。


「柚葉ー、ごめん、おまたせ」


 声をかけると柚葉がすぐに顔を上げる。僕の顔を見るなり不安げな表情を見せた。


「幸平くん……」

「遅くなってごめんな。それで、電話の続きは?」


 訊くと彼女は首を横に振った。


「ううん、大したことないの。なんか心配で胸騒ぎがして……」

「なんだよ。僕が事故ると思ったのか?」


 彼女は首を横に振って答える。なんだろう、はっきりしない。まぁ、こういうことはよくあるし。


「大丈夫そう? じゃあ行こっか」


 柚葉の手を握ると、彼女はためらうように「うん」と頷いた。なんだか顔色が優れないな。でもまぁ、レストランに行けば元気になるはずだろう。

 改札を抜けてホームへ行く。先ほど電車が出たばかりらしく、ホームには人がまばらだった。僕たちが乗る電車はあと数分でやってくるらしい。一番前に並んで電車を待つ。


「──ねぇ、幸平くん」

「ん? 何? 聞こえなかった」


 柚葉が小さな声で何か言った気がし、すぐ横を見やる。


「なんですぐに電話出てくれなかったの?」

「え? だから、着いたときに聞こうかなって思ったんだよ」


 すぐさま返して柚葉の手を握り直す。しかし、彼女の温度は低く、また握り返してくれない。顔を覗き込むと、柚葉は眉をひそめて僕を睨んでいた。


「なんで後回しにするの?」

「え……だって、もう会えるのに電話する時間が無駄じゃん」

「無駄って……あぁ、そう。やっぱり幸平くんはわたしを大事に思ってないよね。この前、結婚しようって言われたとき、びっくりして許したけどやっぱりダメ。こんなのが一生続くと思ったら生きてけないよ」

「わかった。ごめんよ、今度からちゃんと電話に出るから」


 その瞬間、彼女は僕の手を乱暴に振り払った。そのはずみで僕の体がバランスを崩す。スマートフォンが線路へ落ちようとし、僕もそれを追いかけるように線路へ身を投げる。


『まもなく、四番線フォームに電車が参ります』


 機械的なアナウンスが聞こえると同時に、僕は線路の中心に倒れていることに気がついた。


「ゆ、柚葉……! 助けて! 電車、電車が……」


 電車が来る。

 ホームへ上がろうと手をかけるもうまく上がれない。足をひねったらしく、力が入らない。


「柚葉!」


 見上げると、柚葉は僕を見下ろしていた。その表情があまりにも無感情だったので全身が凍る。次第に電車の音が近づいてきた。


「柚葉……?」


「あなたに裏切られるくらいなら、」


 轟音に混ざる彼女の声は聞き取れない。


 その瞬間、僕の全身は激しい衝撃を受けて砕けた。

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