夢のはざまで会いましょう⑤

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 鋭い覚醒だった。思わず飛び起きる。あたりはまだ暗く、何時なのかわからなかったが時間なんてどうでもいい。体が千切れて砕けるような感覚が生々しく残っていて、恐怖のあまり震えている。


 気を落ち着かせようと部屋の電気をつけ、タバコを探すも中身はカラだった。苛立ち紛れにぐしゃっと握りつぶしたあと、スマートフォンを取る。この恐怖を誰かに話したい。柚葉はダメだ。他に、誰か、誰かいないか……夜闇の中で放つまばゆい光に目がくらみそうになるも構わずアドレス帳を呼び出す。


「……くそっ」


 あぁ、そうだ。柚葉に言われて全部消したんだ。


 役立たずのスマートフォンを壁に投げつけると、ガラス片が飛び散って奇跡的にゴミ箱へ落ちていった。古い学生寮の壁は意外にも厚いから近所迷惑にはならないだろう。


 気を落ち着かせるため夜風に当たろうとベランダに出た。ぼんやりと静かな夜を見つめる。

 真っ黒。山間にある大学に近い学生寮なので、晴れた日にはなだらかな山が拝めるのだが、この夜の中じゃ山と空の境界がわからない。繋がった景色を見ながら、僕は柚葉の顔を思い浮かべた。

 水鳥柚葉とは吹奏楽サークルで出会った。最近はなんだか足が重くてサークルには顔を出していない。それが柚葉のストレスになっているのがわかり、卒業したら彼女と結婚することを約束した。しかし、この前のデート中にヒステリーを起こすから喧嘩してそれきり。


 やっぱり幸平くんはわたしを大事に思ってないよね。この前、結婚しようって言われたとき、びっくりして許したけどやっぱりダメ。こんなのが一生続くと思ったら生きてけないよ。あなたに裏切られるくらいなら、先に殺してしまったほうが楽よ。


 頭の中の彼女がそう言う。その言葉は夢の柚葉だったか、現実の柚葉だったか。


 ともかく、もう彼女とはやっていけない。残念だけど、僕にできることはもうないだろう。

 柚葉の連絡先を着信拒否して消す。


「……お前が悪いんだからな、柚葉」


 僕は夜闇の中で独りごち、部屋に戻ると再びまどろみの世界へ落ちた。


 再びの覚醒もすぐだった。

 やけに焦げくさく鼻をつく臭いに気が付き、目を覚ますと一面火の海だった。


「あっ……」


 これは、夢か。いや、違う。現実だ。

 炎が布団まで迫ってくる。熱い。皮膚にまとわる炎の感触に恐怖が一気にめぐる。


「助け……助けてくれ! 誰か!」


 声を出そうとすると真っ赤な灰を飲み込んでしまい、すぐにむせた。必死に息を吸えば内臓が焼けるような感覚がしてきた。


 あぁ、ダメだ。もうダメだ。柚葉の連絡先を消したせいで、そんなことが起きるなんて。

 僕が悪いのか。僕が悪いんだろう。柚葉を拒絶したら殺される。そういうことなんだろう。

 体がいうことをきかなくなっていくにつれ、炎がさらに巻き上がる。もう熱さもわからなくなってきた。



 ***


 鋭い覚醒だった。思わず飛び起きる。あたりはまだ暗く、何時なのかわからない。全身が焼けただれていくような痛みと熱が生々しく残っていて体が震えている。


 何度もこんな目に遭っているんじゃないだろうか。僕は何度も柚葉に殺されているんじゃないだろうか。


 そんなバカバカしい思いつきを鼻で笑うこともできず、手探りでタバコを探す。布団の横に放り出されたそれはカラだから、床に放置したショルダーバッグから新しいタバコを取ろうと布団から這い出た。床に転がる僕はなんだか誰かの手のひらの上で転がされているように思える。


 タバコに火をつけようとするも、先ほど夢で見た業火を思い出して気分が萎えた。網戸を開けてぼんやりと静かな夜を見つめる。

 真っ黒。この夜の中じゃ山と空の境界がわからない。繋がった景色を見ながら、柚葉の顔を思い浮かべた。


 初めて会ったときは、引っ込み思案であまり笑わない子という印象だった。でも、二人で話すときは恥ずかしそうに笑うから可愛く思えた。好きな曲が同じで意気投合して、お互い意識するようになった。だんだん彼女の内側に触れていくにつれ、守ってやりたいと思うようになった。

 彼女はとてもつらい生い立ちを経験していて、親から育児放棄されたり学校でいじめられたり、高校のときなんかは初めてできた彼氏に二股をかけられたショックでしばらく立ち直れなかったらしい。

 恋をするのが怖い。男の人を信じるのが怖い。そう言われても、僕は彼女を幸せにしたいと強く思った。

 僕にできることはなんでもやったつもりだ。いつでも彼女優先にしてきた。そのせいで友達もいなくなった。しかし、彼女は満足しない。デート中に怒らせてそれきり。


 あなたに拒絶されるくらいなら、先に殺してしまったほうが楽よ。


 そんな風に言われ、僕は不甲斐なく逃げた。 

 彼女の傷ついた心を癒すにはもっと安定した男がふさわしいんだろう。僕ごときが立ち入れる領域じゃない。ともかく、柚葉と会うのはしばらく控えよう。

 電気を消し、布団に潜る。

 なかなか寝付けなかったが、気がつけば朝がきていた。


 すっかり目が冴えているので、気分転換に外へ出る。早朝に出かけるのは今までにない。ただあてもなく、車のない道路を歩く。

 坂をくだり、喫茶店やバス停、住宅地のエリアに出て、昔ながらの個人商店と文具屋、小さな公園がある道を抜けると突き当たりにつただらけの建物が見えた。家と家の間にあり、ドアにはステンドグラスがはめ込まれ、朝日を受けて燦然と輝く。その幻想的な光に導かれるように、僕はスムーズにそのドアまで向かった。

 ドアノブに手をかけてふと止まる。自宅のごとく勝手に入ろうとしている状況に驚き、すぐさま手を引っ込める。


「入らないの?」


 背後から声をかけられ、すばやく振り向くと小学校低学年くらいの少年がいた。仕立てのいい紺色のジャケットと半ズボン、シャツにネクタイまでしている。御曹司のような風貌だ。


「ここ、君の家?」


 聞くと少年は首を傾げた。こぼれそうに大きな瞳はこちらに向けたまま。


「ここは『時屋タソガレ』。本当はこの時間には開いてないんだけど、お兄さんは困っているようだから特別に」


 その声と同時にドアがひとりでに開いた。

 おそるおそる入ると、目に飛び込んでくるのは無数の時計。いくつもの時計が秒針を刻み、今にでも迫ってきそうなくらい圧迫感がある。そのどれもがアンティーク調の時計であり、内装も重厚感のある色味だった。

 中へ入るも店主らしき人はいない。戸惑っていると、僕の脇をすり抜けるようにして入った少年が優雅に一礼した。


「ぼくは烏丸硝子。よろしくね、お兄さん」


 そう名乗ると彼は壁にかけていた一つの小さな時計を外し、僕に渡した。


「これが君の『時』だよ。なんだかもう動かなくなりそうだね、ふふっ」


 なんの変哲もない安そうな文字盤と秒針だが、烏丸硝子の言う通り、動きが鈍いように思える。何を返したらいいかわからず沈黙を選ぶと、少年は蠱惑的に目を細めた。


「もう気づいてるんじゃないのかな。この現状、どうにかしたいと思わない? 何度も何度も同じ時間を繰り返すの、もったいないでしょう?」


 言ってることがよくわからない。でも烏丸硝子の強い眼差しに圧倒される。


「運命をえると言ったら、どうする?」

「えっ……?」

「ここはね、時をえる店さ。時、すなわち運命をえる。どう? 嘘だと思って試してみない?」


 時、すなわち運命──そんなことができるのだろうか。

 ごくりと唾を飲み、烏丸硝子を見やる。


「いくらだ?」


 思わず問うと、彼はクスリと上品に笑った。


「今回は特別にこれをタダであげる」


 そう言うと少年は、自分の首にかけていた真鍮の懐中時計を取って僕の手のひらに落とした。ズシリと重みがある。文字盤を見るも針が動いていない。


「今度またこの店に来ることができたら、そのときに買ってみるといい。店主は君を歓迎するはずだよ」


 その時計は、死んだら元に戻るという代物だった。つまり、死ぬまでは発動できないというわけだが──死ぬような目に遭うほどの酷いことはしてないはずだ。僕はもともと友達もたくさんいたし、就職先も安定的な大企業で内定もらったし、それなりに努力してきた。柚葉のことも大事にしたいから結婚を決めたけど……やはりあの夢は夢じゃないのかもしれない。ということは、また僕は殺される。


 死にたくないな。まだまだ人生はこれからだというのに。柚葉と幸せに生きたかったけど、無理そうだ。

 面と向かって伝えよう。彼女とは別れる。そこで殺されたら、また元に戻るんだろうけれど後悔しながら死ぬのは嫌だ。


 そもそも烏丸硝子は何度も繰り返しているらしいことを仄めかしていた。ということは、前の僕もその前の僕も同じように死んでリセットして元の世界に戻っていたに違いない。その度に失敗して死んでいる。そんな馬鹿げた思考が不思議とすんなり腑に落ちていき、柚葉が住むマンションまでたどり着いた。



 寝起きの彼女は驚いた様子で飛び出してきた。喧嘩別れしたあと一度も連絡していないから、驚かせるのも無理はない。

 近くの喫茶店へ二人で向かい、コーヒーを頼むまでお互い無言でいた。


「……話って?」


 柚葉はハンドバッグをぎゅっと抱えたまま沈黙を破る。僕は頭を掻きながら口を開いた。


「さっきな、変な店に入ったんだ。『時屋タソガレ』っていう」


 気まずいあまり、つい先ほど身に起きたことを話す。彼女は不思議そうに眉をひそめたが、僕の真剣さが伝わったのか神妙にうなずいた。


「それで、死をリセットするっていう時計をもらったんだけど……本当に死なないと作動しないらしいんだよね。ははは、おかしいだろ。おかしいよな……ごめん。変な話して。和むかなって思ったんだけど」

「変な幸平くん。そんなに冗談が下手だったっけ?」


 柚葉は呆れたように笑った。やっぱり彼女が僕を殺そうとするなんてバカバカしい。でも、一度でも彼女に不審を抱いた以上はもう元には戻れない。


「……柚葉、別れよう」


 長い沈黙後、僕は絞り出すようにして言った。その瞬間だった。彼女が勢いよく立ち上がり、コーヒーをこぼした。熱々のコーヒーが飛び散ろうとも構わず、彼女はふわふわの髪の毛を振り乱して僕に迫る。


「それが、幸平くんの答えなんだね。わたしと別れて、新しい人生を歩むってわけね。どうしてもそうしたいんだね」


 唐突の豹変に驚き硬直する間、彼女はハンドバッグに手を入れた。そして、包丁の柄らしきものをつかむ。

 あぁ、やっぱりそうだったのか。なぜか妙に納得していく自分がいて、恐怖を忘れていく。

 刹那、彼女の刃が空を斬った。


「落ち着いて! みなさん、落ち着いてください!」


 鋭い声がし、気がつけば僕はソファにもたれており、顔から肩にかけて切り傷を負っていた。朦朧とする眼前では男の店員と客が数人、柚葉を取り押さえている。

 脇では救急隊員が僕の様子を窺っており、あたりは騒然としている。あれ? 僕は死んだんじゃないのか?


「幸平くん! わたし、絶対諦めないから! ずっと待ってるから!」


 柚葉の狂った絶叫が喫茶店に響き渡る。


絶対、一緒に幸せになろうね! だから、忘れないでね!」


 救急隊員に運び込まれながら、僕は再び意識を手放した。

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