「九曜。おい、九曜!」

 秋沙は布団の中で寝息を立てている九曜の額を指で小突く。

「あ痛ぁ! ひどいなあ。起こすならもう少し丁重に扱ってはくれまいか」

「うるせえ。私はもう学校行くから、洗濯と掃除しとけよ」

「ふうむ。まあ毎朝のことだから今さら聞くのも野暮だとは思うが、君が以前と同じ生活を送ることになんの意味がある?」

「ねえな」

 秋沙は死んでいる。

 あの時、九曜が秋沙もろとも青ヤギを消し飛ばそうとした山中で、神宮秋沙という人間はこの世界から切り離された。

 具体的には、秋沙は気づいてしまったのだ。

 自分がこの物語の視点人物で、主人公であることに。

 当然、秋沙を主役に据えた物語のほうは、そんな無法は許さない。第四の壁を破ってしまった秋沙を壁の向こうに弾き飛ばし、物語世界の存続という道を選んだ。

 物語の外に出た秋沙は、そこで九曜がこの物語の外からやってきた人間であると知った。秋沙の物語世界の外縁に無数に存在する、かつて物語世界だった異界。そこから青ヤギを探して侵入してきた、文字通りの異物が五代九曜の正体であった。

 九曜のいた異界――〈逢遠アイオーン〉に回収された秋沙はそんなことを聞かされながら、九曜当人の姿が見えないのが気が気でなかった。

 九曜はどこにいるのかとたずねると、秋沙の物語世界に残っていると答えがあった。

 なぜかと問うと、本来〈逢遠〉に来るはずではなかった登場人物を略奪したために、その帳尻合わせのために当面は秋沙の物語世界に居残ることになると教えられた。

 それを聞いて、秋沙は自分の物語世界に戻る決心をした。

 無論、すでに秋沙は死んだものとされている。なので、幽霊としてかつての生活の真似事をすることになった。

 九曜と一緒に、かつて閉じ込められた一室の中で。

 秋沙は幽霊となって、今日も学校に向かう。

 九曜はこのままではスケバンの幽霊の噂が立つのではないかと気を揉んでいるが、秋沙の狙いはそこにあった。

 九曜が仕留めたことで青ヤギという歪みが矯正され、秋沙が弾き出されたことで物語を失ったこの世界から、九曜が当面脱出できない状況を打破するためには、新しい妖怪が必要なのだ。

 それも、相応にとち狂った。

 スケバンの幽霊などという正気を疑う現代怪異を人口に膾炙させることができたのなら、この世界に青ヤギが消えた分の狂度をいくらか補填することが可能となるかもしれない。

 冠位計画とやらは青ヤギが消えたことで未然に防がれたようだが、今の秋沙には冠位計画なる狂ったストーリーラインがどうしても必要だった。たとえ自分自身がおそるべき妖怪に利用されることになろうとも、物語を失った物語世界を少しでも進めることができるのならば、使えるものはなんだって使う。

 この世界での居残りを定められた九曜を、少しでも早く助け出すために。

 九曜は秋沙をこの世界から弾き出した元凶である。秋沙を騙し、誑かし、殺した最低の女である。

 そして、秋沙を主人公たらしめ、物語世界に拠らない秋沙の物語を始めさせたくせに、当の自分は間抜けにも秋沙の物語世界に閉じ込められてしまったクソ女である。

 秋沙は自分の物語を始めることができる。〈逢遠〉で。無数の異界群で。だが、秋沙はその一歩を踏み出さずに元の世界に幽霊として舞い戻った。

 秋沙の物語が始まる時、一緒にいてほしい女ができてしまったから。

 さあ、かかってこいよ。青ヤギでもGRAND MONONOKEでも全部殴り飛ばしてやる。だからさっさと狂い始めろ。狂って、狂って、破綻して、九曜という異物を吐き出せ。

「早くしろよ、クソ女」

 四国山中に、鉄仮面をしたスケバンの幽霊が出る――というハナシが爆笑をもって受け入れられ始めるのは、ほんの少し先の話である。

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青ヤギの冠 久佐馬野景 @nokagekusaba

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