青ヤギはそこにいた。

 秋沙は真っ直ぐに、その鉄仮面に覆われた顔を睨んだ。この鉄仮面をした青い体毛のヤギが、今の事態を招いた元凶。

 その妖怪を狙ってこんな山奥までやってきた九曜は、一歩引いたところで煙草をくゆらせている。近づいた時に煙草臭くなかったはずなので、日常的には吸っていない。

 ではなぜ一服しているのか。秋沙と青ヤギを対面させるためだ。

 九曜は自分の目標である青ヤギすら横着をして秋沙に片付けさせようとしている。夜を昼に塗り替える術の消耗が激しいのだとしても、これほどの大規模呪術ならば一気に片をつけることも可能なはずだ。

 ひとえにこれは、五代九曜という女の自堕落な任務遂行能力によるもので――

「果たしてそうだろうか」

 九曜は火のついた煙草を指で挟み、大きく息を吐く。口から煙は出てこない。

「秋沙くんは非常に賢い。これは少々想定外だった。だから自分で答えにたどり着くのではないかとひやひやしたし、期待もしていたのだよ。しかしまず前提となる知識の提供を行わなかったのはあまりフェアではなかったかな。そういうわけで、青ヤギという妖怪の話をしようか」

 ちりちりと肌が焦げる感覚。

「青ヤギは『ケイブンシャの大百科319 迫り来る‼ 霊界・魔界大百科』という書籍で『謎の動物たち』として紹介されているうちのひとつだ。それによると高知県に出たとされ、全身が青い体毛に覆われたヤギで、鉄の仮面をつけていた。鬼によって飼われていたのではないか、とされている。そして」

 全身が光に包まれ、くまなく燃える。

「これを目撃した者は女子高生だった」

 秋沙はここまでの筋書きを思い出す。

 青ヤギ。妖怪ハンター。屋敷の一室での一夜。そこからの脱出。追っ手の鉄仮面怪異。まさか。いや。実際。

 実はプロット上では、秋沙は存在していなくとも問題がない。

 これは山奥にやってきた妖怪ハンターが青ヤギを追い詰める話であり、その障害はすべて彼女ひとりの力によって排除することができた。

 秋沙はそこに配置された現地住民のひとり。本当は最初からこの話に出る幕はなかった。

 だが九曜は無理矢理、秋沙を表舞台に引っ張り出した。

 なぜか。簡単な話だ。

 青ヤギを目撃したのは女子高生だった――秋沙という存在を、青ヤギの構成素材へと置き換え、青ヤギを表舞台に引きずり出すために。

 ひょっとしたら、秋沙は十七年間鉄仮面で顔を奪われ、青ヤギの対抗策か、その身代わりとして育てられていたのかもしれない。ならば秋沙と青ヤギは、本質的には同じ存在だと言えた。もし九曜が秋沙に出会わずに青ヤギを探し回っていたら、決して青ヤギにたどり着くことはなかった。

 だが九曜はまんまと秋沙を引っ張り出すことに成功し、青ヤギと秋沙を並べて、同一存在となった両者を、同時に消し去る。

「あんたは――あんたは――!」

 怨嗟の声を上げようにも、肺も喉も焼き尽くされてまともに息すらできない。

「あんたは、最初から――!」

「ねえ秋沙くん。ちょっとまともな人間ならすぐに気づくことなんだよ。狂っているのはこの世界のほうなんだということは。だいたい、妖怪の実在が証明されたなんてふざけた道理が通じていることがいかに狂気的なのか、博士の家の君ならば理解できるはずだ。世界は完全に汚染し尽くされてしまった。あの〈大災礼〉によってね」

 2017年の〈大祭礼〉をきっかけとして、妖怪の実在は証明された。

 わかっているに決まっている。そんな馬鹿な話はない。だから九曜はきっと、彼女が〈大災礼〉と呼ぶおそるべき災害を経た世界を視ている。

 それでも、秋沙はもがく。全身が灰となって散っていきながら、九曜に問いかける。

「なんで、私を――」

「言わないと駄目かなあ。恥ずかしいのだが、致し方ないか。ええっとだね、ひと目見た時から、その……顔が好きだった」

「――は?」

 光条に焼き尽くされる中で、まさかそんな最悪な告白を聞くことになろうとは。

「頭も百年の恋も冷めたかな? ではいい加減に気づこうか。秋沙くん。これはね、君の物語なのだよ。なぜって? 見ればわかるだろうとも!」

 光、が。

「最初からずっと、視点人物は三人称一元視点で、君なのだから」

 秋沙を照らしていた。

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