第4話 4

 病院を抜け出して、少し歩くと大きな通りに出た。


 背の高いビルが立ち並び、商店が軒先を構えて賑わっている。


 歩道を歩く人々は、パークのスタッフやその家族なんだろうね。


 お休みを満喫するように、みんな楽しげな笑みで行き交っていた。


 車道を行く車通りも多い。


 この世界の車は外観こそ前世のものに似ていたけれど、車体にタイヤがなくて、代わりに底に半球状でほのかに光る結晶が埋め込まれていて、それで地面から少し浮いて移動していた。


 停車する時は、タイヤがあるはずのところから、脚が伸び出て停まる仕組みみたい。


 科学万能な世界って聞いてたから、空飛ぶ車がビュンビュン飛び交ってるイメージがあったんだけどね。


 どれほど科学が進んだ文明と言っても、街並みは前世、テレビで観た都会の繁華街の様子と大して変わらないように思えた。


『――先頃、行方をくらませたステラ・ノーツ嬢は、依然、その足取りが掴めず、お見かけの方は、ぜひ執行部までご一報をお願いします』


 通りかかったビルの上で、街頭ホロヴィジョンにわたしの顔が大映しになる。


 ……ああ、大騒ぎになってる……


 本当にわたしは、誰かに迷惑をかけてばかりだ。


 パーカーのフードを目深にかぶり直して、わたしは涙が溢れそうになるのを堪えて、道を進む。


 行くあてなんてどこにもない。


 お金も持ってないから、買い物もできない。


 これがファンタジーキングダムなら、森に隠れて暮らしていく事もできたのに、ここは遥かに離れた惑星の裏側で。


 これからどうしたら良いのかなんて、まるでわからないけど、とにかく都市部を離れて、静かに……そう、もうこれ以上、誰にも迷惑をかけずに生きて行きたかった。


 そうしてとぼとぼと歩いていると。


「――ねえ、あなた、ひとりなの?」


 肩を叩かれて、そんな風に声をかけられた。


 振り返ると、スーツにタイトスカートのスラっとした、綺麗なお姉さんが立っていて。


「――んん?」


 声は確かに男の人なのに、目の前にいるのはお姉さん。


「ああ、突然ごめんネ? でも、お嬢ちゃんみたいな小さな子が、ずっとひとりで歩いてるじゃない? 気になっちゃって。

 ――ひょっとして迷子?」


 やっぱり声は、少し高いけど、確かに男の人だ。


 つまり、お姉さんはオネエさんなのか。


 前世も含めてそういう人と出会ったことはなかったけど、目の前で頬に手を当てて心配そうにわたしを見下ろすオネエさんは、声以外はすごく綺麗な――女の人にしか見えなくて。


 そして、きっとすごく良い人。


「ええと……」


 どう答えたものか迷っていると、オネエさんは慌てたように両手を振って。


「あぁ、アタシは怪しい者じゃないわよ?

 ケティって呼んで。もし迷子なら、案内しようと思って声をかけたの」


 そう言って苦笑するケティさんは、やっぱり良い人なんだと思う。


「わたしは――えと、シホです」


 とっさに前世の名前を口にする。


 さっき捜索されてるって、ニュースやってたもんね。


「そう。じゃあ、シホ。どこに行こうとしてたの?」


 とりあえず街の外に向かう為の道を教えてもらおうか……


 そう考えて切り出そうとした時。


 ――ぐぅ~、と。


 わたしのお腹が盛大に鳴いた。


「あ、あうぅ……」


 顔が熱い。きっと真っ赤になってるはず。フードで隠れてケティさんに見えてなければ良いけど。


 で、でも、仕方ないと思う!


 考えてみたら、わたし二日間寝込んでたみたいだし、最後に食べたのはミナのクッキーとお茶だけなんだもん。


 どれだけ悩んで落ち込んでても、お腹って空くんだね。


 そんな自分を情けなく思うよ。


 恥ずかしさに俯くと。


「アハハ。そっかそっか。お腹空いてたのね。

 良いわ、ウチの店がすぐそこだから、なにか用意してあげる」


「で、でもっ! わたし、お金持ってなくて……」


「子供が変な遠慮しない! ほら、行きましょ」


 と、ケティさんは手を振って、わたしの前を歩き始める。


 手を握ったりしないのは、怖がらせないためかな?


 行くあてもないし、お腹も空いたし……なにより、ケティさんはわたしの素性に気づいてないようだったから、わたしはお言葉に甘えることにした。


 ケティさんは慣れた足取りで、路地をすいすい進んで行く。


 わたしの歩幅に合わせてくれてるのか、決して速くはないんだけど、流れるような歩き方がカッコよかった。


 やがてわたし達はビル群の中にぽっかり開けた緑地――公園のような所に辿り着いた。


 整えられた芝生や植木の間を、レンガ敷きの遊歩道が設けられていて、ケティさんに導かれて、わたしは進んで行く。


「――着いたわ」


 それは公園の片隅にある、カフェラウンジだった。


 オープンテラスになっていて、温かい雰囲気のデッキチェアも並べられている。


「準備してくるから、シホちゃんはそこで待っててね」


 と、ケティさんはわたしにウインクひとつ、入り口の鍵を開けて、店内に入って行った。


 わたしは言われたままに、デッキチェアに腰掛ける。


 目の前に広がる公園の雰囲気は、先程までの街並みと違ってひどく閑静で、遠くから聞こえてくる鳥の声が、おじいちゃんと暮らしていた森を思い出させてくれる。


 少しすると。


「先に飲み物ね」


 スーツから白い調理服に着替えたケティさんが、トレイにカップを乗せて戻って来て、わたしの前のテーブルに置いた。


「ご飯もすぐに用意するから。これでもお客さんに美味しいって評判なのよ?

 期待して待っててね」


 そう言って、ケティさんは再び店内に戻り。


 わたしはひとり、デッキチェアの上でカップを傾ける。


 りんごジュースだった。


 レモン果汁も混ぜてるみたいで、ほんのりすっぱくて、それでいて優しい甘みが疲れた身体に染み渡る。


 美味しかった。


 風が吹いて木々がさざめき、フードで隠した頬を撫でていく。


 ひどくゆったりした時間に、ささくれだった心が、ちょっぴり落ち着くのを感じる。


 カップの中身がなくなる頃、ケティさんは戻って来た。


 トレイに乗せられているお皿には、真っ赤な色のパスタ。


「トマトソースパスタよ。シホちゃんはピーマンは平気だったかしら?」


「あ、はい。大丈夫、です」


 タマネギの白に、ピーマンの緑。厚切りのベーコンも見て取れて。


 真っ赤に染まったそれは、まさしく前世で食べたナポリタンだった。


「さ、召し上がれ」


 わたしの正面に座ったケティさんは、頬杖を突いて笑顔でそう勧めてくれる。


「いただきます」


 フォークでくるくると麺をまとめて口に運べば、トマトの風味にほんのりと甘さが広がる。


 ――お子様ランチのナポリタンだっ!


 前世では外食の経験なんて、滅多になかったわたしだけど。


 小さい頃、本当に体調が良い時に、両親と三人でお出かけして、デパートのレストランで食べたお子様ランチ。


 あの時の味が思い出されて――不器用にフォークで麺をすくって頬張るわたしを、両親はすごく優しい笑顔で見つめていたっけ……


 病院であんな夢を観たからだろうか。


 わたしは思わず涙をこぼしていた。


 ――ああ、本当に薄情な……親不孝な娘でごめんなさい。


 わたしは確かに愛されていたのに。


 最後に――悲しませたくないと、独りよがりな想いで、なんの言葉も遺さなくて。


 こんな風に、あの時を思い返すことになるのなら、思い返せるのなら、ちゃんと……両親に、そして幼馴染のあの子に、ちゃんと言葉を遺しておくんだった。


「――ど、どうしたの!? シホちゃん、や、やっぱりピーマンダメだった?」


 慌てるケティさんに、わたしも慌てて首を振る。


「ち、違うんです! 美味しいです! すごく! すごく……」


 鼻の奥がツンとして、視界が歪む。


 涙を拭うと、フードが落ちた。


「――っ!?」


 ケティさんが息を呑んだけど、彼女はすぐにため息。


「ありがと。泣くほど美味しいって言ってもらえるなんて、料理人冥利に尽きるわね」


「はい、大好きな味です。これ」


 洟をすすって、わたしはさらにパスタを頬張る。


 そのたびに涙が溢れてきたけど、優しい甘さが染み渡って、わたしは夢中で食べ続けた。


 ケティさんはその間、なにも言わずに見守ってくれて。


「――すみません、お店、やってますか?」


 と、お客さんがやって来て、ケティさんは席を立つ。


「は~い。営業中ですよ。店内で少々お待ち下さいね」


 入り口を開けて、お客さんを店内に招き。


「ごめんね、シホちゃん。落ち着いたら、帰り道探すの手伝うから、ちょっと待ってて」


 トレイに乗せられたピッチャーから、カップにお水を注いでくれて、ケティさんは店内に戻って行った。


 すっかり食べ終えたわたしは、カップのお水で喉を潤して。


 ケティさんには、随分とお世話になってしまったと思う。


 急に泣き出したりして、困らせてなければ良いけど。


 なにか恩返しできる事はないだろうか?


 役立たずなわたしだけど……それでも優しくしてくれた人には、ちゃんと恩返ししたいと思う。


 前世では、両親やあの子に、それができなかったから。


 前世と違って、自由になる身体があるんだから、なにかできることをしたいよ……


 そんなことを考えていたはずなのに。


 お腹がいっぱいになったわたしは、わたしの意思に反して、うとうととし始めて。


 いつしか、わたしは微睡みの中へと落ちていった。

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