第4話 5

 どれくらい、そうしていたんだろう。


『――テラっ! 返事なさい! ステラっ!!』


 わたしの名前を呼ぶ声。


「……んっにゃっ!?」


 ビクリと身を震わせて、わたしは目覚めた。


 すっかり寝入ってしまっていたみたい。


 空は燃えるような茜色で、その上の方は薄墨を引いたようなベールが帳を降ろしていた。


 その境目は赤と紫の淡いグラデーションを彩っていて。


 沈みゆく太陽に照らし出された背の高いビルが、逆光で真っ黒にそびえて見えた。


 そして。


 そんな空を真一文字に尾を引いて横切る、蒼碧の輝き。


 ――あれは……


 わたしはあれを――こんな光景を見たことがある。


『――ステラっ!』


 今度ははっきりと聞こえた。


 ユニバーサルスフィア経由で、ローカルスフィアに届けられた呼び声。


「……エリス、様?」


『――見つけたっ!』


 黄昏と宵の狭間で、蒼碧の尾は弧を描いて。


 まるで一番星のように輝いたそれは、どんどん大きくなっていく。


 それは、白を基調に鮮烈な蒼で彩られた一隻の船。


 宇宙港のドックで見た、どの船より小さい――けれど、どの船より美しいと思う、その船の名を、わたしはもう知っている。


「<シルフィード>……?」


 かつておじいちゃんが駆って、邪神教団を壊滅させたという深宇宙探査艦だ。


「どうしてここに?」


 呟くわたしを照らし出すように、船首下部からスポットライトのように光条が発せられた。


 真っ白なその光の中を、真っ赤なドレスを風になびかせ、エリス様がゆっくりと降下してくる。


 背後に最後の輝きを見せる日の光を背負って。


 だから、蜂蜜色の髪は燃えるように真っ赤に見えた。


 でも、その表情は逆光になってよく見えない。


 腰に手を当てて仁王立ちの彼女は、ゆっくりとわたしの前に降り立って。


「――ステラっ!」


 名前を呼ばれたかと思った直後、わたしは思い切り抱き締められた。


「――バカっ! おまえはバカよっ!」


 そう訴える声は涙声で。


「エリス様……」


 ああ、またこの人を困らせてる。


「おまえが居なくなる必要なんてないのよ! 世間の声がなんだっていうの!?」


 こんな時はSNSスフィアネットワークシステムという技術を恨めしく思ってしまう。


 きっとわたしがユニバーサルスフィアを覗いたことも、エリス様はご存知なんだろう。


 だから、わたしはまるですがるように抱きしめてくる、エリス様に首を振る。


「でも、わたしは負けました!

 みんなはわたしなんかじゃなく、もっと有名な騎士の方を近衛にした方が良かったって言ってましたし……」


 エリス様が弾かれたようにわたしの顔を覗き込む。


「――わ、わたし……これ以上、エリス様にご迷惑をかけたくないんですっ!」


「わたくしがいつ迷惑なんて言ったの!?

 おまえはわたくしの言葉より、顔も知らない誰かの言葉を信じると言うの!?」


「でもっ! でも、わたしは役立たずで――!」


「――黙りなさいっ!」


 再びきつく抱き締められた。


「何度だって言うわ。おまえはわたくしのモノよ。

 おまえがどんなに打ちのめされ、自分自身を信じられなくなったとしてもっ!」


 コツンと額が合わせられる。


 透き通った宝石のような青の瞳がまっすぐにわたしを映して。


「――わたしだけはどんなことがあっても、おまえを信じ抜くし、絶対に守ってみせる!」


 ああ……なんでこの人はこんなに……強くて、美しいんだろう。


 涙が溢れて止まらないよ。


「でも、でも、わたしはぁ……」


「――でも、はもう良いと言ったわ。誰がなんと言おうと、おまえはわたくしのモノだし、わたくしの近衛はおまえだけなのよ」


 そして、エリス様はゆっくりと目を閉じて。


「……それを思い出させてあげるわ」


 唇が――ゆっくりと重ねられて。


 強く深く結びついた、互いのローカルスフィアの感触を自覚する。


 ああ、そうだった。


 わたしの命はこの人のもので。


 わたしはもう、この人から離れられ――ううん。離れてはいけないんだったわ。


 スフィアリンクで重なったローカルスフィアで、どれほどエリス様がわたしを心配してくれたか、痛いほどに伝わってくる。


 唇が離れて、それでもすごく近くにエリス様の吐息を感じる。


「……思い出したかしら?」


「はいぃ……」


 わたしの返事は、ひどくうわずった情けないもので。


「わたくしはおまえが良いの。おまえ以外はいらないわ。

 だから、おまえをさいなむあらゆる事から、わたくしはおまえを守るわ」


 わたしを抱きしめる両手に力が込められる。


「けど、それじゃ立場が逆ですぅ……」


 嗚咽しながら訴えるわたしに、エリス様は笑みを漏らしたようだった。


「――おまえはわたくしを守ってくれないの?」


 喉が詰まったような感覚。


 わたしは首を振りたくって、息を吸い込んだ。


「わたしもっ! わたしだって、エリス様を守りますっ!」


「そういう事よ。わたくし達は契約システム上は主従だけどね」


 と、エリス様は顔を離して、わたしに美しい笑みを向けてきた。


「お互いを支え合ってはいけないなんて決まりは、どこにもないのよ?」


 そして、その済んだ瞳でわたしの目を覗き込む。


「ステラ、おまえはなに?」


「――エリス様の近衛で――あたぁっ!?」


 おでこを指で弾かれた。


「残念、違うわ」


 エリス様はいたずらげな笑みを浮かべて、わたしを離してくるりと身を回す。


 それからわたしの胸に人差し指を置いて。


「一度しか言わないから、よく覚えておきなさい!」


 そうして。


 エリス様は――わたしの大切な主は、最高に綺麗な笑顔と共に、わたしに……役立たずで、誰かを困らせることしかできないと思い込んでたわたしに――とびっきりの言葉をくれたんだ。


「――おまえは、わたくしの宝物よ!」


 こんなのズルいよ。


 耐えられるはずがないじゃない……


「ちょっ!? ステラ!? えぇ!? なんでっ!?」


 戸惑うエリス様をよそに、わたしはその場に崩れ落ちて、声をあげて泣き出していた。


 ゆっくりと太陽がビルの向こうに消えていく。

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