修行の始まり

 それからは何事もなく家へたどり着くと、凜月りつきは取りも直さず覚元の部屋へ向かった。


 砕け散ったブレスレットは、凜月りつきが小さい頃に覚元からプレゼントされたものだった。だが、なぜかブレスレットをしていないと覚元のみならず、家族からもしかられるので昼夜を問わずずっと着けていて、いつしか体の一部のようにも感じていた。


 それが亡くなった今、左手首がスース―してなんだか頼りない。


 覚元の部屋に着くと声をかける。


「おじい様。凜月りつきが参りました」

「おお。そうか。入れ」


「失礼します」と言いながら、部屋に入る。


「おまえの方から来るとは珍しいな。何かあったか?」


 凜月りつきは、ブレスレットが砕け散ったこと、そして、その直後に幽霊らしきものに会ったことを話した。


「そうか。いよいよその時が来たか」

「その時って?」


 覚元は、ブレスレットのいわれを語ってくれた。


 凜月りつきは、実は霊感がとても鋭い子で、小さい頃は怖い幽霊や妖怪を見たと言っては泣きじゃくっていたらしい。そこで、覚元が霊感を封じ込めるブレスレットを作り、凜月りつきに着けさせたのだ。


 物心がつく前のことだったので、凜月りつきは全くそのことを覚えていなかった。


「おまえの成長とともに霊格が高まり、それに耐えきれずにブレスレットが砕け散ったのだろう」


「では、またブレスレットを作っていただけませんか?」

「いや。わしの力ではあれ以上の物は作れない」


「そ、そんなぁ」

「とりあえず、魔除まよけのブレスレットは作ってあげよう。あとは自分でなんとかできるようにすることじゃな」


「何とかって?」

「幽霊や妖怪のたぐいは、見たり声を聴いたりできると知れると、その者のところに寄ってくるからな。普通は気づかれないように無視を決め込めば問題ないのだが、中には害意のある者もおる。その辺の小物ならば自分で払えるようにならないとな」


「そんな、無茶な!」


「とにかく明日からは修業じゃ。修行は朝が良いから、明日の早朝からわしのところに通うこと。良いな」

「はい。わかりました」


「なに。案ずることはない。才能だけからすれば、わしよりもおまえの方が上かもしれん。すぐに身に付くさ」

「はあ……」


(そうだ。あれも相談しておかないと……)


 凜月りつきは、例の危ない男子のことを思い出した。


「それから……」

「なんじゃ。まだ何かあるのか?」


 凜月りつきは、電柱の上に立っていた男子のことを話した。


「確かに、種に封印されていた、と言ったのじゃな」

「はい」


「伝承では詳しいことは触れられていないのだが、家宝というからにはいかにもありそうな話ではあるな」


 その時、凜月りつきの背後から声がした。


「その危ない男子というのは、俺のことか?」


(えっ! いつの間に?)


 凜月りつきは驚いたが、覚元は、それ以上に驚愕きょうがくの目で男子を見ている。


 覚元は言った。

「そのお姿は! もしや哪吒太子なたたいし様でいらっしゃいますか?」

「そうだ。坊さんだけあって良く知っているじゃねえか。だが、太子なんて呼ばれるとこそばゆいから、普通に哪吒ナージャと呼んでくれ」


 哪吒ナージャは、毘沙門天びしゃもんてんの三男であることから哪吒太子なたたいしと呼ばれる。


 蓮の花や葉の形の衣服を身に着け、乾坤圏けんこんけん(円環状の投擲とうてき武器)や混天綾こんてんりょう(魔力を秘めた布)、火尖鎗かせんそう(火を放つ槍)などの武器を持ち、風火二輪(二個の車輪の形をした乗り物。火と風を放ちながら空を飛ぶ)に乗っている。


 哪吒ナージャ凜月りつきに言った。

「危ない男子なんかじゃないからな。わかったか?」

「わかったわよ。でも、現代にその格好かっこうじゃ、そう思われてもしょうがないわ」


「確かに。何百年かしれねえが、眠っていた間に世の中すっかり変っちまってる。俺もわからないことだらけだから、慣れるまで、ここのうちにやっかいになるぜ」

「承知いたしました」


(えっ。おじい様それはないんじゃぁ)


 凜月りつきは抵抗を試みる。

「あんた。普通の人には見えないんでしょ。それにその格好も何とかしないと」

「ああ。これでどうだ?」


 哪吒ナージャは、普通の男子のカジュアルな恰好かっこうになると実体化した。それを、あっけにとられながら凜月りつきは眺めていた。


 もはや文句のつけようがない。普通の高校生男子である。


 そして、あれよあれよという間に、哪吒ナージャは、普光院で同居することになった。


    ◆


 翌朝から凜月りつきは覚元のもとに通い、修行を始めた。

 普光院は真言宗の寺らしく、阿字観瞑想あじかんめいそうから始まり、印の結び方や真言の唱え方、護符の使い方などに及んだ。


 一方、哪吒ナージャは、凜月りつきと同じ高校に通うことになった。

 覚元が裏から手を回して、強引にねじ込んだらしい。


 哪吒ナージャは、粗忽そこつで乱暴な性格。高校生活では、男子とは度々喧嘩沙汰けんかざたを起こしたが、重傷を負わせるようなことはなかった。それでも手加減はしているらしい。


 だが、女子からは人気があった。

 哪吒ナージャは、ガンダーラ遺跡の仏像のように東洋と西洋を折衷したような顔つきで、日本人からするとハーフ顔のハンサムに見える。

 それに、女子に対しては親切で、決して暴力を振るうことはなかった。


 凜月りつきは、哪吒ナージャが女子と仲良くしていると不思議と機嫌が悪くなるのだった。


    ◆


 凜月りつきが修行を始めて半年が過ぎた頃、ようやく初歩的な退治程度はできるようになっていた。


 そんなある日、凜月りつき哪吒ナージャは覚元に呼ばれた。

 覚元は言った。


「東町に奥深い鎮守の森があるだろう。その近辺で行方不明者や怪我人がでておってな。警察も捜査をしているのだが、目撃者の話だと、どうもこれが蜘蛛くもの化け物のしわざらしい。そこでだ。凜月りつき。ちょこっと行って、退治てこい」


「えーっ! 何で私が?」

「わしは、この間の妖怪退治で腰を痛めてしまってのう。まともに動けぬのじゃ」と言うと、これ見よがしに腰をさすった。


「怪我が治ってから、おじい様が行けばいいじゃない!」

「なにを言っておる。その間に被害者が増えたらどうする」


「それは、そうだけれど……」


「すみませぬが哪吒ナージャ様。凜月りつきを助けてやってくださらぬか?」

「おう。わかった。任せとけ」


「そうよ。私じゃなくて哪吒ナージャが退治すればいいんじゃない。あんた強いんでしょ」

「それじゃあ、修行にならねえだろう」


「何よ! あんたまで」


 そして、その日の晩。蜘蛛くもの化け物を退治に行くことになった。


    ◆


 凜月りつき哪吒ナージャは鎮守の森に来ていた。


 今日はさくの日の翌日の二日月で、視界はとても暗く、時折聞こえる鳥やわからない動物の鳴き声が凜月りつきの恐怖を誘った。


 凜月りつきは化け物の気配を探りながら恐る恐る進んでいく。


 ふと嫌な予感がして後退あとずさると、暗がりから太い蜘蛛くもの足のようなものが凜月りつきがいた場所を襲い、地面を深くえぐった。


「きゃっ」と驚きの悲鳴をあげる凜月りつき


 その後も蜘蛛くもの足は次々と襲ってくる。

 勘の良さを頼りに、それを何とかぎりぎりける。


 凜月りつきが霊感を集中するとボーっと化け物の全体像が感じられた。


(そうか! 視覚に頼らなくても霊感で感じればいいんだ)


 化け物は、女郎蜘蛛じょろうぐものような禍々まがまがしい大蜘蛛おおぐものボディに、人型の上半身が乗っている姿だった。人型の方も禍々まがまがしい模様の入った顔で、口が大きく裂けている恐ろしい形相ぎょうそうだった。

 いちおう女のようだ。女郎蜘蛛じょろうぐもの化け物ということだろうか?


 姿が見えたことで、攻撃はけやすくなったが、反撃をしないとジリ貧だ。


(ここは奴の動きを止めなくちゃ)


 ここは急ぐので簡易の方法で行くか。

 凜月りつき刀印とういんを結ぶと、空中に九字を切りつつ唱える。


りんぴょうとうしゃかいじんれつ前・ぜんぎょう! のぞつわものたたかうう者、皆、陣ならべて前を行く!」


 すると蜘蛛くもの化け物は空間に呪縛されて動きを止め、これをこうと必死にもがいている。


(よしっ! 今だ!)


 炎帝の呪符じゅふふところから取り出し、蜘蛛くもの化け物に投げつける。


「呪符退魔、急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう! 炎帝の火炎もて、罪障を滅したまえ!」と、鋭く唱えた。


 激しい炎が、蜘蛛の化け物を襲う。恐ろしげな悲鳴をあげながら苦しさにもがいている。


(お願い。このまま息絶えて……)


 だが、蜘蛛くもの化け物は、火事場の馬鹿力とばかりに最後の力をふりしぼって九字の呪縛から強引に逃れ、炎まみれの体で凜月りつきに突進してきた。


 突然の出来事に、凜月りつきの体は反応できない。あまりの恐怖に、目をつぶる。


「きゃーっ!」と、悲鳴が口をついた。


 その時……。


火尖鎗かせんそう!」


 それまで高みの見物を決め込んでいた哪吒ナージャが動いた。

 彼が持つ火尖鎗かせんそうから炎が射出され、蜘蛛くもの化け物は寸前のところで黒焦げとなった。


 凜月りつきは緊張の糸が切れ、その場にへたり込んでしまった。


 しばらくして、哪吒ナージャへの怒りが湧きおこってくる。


「もう。もっと早く助けなさいよね!」と苦情を言うと、凜月りつきは、哪吒ナージャをポカポカと叩いた。

 その顔は涙ぐんで、ぐちゃぐちゃになっていた。


 哪吒ナージャは、叩かれてもちっとも痛くないのだが、どう対処してよいかわからず、困惑の表情を浮かべていた。


    ◆


 翌朝。

 凜月りつきは覚元のところへ報告に行った。


 だが、ねぎらいの言葉の一つもあるかと思いきや……。


「たかが蜘蛛女郎くもじょろうごときに手こずるとはなさけない。しかも、哪吒ナージャ様のお手をわずらわせるとは、まだまだ修行が足らんのう」


 凜月りつきは反論する気概も湧かず、答えにきゅうした。


「…………」


 そして、いつまでこんなことが続くのかと途方に暮れるのであった。

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