第17話:どうも、ラスボスです
執事長が、声を上げずに表情だけで「アッ」と言った。
軽く笑いかけると、少し困ったように彼も笑みを見せた。
「出ちゃったものは仕方ないですね」といったところだ。
オーディンス副団長に向かって辛み成分を飛ばしまくっていたマダム赤たまねぎは、わたしに気づくとギョッと目をひん剥いた。
彼女の視線を追うように、彼がこちらを振り返る。
「我が神薙……」
「副団長さま、お手を煩わせてしまって申し訳ありませんでした」
彼の反応を見て、わたしの名前すらも秘匿情報なのだと分かった。
来客が屋敷に入って以来、宮殿の皆がわたしの名前を呼ばなくなっていた。
どうしても呼ばなくてはならないときは「私の神薙様」とか「我が神薙」とか、なんだか変な呼び方をしていた。
普段、「リア様」と呼ばれるのもナンダカナーと思っているくらいなのに、つくづく大変な人になってしまったものだ。
わたし達の短い会話を聞き、マダムの表情が徐々に怯えたそれに変わっていった。人を見て態度をころころ変える人だ。
騎士は平民でも努力と才能があれば就ける職業らしいし、先代の側仕えはヒト族の騎士だったと聞いた。だから同じようなものだと思って舐めてかかっていたのだろう。
まさか目の前にいるのが、将来を有望視されている上流貴族の嫡男だとは思ってもみないのだ。
マダムはアワアワと床に膝をついた。
師匠の様子を見た弟子たちも慌てふためいてそれに倣う。
ふかふかのカーペットが敷いてあるから膝は痛くないだろうけれど、お弟子さん達が不憫すぎる。
わたしは望まずしてラスボスのようになってしまった。
怖いもの知らずのマダムは、ある意味勇者かも知れない。自分のしていることが正義だと勘違いしたニセモノ勇者だ。
この宮殿に彼女のセーブポイントはなく、ラスボスに倒されたらゲームオーバー。この仕事はなかった話になる。
「もう結構です」と、わたしは言った。
来客に向かって喋るなと言われていたけれど、顔も出してしまったことだし、今さらその必要はないだろう。
彼女のおかげで、わたしはお茶も喉を通らないほどお腹いっぱいだった。
「こちらの騎士様は、命を懸けてわたしを守ると言ってくださっています。侍女である彼女たちもそうです。皆が侮辱されるのは耐えられません。どうぞお引き取りください」
わたしが出口を指差すと、オーディンス副団長がサッと手を上げて部下に合図をした。騎士が一斉に動きだす。
「は……、は、ホっ、はヒィ……」
ハ行しか出なくなったマダム赤たまねぎ御一行様は、半ばつまみ出されるようにして連れていかれた。
「皆さま、お客様がお帰りですので、全員でお見送りをお願い致します」
執事長は嬉々として「かしこまりました」と言った。そしてメイドを従え、嫌味なほど丁重にマダムをお見送りした。
わたしは吐息をついて、「排除完了」と呟いた。
お見送りしている皆の背中を見ながら、コソッと厨房へ向かった。
笑顔で迎えてくれた料理人たちと軽く雑談をする。そろそろ大漁の報せが聞こえる時期だというサンマの話題で盛り上がった。
帰り際、近くにいた料理人に粗塩を少し分けてもらえないか訊ねると、小さな壺に入れて持たせてくれた。
用途を聞かれたので、ドレスを作るのに必要なのだと答えたところ、彼は不思議そうな顔をしていた。
宮殿内はマダムが帰った後の片付けでバタついていた。
いつもそばについている副団長は、この騒ぎを上へ報告しなくてはならず、部下へ指示を出していて忙しそうだ。
頃合いを見て玄関へ行き、係の人に扉を開けてもらって外に出た。
庭園のほうはまだ暖かい日差しに包まれているのだろうけれど、入口付近はもう日が当たらない時間だった。ひんやりとした風が頬を撫でていく。
左右をキョロキョロ見回した。
右よし、左よし、前方よし。後ろの扉も閉まっている。よし。
近くに誰もいないことを確認した。
マダムが退場した後も胃のモニョモニョ感が取れなかった。
料理人と楽しくお喋りをしても不快感が取れない。
オーディンス副団長に「ケガレというものが本当にあるとするなら、こういうものを言うのではないか」と話してみたくなった。
このモニョモニョは「マダムが放った無意識の悪意」を飲み込んだせいで起きている。これこそが人の世のケガレではないかと思うのだけれど、彼は何と答えるだろう。
何にせよ、ケガレは払うに限りますよね。
払いたまえー、清めたまえー。
うりゃあぁーっ!
わたしは土俵入りした力士のごとく、豪快に塩を撒いた。ニッポンの伝統、清めの塩だ。
食らえっ!
ていっ! ていっ!
もういっちょ、てぇいっ!
我が坂下家では、変な人が来た後は必ず父が「塩撒くぞ、塩!」と言って、玄関で撒いていた。
当時は「何をしているのだか」と呆れて見ていたけれど、こうして宮殿の主になってみたら、父の気持ちがよく分かる。
「よくも副団長さまを侮辱してくれましたねっ。マダム赤たまねぎっ。失礼しちゃうっ。調子に乗るなぁ~っ」
わたしの塩撒きは父のそれと違って、ひょろひょろの小声で迫力は皆無だけど、それでもいい。こういうことは、やることに意義があるのだ。
ビャッ!ビャッ!ビャッ! と塩を撒いていると、後ろから「んぉっほん」と咳払いが聞こえた。
へっ?
驚いて振り返ると、執事長とオーディンス副団長、それに侍女三人が口元を押さえてプルプルと笑いをこらえていた。
い、いつからそこに……?
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