第16話:仏像と赤たまねぎの対戦です

 「露出は控えるようお願いをしたい」と、彼はいつにも増して感情のない声で言った。

 しかし、すっかり天狗になっているマダム赤たまねぎはフンと鼻を鳴らす。


「何なんですのアナタ。先程から言っているとおり、神薙様のドレスというものは……」


 悪役おばさんの教材のような人だ。

 わたしの勤め先にもこういう人がいた時期があったので、当時のイヤーな記憶が甦る。


「我が神薙の希望だ」


 彼はマダムの言葉を最後まで聞かず、食い気味に言った。


「わたくしは王宮の文官さんに頼まれて伺ったのですよ!」

「誰に頼まれたかは聞いていない。要望通りのものを作ってもらいたい」

「んまあぁっ! なんって失礼な!」

「失礼はどちらか」

「騎士が神薙様のドレスに口を出すなど、聞いたことがありません!」

「神薙の代わりに意見しているまでだ」

「護衛ごときが! 立場をわきまえて頂きたいわッ!」


 おぉっふ……

 喉元まで「わきまえるべきはアナタでしょ」という言葉が上がってきたけれど、どうにか飲み込んだ。おかげで胃のあたりがモニョモニョして不快だ。


 赤たまねぎ様、先程から気になっていたのですけれども、それは「不敬」というやつだと思います。

 わたしも二日ほど前に教えてもらったばかりなので、あまり偉そうには語れないのですけれども……


 この国には「不敬罪」なる罪がある。

 高い身分の人に非礼を働くと罰せられるという法だ。

 ただし、上からのパワハラ的な使い方ができないよう面倒な条件がいくつもあり、「おいこら失礼だぞ」程度のことでは罪に問えないようになっている。

 例えば、「職務を全うすることを著しく阻害された」と証明できなければならない。訴える際に物的証拠か証人が必須になるので、二人きりのところで非礼を働かれても、それは罪に問えない。

 しかし、この現場はその条件を見事にクリアしていた。

 彼女は今、侍女だけでなく副団長の仕事を邪魔しているし、周りにはそれを証言できる目撃者が大勢いる。

 今、貴族の身分にある誰かが「不敬だ」と言えば、赤たまねぎは捕らえられて罪に問われることになる。

 この国の身分制度だと、オーディンス副団長は赤たまねぎの遥か上、ほぼ雲の上の人だ。


 宮殿の皆は緊張した面持ちで互いに目配せをし合っていた。捕える心づもりをしているのだ。

 ウォールステッカーのようだった騎士団員たちは、いつの間にか壁から剥がれて、じわりじわりと移動していた。

 侍女三人は巻き添えを食わないよう、少しずつマダムから距離を取っている。


 近くにいた隊長と目が合った。

 彼は「いつでも捕縛できます」とでも言うように、ゆっくりと頷いた。

 不敬罪の最も重い刑はギロチンだ。


 み、皆さん、ちょっとお待ちください。

 わたしはここでギロチン刑になる人を出したくないのですが……。


 いくらマダムが困った人だとは言え、ここで捕らえられて殺されてしまうと夢見が悪い。なんとか牙を引っ込めて、平和に仕事を進めてもらうことはできないものだろうか。


 そんなわたしの気持ちも知らず、マダムは彼に向かって鼻息を吹き上げた。


「アナタなんかに用はないわ! お下がりなさいっ!」


 ああぁぁっ、どうしてリアルみじん切りへの道を猛ダッシュするのだろう……。

 国王の服を作っただけで天下でも取ったかのように振る舞うイタい大人に、目がしみて涙が出そうだ。


 幸いオーディンス副団長はマダムを不敬罪に問う気はなさそうで、淡々と「言うとおりにデザインしてほしい」と訴え続けていた。

 身内がオトナで救われる。

 ただ、このまま放っておくのは危険だ。彼の堪忍袋の緒が切れたらギロチンロードにご案内しなくてはならない。

 彼女もまだオニオンスライスやみじん切りにはされたくないだろう。


 さて、どうしましょう……。


 職場でこの手のモンスターが湧いたときは、人事部長がかなり冷酷な対応をしていた。話し合いにならないので、現場から排除という選択肢しかなかったのだろう。


 致し方ありません。

 わたしもそれに倣って、この場をどうにかしたいと思います。

 わたしのお家ですから、わたしが頑張らなくてはっ(泣)


 ティーカップと一体化しそうだった唇に軽くリップバームをつけた。

 紅茶はすっかり冷たくなっている。一体どのくらいの時間、フチをなめなめしていたのだろう。


 隊長が手を差し出してくれたので、それに掴まって立った。

 しかし、「副団長さまのところへ行きます」と言うと、困った顔をされてしまった。彼は衝立から外に出て欲しくないのだ。

 神薙様は平民の前に簡単には現れない。これは面が割れると身辺警護が大変になるからだ。

 ただ、相手はギロチンまっしぐらの年配女性。今ここで顔を知られたからと言って、わたしの脅威になるとは思えなかった。

 ですので、行っちゃいましょうっ。


 「大丈夫です。お願いします」と言った。

 彼は戸惑った様子で「承知しました」と言った。


 わたしは隊長と一緒に衝立の脇を通り、皆のいるほうへと歩いていった。

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