第55話:お偉いさんがフライング

「よ、予定より早くないですか? 何か問題でもあったのでしょうか?」


 思わず本音を漏らすと、いつもメイクをしてくれる侍女のイルサが「大丈夫ですわ。急ぎます」と言って、手の動きを速めた。

 ただ、全体の予定より早く終わったとしても、団長の到着に間に合うかと言えば絶対に無理だろう。

 なにせ今日は会場が広いのでメイクが入念だ。

 描くところはきちんと描いておかないと、後ろのほうにいる人達から「あの『へのへのもへじ』は何だろう?」と思われてしまう。


 滅多に会うことのないオジサンと、今後の人生に関わるかも知れない来客、大事なのはどちらでしょうか。

 わたしの価値観だと、圧倒的に後者だった。


「オルランディアの常識だと、エライ方とお客様なら、どちらが優先なのでしょうか。わたしの母国には『お客様は神様です』という言葉があるのですけれども……」


 わたしがそう言うと、侍女長は少し複雑な表情を浮かべていた。


「考え方は色々あると思いますわ。ただ、この件に関しては、団長さまが勝手に早めたわけですから、お客様至上主義でやらせて頂くのもやむを得ません。オーディンス様にその旨をお伝えしておきましょう」


 わたしはホッとして、「そうしましょう」と答えた。

 そして予想通り、団長到着の声が掛かってもわたし達は出られる状況になく、「お茶でも飲んでいてもらってくださーい」と、雑な扱いをすることになってしまった。


 わたし達はその小さな離宮を上手く工夫して使っていた。 

 小ぶりなサロンは身分を問わずに使える憩いの場とし、書斎は副団長の執務室、そして広い応接会議室は、騎士団の事務所代わりにした。ダイニングは皆の食堂。厨房には我が家の料理人たちが入り、皆の胃袋を支えてくれていた。

 国宝の一時保管場所には応接室を使うことにしていた。

 その部屋は窓がないのが唯一の残念ポイントだけれど、それが逆にお宝の保管には最適だった。


 宝物庫からティアラと杖を持ってきてくださった団長には、応接でマッタリとお茶を飲んでいて頂くよう伝えておいた。

 広くて素敵なお部屋なので、居心地は良いはずだ。



 無事に支度が済み、予定より少し早く皆のいるリビングルームへ出られた。

 さすが神薙付きの侍女三人衆だ。この状況で完成時間を巻いてしまうなんて素晴らしい。


 さあ、いよいよだ。

 六百三十八名の天人族の前に晒されるお披露目会。

 ヴィルさんのことを考えると、胸がツキツキと痛む。しかし、もう逃げ出すわけにはいかない。

 来客と挨拶を交わす時間があるので、その時、彼がガッカリした様子だったなら、今夜すぐにでもネックレスはお返ししよう。


 「リア様、こちらへお願いします」と、オーディンス副団長が言った。


「ん……?」


 わたしがポカンとしていたせいだろう。彼の動きが一瞬止まり、こちらを振り返った。なぜかその顔は口元がほころんでいる。


「さては、忘れていますね?」

「えっ、なんでしたっけ」


 わたしが何か大事なことを忘れているのだ。

 なんだろう、なんだろう??


 「応接室へ行きましょうね?」と、彼が小声で言った。


「はあッ、そうでした! 団長さまをほったらかしですっ」

「問題ないですよ」

「すみません、支度が終わったらホッとしてしまって」


 つい今しがたまで「待たせて申し訳ない」と思っていたのに、ヴィルさんのことに気を取られて頭から抜けている。

 冷や汗を飛ばしていると、彼はクスクスと笑った。


「団長からご挨拶をしますので、それを受けて頂くことになります。自分から頭を下げたり、先に挨拶をしないでくださいね」

「でも、偉い方なのでしょう? 陛下とは御親戚だとか」

「偉いは偉いですが、あなたのほうがもっと偉いのですよ?」

「はぅ」

「少しずつ慣れていきましょう。もし可能でしたら、家名を憶えてあげてください」

「家名……。ハイ」

「出来ればで良いですよ」


 わたしが人の名前を記憶するのが苦手なことに、彼は気づいているようだった。最近では、憶えなくても良い名詞は最初から言わないという、粋な気遣いすら感じる。

 でも、安心して頂きたい。

 団長の名前は、前に一回、何かで見た記憶があるのだ。

 確か「ラ行」だったと思う。


 えーと、なんだったかな……。

 ら……れ……り……ろ……、あれ?

 ダメだ。一文字も出てこない……。


 彼は応接室をノックしてドアを開けると、わたしを中に入れた。

 国賓を泊める想定で作られているだけあって、いかにも王宮らしい豪華な家具と調度品。そして壁に掛けられた大きな風景画は、とても有名な画家のものだという。


 しかし、部屋に入ってから、わたしの視線は一点に釘付けになっていた。


「え? どうして……?」


 そこに、ヴィルさんがいた。

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