第39話:お忙しそうですが……

 彼は何の躊躇もなく「神薙を守ることが自分のすべてだ」と言うような人だ。

 そんな彼が、もし反対するのだとしたら、それは神薙のためだろう。

 それに、身分を明かさない者同士の関係は、そう長く続かない。最長でもお披露目会までなのだ。


「神薙は陛下と同位なのですよね?」


 そう訊ねると、侍女長は頷いた。


「それならば、わたし個人の感情よりも優先されるべき大切なことがあるはずです」

「リア様……」

「賢明な判断ができる方に相談しましょう」

「よろしいのですか?」

「限定的で不確かなものにすがりつくのは、彼からうんと理不尽なことを言われて、腹が立ったときだけにしましょう」


 わたしがそう言うと、三人はプフッ! と吹き出した。

 皆、彼の苦言は、わたしの価値が下がる恐れのある場面でしか出て来ないことを知っている。


 降臨直後に魔導師団を捕らえさせて牢に入れた神薙は、随分と噂になっているらしい。物珍しさからだろうけれども、お披露目会の出席者数は膨れ上がっていた。

 きっと、ヴィルさんも来客の一人として参加するだろう。

 その時点で、わたしはもう「ただの外国貴族令嬢のリア」ではいられなくなる。遅かれ早かれ、今とは違う関係性に変わるのだ。



 オーディンス副団長は、お披露目会の警備の打ち合わせでバタついており、その日はジェラーニ副団長と二人態勢だった。

 彼のところへ連れていって欲しいとお願いすると、「ちょうど会議が終わった頃ですよ」と、ジェラーニ副団長がウィンクで答えた。

 少し落ち込み気味のときや、テンパっているときに、この年上ダンディーは強い味方になってくれていた。軽ぅ~いトークで笑わせて、気持ちを楽にしてくれるのだ。

 クスクス笑いながら、二人で中央階段から一階のホールへ降りていく。すると、そこには第一騎士団の幹部会議が終わった直後によく見る光景があった。

 イケ仏様が数名の部下に取り囲まれており、順番に相談を受けては指示を出している。

 わたしは彼が部下をさばき終えるのを待ってから声を掛けた。


「副団長さま、少しご相談がありまして……」


 テコテコと近づいていくと、彼は軽く口を尖らせた。


「オーディンスです、リア様。お願いですから、周りに敬称や敬語を使わないでください」

「あの、大事なご相談なのです」

「どうされました。なぜ、そんなお顔をしているのですか?」

「そのぅ、実はですね……」

「とにかく、こちらへ」

「あ……」


 彼はジェラーニ副団長からむしり取るようにわたしの手を取り、歩き出した。

 いつものエスコートではなく、普通に手を引いて、足早にサロンへと向かっていく。


「あ、あの……っ」


 わたしは手を引かれるがまま、それに付いていった。


 サロンに入ると、日が当たって暖かそうな窓際のソファーに腰かけた。

 陽の光が直接当たらないよう、薄いレースのカーテンを引きながら、彼は人払いをした。そして、わたしと向かい合わせのソファーに腰かける。その眉間には縦に皺が寄っていた。


「貴女にそんな悲しい顔をさせているのは、どこのどいつですか」


 一番暖かい席に座ったはずなのに、なぜかヒュ~ッと冷たい風が足元を撫でていった。

 もう秋だし、昼間とは言え、暖かい日ばかりではない。


「悲しいわけでは、ないです」

「手紙のやり取りをしている、例の騎士のせいではないのですか?」

「う……まだ今のところは、そうではなくて」

「事と次第によっては、私が今すぐぶちのめしに参りますが」


 彼が拳をぐっと握った瞬間、ビュオッ! と、風が舞い上がった。ドレスの裾が大きく揺れ、風に煽られた髪がブワーッと顔に掛かる。


「きゃあッ」

「しまった! リア様ッ!」


 さ、寒ぅーいっ(ぷるぷる)


 彼は奥のソファーに置いてあったひざ掛けやストールを走って取りに行き、慌てて戻ってきた。そして、わたしの肩と膝に掛けるものを掛けると、髪留めに絡まりぐちゃぐちゃになった髪を手で梳き、直してくれた。


「申し訳ありません。少し、魔力が漏れました」

「す、少し?」

「どうも近頃、制御が利きづらくて。気をつけます」


 腹を立てると魔力が漏れるの??

 ということは、彼の怒号で玄関ホールの天井がビリビリいった日も、下では突風が吹き荒れていたとか?

 こ、怖い(泣)

 今後、この方を怒らせないよう、細心の注意を払いたいと思います……。


「それで相談というのは?」

「ええと、実はわたしの母国は、ここに比べて自由で安全だったものですから」

「ほう?」

「色々と感覚が合わず、ご迷惑をおかけしているのですが」


 話しているうちに、お日様の光で体が温まってきた。この部屋が寒かったのは、彼が怒っていたせいだった。


「神薙のような人もいなければ身分制度もなかったので、何をするにも『こちらでは非常識なのでは?』と気になってしまって……」


 彼は真剣に話を聞いてくれて、「なるほど。無理もありません」と言った。


「そこで質問です」


 いやクイズ番組か。「そこで問題です」みたいに言ってしまった。


「お披露目を控えた神薙が、外で男性と二人で会っているのは非常識でしょうか?」

「いいえ、神薙は男と共に在るもの。むしろ一人の方が珍しいと言えます」

「では、それが神薙ではなく、一般の貴族令嬢だったならば、どうでしょうか」

「そうですねぇ。独身の貴族令嬢もデートはしています。相手が婚約者であることが殆どではありますが、中には政略結婚と縁のない令嬢もおりますので、必ずしもデートの相手が婚約者かと言ったらそうではない。つまり、問題ありません」

「そうなのですね……」

「はい」


 彼は黙っていた。

 わたしも下を向いて黙っていた。

 良かった。とりあえず、お出かけをすることは問題ないことが分かった。

 しかし、これほど忙しい中で「お披露目会の前に出かけたい」などというワガママが許されるのだろうか。

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