4.始めるの間違いだろ

 10階建て賃貸マンションの4階。堀田宅に三人は逃げ帰った。というより、渋る堀田に佐々木が食い下がり、高瀬がそれについてきたという方が正しい。最寄駅からマンションに向かう道中、ついてくるなと言っても勝手について来る太ったのっぽと小柄な悪人づら二人に挟まれて、堀田はひどくうんざりした表情を浮かべていた。

「人呼んでるって言っただろうが」

 腕時計を確認しながら、堀田が心なしか歩みを速めつつ文句を垂れる。佐々木はそんな男の肩に手を置いて軽く揉んだ。その手を不快そうに弾かれても、図々しくねだり続ける。


「お前ん家オートロックあるんだから、匿ってくれよ。高瀬もそう思うだろ」

「俺は別に帰ってもいいけど」

「じゃあ佐々木も連れて帰ってくれないか」

 しかし、高瀬は背後を気にするように振り返って、それから周囲を確認して声を潜めた。

「さっきの死体がちょっと気になってよお。俺と佐々木じゃあ放っといて良いのかどうか分かんねえから、それ相談したら帰るって」

「——分かった分かった。話したらさっさと帰れよ」


 それから数分もしないうちに堀田のマンションにたどり着くと、佐々木がシャツの襟で首の汗を拭いながら言った。

「堀田、風呂借りていい?」

「ふざけるな」

「この汗まみれの太ったおじさんを、自分の家のソファに座らせたいのか!? 俺の汗が染み渡ったソファで、女とあんなことこんなとを楽しめるって言うのか!?」

 いつもは自慢話しかしないくせに、都合がいい時だけ自虐を挟む佐々木に、堀田は口の右端を引きつらせ、高瀬は苦笑した。

「——排水溝掃除してから上がれよ」

「お前、結構佐々木に振り回されるよな」

「うるせえよ」

 悪態をつきながら郵便受けを確認する堀田。彼はそこに突っ込まれていた茶封筒を受け取り、差出人を確認すると眉間に皺を寄せた。それに気づいた高瀬が堀田の背後から無遠慮に封筒を覗き込んだ。


「なんだ、家賃の督促か?」

「お前らじゃないんだから。これは裁判所からの履行勧告書。養育費を払えってさ」

「もっとダメじゃねえか」

「忘れてただけだよ。というより、お前意味わかってんのか?」

「ガキ育てる金払えってことだろ?」

「まあそうだが……。数日支払いが遅れただけでこうも取り立てのような通知が来ると、分かっていても億劫になるんだよ。今日はただでさえ厄介なことが重なったのに」

「ま、そういう日もあるって。人生山あり谷あり、どん底だってある」

「お前が言うと説得力がありすぎるんだ。余計に気が沈むからやめろ」


 堀田は茶封筒で顔を扇ぎながら大きく嘆息をした。それから彼と高瀬は、無遠慮にエレベーターホールまで進んで待機していた佐々木とともに堀田の部屋までたどり着いた。

 


*** 

 堀田宅は2LDKで、元々は前妻とその間の子と生活していたため一人暮らしには少し広い間取りである。佐々木は堀田から早々に風呂に追いやられ、約束通り風呂上りに排水溝の掃除までやってのけてリビングに戻ってきた。するとキッチンに、堀田が呼んでいたらしき女がいた。

「どうも、お邪魔してます」

 身体の曲線がよく分かる薄いノースリーブニットと、白いタイトスカートを着こなす女は、赤味がかった長い髪を耳にかけつつ佐々木に微笑みかけた。

「こいつが邪魔してるんだよ。早く帰れって言ってやってくれ」

「もう、そんなひどい言い方しなくてもいいでしょ」


 女は缶チューハイを片手に、ソファで毒づく堀田の隣に座った。そしてしなやかな体をくねらせ彼の肩にもたれかかり、とろけた微笑を浮かべる。女の身体中から滴り落ちる熟した色香に比して、その顔は20代にも見える。佐々木は梅干しを食べたように顔を窄めた。

「ずるい!」

「おわびっくりした」

 佐々木が急に叫ぶと、ダイニングテーブルに肘をついてスマホを見ていた高瀬が、ぎょっとして肩をすくめる。

「佐々木が風呂上がったんなら、さっさと話すこと話して帰れ」

 堀田は女に寝室で待つように伝えて居間から追い出すと、勝手に冷蔵庫を物色する佐々木の首根っこをつかんでその場から引き離した。


「で、高瀬。お前が気になったことってなんだ」

 キッチンで2人分の水と自分の分のノンアルコール飲料を用意しながら堀田が言うと、高瀬は「ああそうだった」と思い出した様子でスマホから視線を上げた。

「それなんだけどさ、アイツ、昔一緒に売人やってた斎藤ちゃんってヤツなんだよ」

「へえ、お前薬物にも手ェだしてたのか」

 堀田が少し驚いて目を丸くすると、高瀬は恥ずかしそうに曖昧に笑った。

「ヤクザやってたらな。俺は売るだけで使っちゃないけど、ムショ5年入ったのもそれがでかい理由だよ」


「あれ? 高瀬ってホームレス殴って逮捕されてなかったか」

 佐々木に尋ねられて、高瀬は明後日の方に視線を逸らして頬を掻いた。

「ああ、いや、捕まったのはそれがきっかけで……。逮捕された後にまあ、所持がばれたり売ったのがばれたり……ンなこた今いいんだ! 話を戻すとだな」

 曰く、歌舞伎町で遭遇した死体は、高瀬の所属していた杉島一家の傘下である東堂組と繋がりのある覚醒剤の売人であったとのことである。

「東堂組と藤峰連合って、同じ杉島の傘下なんだけどさあ、マジで超仲が悪いんだよね」

「へえ、マジ超サイアク〜」

「傘下同士で抗争が勃発してるってことか」

 ふざける佐々木をいないものとして扱い、堀田は高瀬に聞き返した。しかし、高瀬は煮え切らない表情で頬杖をつきながら唸った。


「俺がいた頃は、表立って戦争してるわけじゃあなかったけど。でも、斎藤ちゃんを突き落としたあいつらが藤峰なら、揉めてるってことなのかなあ」

 独り言のようにそう呟き、高瀬はそれっきり考えているのかいないのか定かではない面持ちで、音量を下げたテレビを眺め始めた。彼の集中力が切れたことを察した佐々木が「龍司ちゃんテレビは後よ」と茶化しながら手元のリモコンで電源を切った。


 堀田は呆れ顔で天井を仰ぎ、それから彼ら二人の分のコップを下げた。

「まあ、それはいい。要はその面倒な修羅場を目撃した俺たちのことを、奴らがどこまで追ってくるかだ」

「俺たち、顔見られちゃったけどどうすんの」

「流石にあの一瞬で人物が特定できるほどはっきり見られちゃいないだろう」

「ああ、でも」

 堀田の予想に、珍しく高瀬が口を挟んだ。


「俺はほら、その前に殴っちゃってるし、顔見知りに見られてたらバレちゃうかも」

「ああっ」

 すると、佐々木が何かに気付いて声を上げた。

「俺もデリヘル嬢にインスタ教えちゃったよ。あの子、ヤクザにチクんないかな」

「警察にはチクるかもな、条例違反で」

「成人って嘘ついた未成年ってのが嘘かもしれないだろ」

「それ結局どっちだ?」

 どんどん話が逸れていく佐々木と高瀬。堀田は二人のコップを洗いながら、少し言葉尻強く「とにかく」と話を遮った。


「よくわかった。俺は別に追われる危険はそこまで高くない。歌舞伎町に近づかなければいいだけの話だ」

「俺と高瀬は?」

「知るか。未成年淫行も、ヤクザの下っ端暴行も俺じゃない。あとは自分たちでどうにかしろ」

「確かに」

「高瀬、納得するな。こいつはただの薄情者なんだ」

「早く帰れ」


 堀田はちらりと寝室を見やった。目敏くそれに気づいた佐々木がその視線の先に割り込む。

「ねえ、怖いんだよ。泊めてくれよ」

「高瀬、こいつ連れてってくれ」

「へいへい」

「おとなしくしてるから。寝室には入んないから。リビングもフィールドなら、トイレにいる——」

「往生際が悪すぎるんだよ。ほら出てけ」

 堀田に押され、高瀬に引きずられるようにして佐々木は玄関の外まで追いやられた。

「お前、俺が死んでもいいのか」

「俺のささやかな楽しみを邪魔するならな」

 最低だ、と佐々木が吐き捨てる前に、堀田は無情にドアを閉めた。振り返ると、にやにやと笑みを浮かべる女が立っている。


「終わり?」

「始めるの間違いだろ」

 間接照明にほんのり艶めく細腕が、乱暴な調子でくたびれた男の体をドアに押し付けた。堀田はその拍子にずれた銀縁メガネを外して靴箱の上に置くと、迫りくる果実のような唇に満足気にほくそ笑んだ。



***

「うわ、なんだっ」

 堀田に追い出された直後、ドアに何かがぶつかる音がして、高瀬はそっと耳をそば立てようとした。

「だめだめ。そんなの聞いても虚しくなるだけだよ」

「ああ……なるほど」

 佐々木が苦虫を噛み潰したような顔でその場を立ち去ると、高瀬もまた室内の状況を察してエレベーターへと向かった。


「あいつも本当懲りないよなあ。よく今まで女に刺されず生きてこれたよ」

 外に出ると、高瀬はマンションを見上げて心底感心したように呟いた。すると佐々木はまったり歩く高瀬を置いて少し大股で進んだ。拗ねている様子である。

「俺の方が話し上手で背も高いし男前なのに……なんで昔からアイツだけいい女が何人も」

「お前、あの姉ちゃんみたいなのがいいの?」

「逆に高瀬、お前はあのでっかい胸と尻に何も感じないのか? 大丈夫か?」


 すると、高瀬は少しムッと口を尖らせた。

「どう言う意味だ。俺はただ、あの姉ちゃん、堀田の家に来た時から目がちょっと危なっかしかったからさ。あんまり近付きたくねえなって」

「病んでるとかそういうこと?」

「いやなんか、キマってるっていうか……ううん」

 高瀬が言葉を濁すと、何を悟ったのか、佐々木は身震いをしてそれ以上追求しなかった。代わりにやけに明るい声で「よし!」と言って高木の肩を抱いた。


「高瀬さん、お願いします!」

「え?」

「泊めて、ひとりじゃ怖いの!」

「うええ、俺ん家1Kだよ」

「お願い、俺一人だとすぐ殺されちゃうよ」

 大男に捨て猫さながらに泣きつかれ、高瀬は羨まし気に堀田のマンションを振り返る。

 結局、高瀬はでかくて可愛くない捨て猫を家に持って帰ることになった。

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