第15話 泡立たないシャンプー

バリカンの鈍い振動が頭の同じ箇所を何度も何度も往復する無慈悲な刺激に勇一が耐えかねたころ、店主はようやくそのスイッチを止め、勇一の頭にブラシをかける。すっかり丸刈りとなった自分の顔を見た勇一は、これまで髪の毛で隠れていたおでこや耳がすっかり露出した、初めて見る自分の顔の輪郭に戸惑いを感じ、鏡から無意識に目を逸らしていた。


やがてシャンプー台にうつ伏せにされた勇一は、丸刈りの後頭部にシャワーの水滴が直接当たる感触を初めて味わった。その温かい滴が何にも遮られることなく頭皮を包み込む感覚は新鮮であり、彼にとってはまるで別世界への入り口を開くような瞬間だった。


しかし、いざシャンプーが始まると、その感覚は一変した。髪の毛が少ないからか、シャンプーはほとんど泡立つことなく、そのぬるっとした液体はダラダラと彼の毛穴の表面を流れ落ちていった。頭皮をなぞる店主のゴツゴツとした指先とシャンプーの冷たくぬるっとした感触は、彼をひとときの爽快感から一気に現実に引き戻し、洗髪が終わって店主がその頭をタオルで拭うまでの間、彼の心を再び戸惑いと不安で満たすこととなった。


刈り終わり、席を立った勇一が恐る恐る自分の頭に手を伸ばすと、短く刈りそろえられた髪はベルベットのような質感を持っており、これまでに味わったことのない感覚が指先から脳へと広がっていく。その手を慌てて引っ込め、俯きがちに小声で「ありがとうございました」と言った彼に「さっぱりしたな、似合ってるじゃないか」と店主がかけた言葉は、励ましのようにも思えたが、勇一は心のどこかで何かが違うと感じていた。


鏡の中の自分と結局ほとんど目を合わせることができないまま、彼は店を出ると、自転車に跨がり、そのまま何も考えずにペダルを踏んだ。まだ肌寒い3月の風が直接頭皮に吹き付け、来る時には感じなかったその冷たさが勇一の身にしみる。彼は、「帽子を買え」とうそぶいた店主の言葉を思い出しながら、その未知なる感触に少し身震いした。


やがて彼は、すれ違う人々の目がすべて彼の頭に向けられているような錯覚に陥る。公園で遊ぶ子供、買い物帰りの自転車の女性、その全員が、自分の姿を見て嘲笑っているように思えた。彼はその気恥ずかしさを跳ね除けるように、「これが自分の選んだ道だ。自分が望んだ結果だ」と、心の中で何度もつぶやいていた。しかし、ハンドルを握るその指先は、不安と戸惑いで小刻みに震えていた。


勇一の心情は複雑だった。家が近づくにつれ、見慣れた風景の中に自分がさっきまでとは全く違う姿で存在しているという異物感を覚えた彼の心の奥底に、「本当にこれは自分が望んだ結果だろうか。だとしたら、なぜこんなにも心が痛むのだろうか」という疑問がじわじわと広がっていく。勇一の中にある何かが、彼の意識の下で静かに揺れ動いていた。


帰宅した勇一は、改めて洗面台の鏡の前に立ち、西中の制服に丸刈りという自分の姿をじっくりと見つめた。そして、緊張しながらも再度その頭に触れ、深いため息をついた。

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