第6話 版画の卒業制作

2月下旬、石油ストーブの独特の匂いが漂う教室で、勇一は机に向かい、握りしめた彫刻刀をじっと見つめていた。図工の時間、卒業制作として、中学生になった自分を版画で表現することが課題となっていたのだが、丸刈りになるという運命に悩み、自分の未来を思い描くことができない勇一には、その姿を彫ることができなかったのだ。


下絵にはかろうじて、中学に入ってもバレー部に入り、楽しそうに運動する自分の姿を描くことができた。細い鉛筆で描かれたその下絵の中の自分は、長髪をなびかせ、笑顔でボールを抱えている。


勇一は、その下絵を見つめながら、もうすぐその姿は消え去ってしまうのだと考えると--この版画が完成する時が、自分が丸坊主になるまさにその時なのだと考えると、どうしても手が動かず、課題を前にただただ座り込むことしかできなかったのだ。


斜め前の席では尊文が、中学生になっても自分の好きな野球をやりながら、長髪のまま生き生きとした学生生活を過ごす姿をせっせと彫っている。勇一は、版画の中の尊文の笑顔を見て、その自由さに嫉妬を覚えると同時に、自分が抱える運命の重さに苦悶を募らせていた。


「僕は、なんでこんなにも不条理なことを背負わなきゃいけないんだ。家がたまたま丸刈りの校区にあっただけなんだ。でも、どうしようもない。逃げることもできない。こんな理不尽な運命でも、受け入れるしかない…」


周りでは、西中に通うクラスメイトたちも平然と、丸刈りになった中学生の自分の姿を版画にしている。「みんな、丸刈りになることをもう受け入れているのか? 坊主になった自分の姿を、本当に自分だって思えるのか?」勇一は自身がクラスから孤立しているような気持ちになり、ついには「自分は世界にたった1人ぼっちになった」という思いにまで陥るのだった。


「なあお前、西中だろ? どうして長髪で描いてるんだ?」


勇一の作品の違和感を目ざとく見つけたクラスメイトの1人が、彼の手元を覗き込みながら茶化すようにそう指摘すると、生徒たちの目線が一点に勇一に集中し、周囲は嘲笑に包まれる。


「いや…」


顔を真っ赤にした勇一は、次の言葉が出てこないまま、友人たちから目を逸らす。


「別にいいじゃん、ただの妄想だろ? それに、これから3年間、髪を伸ばせないんだ。記念に版画にしたっていいじゃないか」


尊文の吐き捨てるような一言と、3年間という言葉の持つインパクトが、勇一の胸に痛く突き刺さる。こんな時にはよく助け舟を出してくれるはずの光輝も、今回は窓際の席で黙々と彫刻刀を走らせているだけだ。


「何もかもがうまくいかない。彫刻を完成させることもできないし、自分自身を抑えることもできない。なんでこんなにも弱いんだろう。こんなことで落ち込むなんて、もう自分が嫌になる…」


勇一はおもむろに消しゴムを取り出し、力を込めて、描いた長髪の自分の姿を消し始めた。「ちくしょう、ちくしょう…」頬を噛みしめて一心不乱に消しゴムを動かす勇一。彼の世界には、その板の擦れる乾いた音だけが、虚しく響き渡っていた。

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