第4話 なんで西中の校区に

「どうしたの、暗い顔しちゃって。何の話?」


光輝とクラスメイトたちが会話しているところへ、同級生の尊文たかふみが近づいてきて声をかけた。尊文は、勇一の幼稚園からの幼馴染だ。


勇一は幼少期、家庭の方針で、自宅から徒歩圏内にある地元の翔陽しょうよう幼稚園ではなく、バスで通園する少し遠めのミッション系の幼稚園に通っていた。そのため勇一には、「近所のクラスメイト」という存在がいなかったのだが、唯一、向かいの家に住む尊文だけは、たまたま同じ幼稚園に通っており、帰宅後には毎日互いの家で時間を過ごす、まるで兄弟のような関係であった。


幼少期から野球に打ち込んできた尊文は、小学校に上がると地区のリトルリーグに入団し、大会の日には勇一も家族でそれを応援しに行くのが楽しみの一つであった。ピッチャーである彼の腕の筋肉はしっかりと鍛えられており、地黒の肌にくっきりとした眉、大きな瞳、すらっとした鼻筋、そしていつも穏やかに微笑んでいる口元は、絵に描いたような少年の美しさを醸し出していた。


「丸刈りのことだよ。もうすぐだなって」


尊文は、光輝が返したその言葉に少し驚いた様子を見せたが、次の瞬間、ニヤリと口角を上げ、興味と好奇心に溢れた眼差しでこう続ける。


「そっか、西中は大変だな。まあ、俺は野中だから関係ないけど」


その声には明らかに勝ち誇ったニュアンスが含まれていて、クラスメイトたちは眉をひそめた。尊文はその反応を楽しむかのように、センターで分けた黒く艶々とした髪を優雅にかき上げ、さらに笑みを深める。


勇一はその会話を聞きながら、尊文が道路を挟んだ向かい側に住んでいるというだけで丸刈り校則を逃れられることに、強い不公平感を覚えていた。自分の家がたった一本道路を挟んだ少しでも東にあれば、尊文と同じように長髪を維持し続けることができたかもしれない、と思わずにはいられなかった。そしてそれを思うたびに、彼の中の嫉妬は、少しずつだが確実に大きくなっていった。


勇一たちと尊文の差は明確であった。丸刈りになる運命に、負けた者と勝った者。やがてその微妙な空気を察したのか、光輝が穏やかな口調で会話を再開した。


「そうなんだよ、尊文。まあ、僕は別に、坊主なんて平気なんだけどさ」


光輝の言葉をきっかけに、2人が続けて率直な思いを口にし始める。


「尊文はいいなあ、坊主にならずに済んで」


「ほんとだよ。尊文の丸刈りも見たかったな」


悲壮感を漂わせる2人の会話に、「嫌だよ、お前らと一緒にするな」などとおどけて乗っていた尊文が、女子に呼ばれ、笑いながら去っていくと、残された光輝の友人たちは、その複雑な感情をあらわにする。


「俺たち、なんで西中の校区に生まれたんだろう…」


「そうだな…。でも仕方がないよ。今から引っ越すことなんてできないしさ」


ただ黙って、それを聞いている光輝。クラスメイトたちは、不条理な校則に悔しみを感じながらも、何もできないことに諦めを覚えているようだ。そして勇一も、この差がただの運の差であることを理解しようと努めながら、憎悪と嫉妬の感情を親友である尊文に向け始めてしまっていることを自覚し、深い自己嫌悪に陥るのだった。

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