第32話 何故上がらないのか、上がれないのか


「逃げられたか」


 監視装置を設置していた植物の群生地に急いで来たが、そこは既にもぬけの殻だった。


何かを察したのかこの男が到着する前に逃げられたのだ。


「見た目は明らかに人間だった。だが、不自然なところが多すぎる」


 男、ケンは考える。監視装置に美女が映っていたことに一度驚き、そして強烈な違和感を覚えた。


 まずダンジョン深層に全裸という無防備極まりない姿で堂々としていたこと。せめて怯えていたなら状況的に分かるが、まるで一人暮らしの裸族かと思うくらいに自然に全裸だったのだ。


 次に体のつくりがおかしかったこと。一見、顔の整ったグラマラスな金髪美女に見えるが脂肪分は乳房以外ない極限まで締まりきった筋肉を身に纏っている。


 そして一番の要素が性器。ちょっと言葉にしづらいが、股間以外は間違いなく美女なのだが、立派なが一本付いていたのがちらっと見えたのだ。


「そういや、あいつ・・・もどっちも持ってたっけ。生物学的にありえなくはないが、専攻じゃないから分からん」


 人間でも稀に存在するらしいが生物学の方は専門家程度でしか納めていないためケースが無いと言って過言ではないもののことについて考えてもどうしようもない。


 とはいえ不自然な部分があり性転換したともいえないし、そもそも筋肉の質がモニター越しでも異質というのが分かる。


 足は太くても腕や腰回りは女性らしさを残した細さとなっており、その分だけ筋肉が凝縮され凄まじいものとなっていた。


 あんな人間がそうそういてたまるか。そう言っても自分のような存在だっているし、新たに誕生したかもしれないという可能性は否定できない。


「そういえばモンスターの魂が人間と同化することで野蛮となる話だったな。もしかして『結界』関係なしに出入りできるようになるのか?」


 そう考えたら辻褄が合う。


 あの肉体を持っている以上、身体の匂いも隠すつもりは毛頭ないはずだ。モンスターが寄ってきたとしてもその手で殴り倒せる実力を持っているのだろう。見せかけだったら笑うしかないが。


 水浴びを始めた時点で追いかけ始めたのだが、5分程度で既に居ないということは相当逃げ足が速いはず。


 近くで隠れているのかもしれないが、勘ではそんなことは無いと思ってる。


 多少濡れたまま逃げていたら追跡は出来たかもしれないが、周囲が妙に高温になっていることからしっかりと痕跡は消している。


「参ったな、これは非常にまずい」


 『結界』とは、深層のモンスターが出られない様にするための魔術めいた何かである。この仕組みを知るのは製作者の『教祖』のみなのでケンも詳しくは知らない。


 今現在でケンが居るところから効果が発生しており、深層よりも上へ行けなくなるという仕様になっている。


 それは逆に言うとケンが上へ行けばモンスターも上へ行けるようになるということ。これ自体は『教祖』とケン本人、そして彼らと同じ仕事仲間は共通して知っている。


 だからこそ地上へ上がることが出来ない。


 深層のモンスターを封印するためにここにいるのだから。


「だからこそアレを逃すのはとても不味い。俺が出れたらいいが、この隙をダンジョンが見逃すかどうか」


 ダンジョンを生み出す『元凶』は既に打倒されている。だが、ダンジョン自体を根絶することは出来なくなってしまった。


 星の核に根付いてしまった以上、全滅のリスクを冒すわけにはいかないのだ。


「仕方ない、ここは一度入り口に行くか。万が一があっても、そこさえ通行止めできれば食い止められるはずだ」


 想定するは最悪。ヒトがモンスターとなったのか、それともヒトになったモンスターが地上へ出ること。


 地上を喰い散らかされ、再び文明レベルが落ちてしまうと復興は困難になるだろう。200年前の襲撃は銃火器でもなんとかなったが、深層のモンスターはそのようなもので対抗できるはずもない。


 今は魔力を吸収して多少強くなったとはいえど、24時間魔力をダンジョンから供給され身内で死闘を繰り広げているモンスター共には敵わない。


 そうなれば地上にいる仲間の出番だが、すぐに連絡して間に合うのかどうか分からない。


 とにかくケンは走り出す。


 ここで失敗したらからかわれるのは間違いない。どちらにせよ見つけ次第食い止めることは確定しているのでとにかく急ぐ。


 覚えている範囲内で最短ルートをたどり、中層へ上がる入口にたどり着く。


 最近はモノが入らない表面が溶けた落とし物ボックスは健在で、どうやらまだ誰も通っていないようだ。


 人の出入りが少なくなった今、件の少女のこともありこっそりと粉を撒いて足跡を付けようとしていたりする。


「まだ来ていないか。しばらくここを張るか」


 そう言って彼は腰を下ろした。


 座っているが、もしモンスターが来れば手に持っている剣で即刻切り刻まれるだろう。


 だが、もし仮に監視装置に映っていた美女(?)が来たら相応の対応をしなければならない。


 どっしりと構えて彼は待つ。


 それが長い時間かかろうと、ある程度は待つ。


 1週間もここで待てば様子見くらいはしに来るはずだ。


「我慢比べは得意だ」


 ぽつりと一人だけの空間で呟いた。もう200年間も閉鎖空間で頑張っているのだ、新たに身体を作り変えられてしまった現人類から自分のような自分を殺せる存在・・・・・・・・が現れるまで待ち続けるのだ。


 そして、この男が居る限り待ち人たるキメラは来ることは無かった。


 一体何をしていたのか?それは彼が自室へ一度戻るまで分からなかった。













―――なぁにこれ


――なにこれ


―なんだこれは!?


 キメラは驚愕していた。あの男が来ると予感してすぐに遠回りで避け、入口の方へ向かったと足音で理解したため深層の出口へ行くことは無かった。


 運がいいのか悪いのか、かなりの距離を走りぬいたためふらついて手を置いた壁が少しだけスライドしたのだ。


 ダンジョン内とはいえ外周部分は改造可能ということを知らなかったキメラは自身が知らないギミックかと興味を持ち力いっぱいに壁に擬態したスライドドアを開いた。


 これはケンが悪い。モンスターはスライドドアの仕組みなど知らないし、生半可な力ではこじ開けることもできない重量をしている。


 ゴーストですら壁抜けできないダンジョンだったということもあり、200年間も侵入が無かったことから油断していたとしか言いようがない。


 そして、そこでキメラは文明に出会ってしまった。


 いつも明るいと感じていたダンジョンの道よりも明るい電気の光。四つ足でありながら柔らかそうなものを詰めている謎の置物。美味しそうな匂いを隙間から漂わせている中が冷たそうな箱。


 そしてこの場所いっぱいに広がる奴の匂い。


――そうか、ここだったんだ。


―ここが奴の巣……


―――これが、人間の住処なの?


――そう考えるしかないでしょ。鬼とかがこんな細かいものが作れると思う?


―――思わないなぁ。


―これは奴との差か。


 キメラは思う。この部屋にある物体の殆どは娯楽のために作ったのだろうと。


 奴はモンスターを殺し続けるだけの存在かと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


――それよりも、この箱開けてみようよ。


―一体何が入っているんだ?


 頭の中で会話しながら中が冷たそうな箱を開けようとする。しかし、開け方が分からず力任せに横から引っ張ろうとしていた。


 流石に正規の開け方でないためメリメリと嫌な音だけが鳴る。


 あの男が作っただけあってキメラが軽く力を込めても壊れないあたり作りは丈夫だった。ここでも幸運を発揮したのか、たまたま取っ手に手がかかり冷蔵庫のドアが開いた。


 そして、キメラの眼前に広がったのは冷たく白い冷気と極上のご馳走だった。


―――お、おいしそー!


―これが、人間の食べ物?


――マジで何これ、野菜まであるんだけど!


 無意識に口から大量の涎が溢れつつ感嘆してしまった。長時間保存できるようなものをあの男は加工していたのだ。


 捕れた獲物はその場で喰らいつくすモンスターではこのような思考に到達することは無い。


 チーズ、ハム、漬物など月日をかけて作られたものが詰め合わせられている。


 これらの保存がきく加工食品は、今のようにケンが何日も部屋に戻らないため普通の料理だと魔力が籠っていても腐ってしまう場合があるためよく作る品として保存されていることが多い。


―――食べていい?いいよね!


――どうせ奴が貯めていた食べ物だ。食べたところで殺されるだけさ!


―たまらん、喰う!


 もはや会話は不要。涎を垂らし我慢の時は終わったのだ。


 美しく伸びた指で最初にハムを掴み齧りつく。


 そこから一心不乱に今まで生肉かトラップやモンスターが放つ炎で雑に炙られた焼き肉しか食べてこなかったキメラにとって生まれて初めて食べた味を噛みしめる。


 味覚は三つの人格に共有され最上級の幸福感に酔いしれる。


 会話をする時間も無駄と言わんばかりに他の食べ物へ手を伸ばし食い荒らす。


 いずれ部屋の主が帰ってくるのだが、空調も効いて快適なこの部屋に長居するのは当然のことだった。


 ガツガツと食料を食い荒らした後に襲い掛かってくる眠気にキメラは勝てなかった。


 ゆらゆらと揺れながらソファーに倒れこみ。


がっしゃあぁぁ!


 その重さに耐えきれず崩壊したが、構わずキメラは目を閉じて寝息を立て始めた。


 口周りに食べかすを付けたまま、涎を垂らしだらしない笑みを浮かべ幸せそうだった。

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