店長たちの思惑
今、店長とお侍様が対峙している恰好。
「それは店の備品だから手放してくれると有難い」
「馬鹿を言う。お前さんを相手に得物を手放すなど、出来るものか!」
お侍様はあたしたちを転がしている時とは異なって、めちゃくちゃ必死なの。
余裕ぶっていたリエルさんの相手でも、あんな表情ではなかったのよ? 先程まで飄々とした風なお侍様の表情が一変しているのだもの。
「ゆっくりと見せよう。先輩も見えるよう加減してくれると嬉しい」
「……うぐぅ」
ぐうの音は出た。亜種かもしれないけどね。
先手を取ったのはお侍様。
突っ張り棒で突く。店長の上半身を目掛けてだけど、一カ所を目掛けてではなく、数か所を不規則に。
でも、その全てを店長は躱していく。
「手の甲で槍の穂先を弾くのがパーリング。仰け反るのはスウェイバック。潜るのはダッキングよ。それ以外でマスターがよく使うのは、ヘッドスリップくらいかしら?」
ゆっくりに見えるけれども、二人の動きは結構早い。
お侍様の動きは自体は、あたしでは正直全部見えているわけではないの。だけど、店長の動きは緩慢なおかげで、防御に関してはよく見えていると思うわ。
それでも余所見している暇などないの。でも、エマも感心するような声を出していて、二人して……リエルさんも含めると、三人して見惚れている。
リエルさんは自分が見て取れ、且つ理解できる範囲で店長の技を解説してくれているけど。
店長の顔を狙う突きに対して、首ごと右にズラした動きがたぶんヘッドスリップ? それ以外にも、たまに首を左右に傾げて突きを避けている様は紙一重なのだけど。
今の処、店長が直撃を喰らった形跡は皆無だわ。
「蹴りを封じた理由は?」
「股割りも出来ない者の蹴りなど、威力云々以前の問題でしかない。蹴り足に引っ張られて転ぶようでは困る。軸足を払われれば、そこでお終いだ。第一、足が止まる。稽古を頼んだのも、逃げ回ることを前提としたものだ」
あたしは店長から体術のようなものは一切教わっていない。
釘バットを手に、ひたすら殴ることしか訓練されていないの。レオみたいに魔法が使えるわけでもないから。
「私は結構前に股割りは出来るようになっているのよ? でも蹴りを多用することは許されていないのよね」
「リエルはリースと違って、闘争関係では不器用だからな」
「……くっ」
小声で会話しているというのに、店長にはリエルさんの声を聞き届け、相槌を打ってくるだけの余裕がある様子。
「リースが世渡りに不器用な分、リエルには広く浅く何でも出来るよう育てたつもりだが……何事にも、誰にでも得手不得手はある」
「私だって戦えるの!」
店長の背中に向かってリエルさんが吠える。のだけど、店長は気にもしない。
短い付き合いのあたしの印象でも、リエルさんの印象は”お母さん”でしかない。言動が、あたしの母と余り変わらないのよ。
でもリエルさん的にはお姉さんと渡り合いたい、というより店長の役に立ちたいみたい。今でも十分に役立っているとあたしは思うけど、本人の望みは別の場所を目指している模様。
その辺が上手く噛み合っていない、店長とリエルさんの間に横たわる問題だと思う今日この頃。兄に甘えたい末の妹だけど、素直になれないみたいな? そんな感じ。
店長から漏れる断片的な話の内容から、エマも同様に、リエルさんとリースさんも育ての親が店長みたいなのよね。
血が繋がっていないからこそ、そこに憧れが生まれて……ってやつ。エマは上手いこと折り合いをつけて、店長を義父みたいな位置づけにしてるけどさ。
あたしみたいな、ぽっと出の憧憬とは異なる。もっと湿気を帯びた何かがあるのよ。どういう部分は、あたしも女の子なのでよく理解る。
そんなリエルさんの葛藤も、店長とお侍様には届かないの。
お侍様は必死な様子だけど、店長は楽しそうに、それはもう楽しそうにお侍様を弄んでいるの。
リエルさんが涙ぐんで解説が途切れてしまったことが惜しい。
あたしとエマでは、店長がやっていることしか見えないのよ。お侍様の動きはもうあたしでは追えないくらいに素早いのだもの。
それでもわかることはある。
店長はずっと左手しか使っていないの。
店長の右手はずっと、お侍様に見えないように隠されている。
「そろそろいいか、終わらせよう」
「何を!?」
お侍様の手にあったはずの突っ張り棒は既に無いのよ。攻防の初めの方で、店長が左手で強めに弾いた拍子に飛んでった。
今は二人とも無手でやり合っていたのだけど……。
お侍様の右拳が店長の顔面を狙ったのでしょうね。店長の左手は弾くのではなく、お侍様の拳を握ることで掴んで見せた。
その行動の変化にお侍様も驚いた様子なの。
「先輩の敗因は痛覚を失ったことだろう。自身で意図したことではなく、呪詛の依代とされた副作用だろうが」
「ちっ」
店長が握ったお侍様の右手を、ドアノブのように捻る。左側に向けて。
今までの攻防で、店長の方が膂力に優れていることは窺えていたのよ。なので、お侍様が堪えようとしていても、その体はバランスを失って崩れていく。外側に向かって……。
店長が捻る右拳に吊られ、お侍様の態勢が完全に崩れた拍子に、店長の右手が繰り出された。貫手というやつかも?
真っ直ぐに伸ばされた四本の指と人差し指の根元に添えられた親指。それがお侍様の右肩に突き刺さったの。店長は貫手を押し込んでいく。
店長の身体は肉が無く、血も無い。ついでに言えば骨も無い。お侍様も同じ様子。
だから肩を穿たれたお侍様の右腕は、店長の貫手に因って胴体から切り離されてしまったの。
そんなお侍様の右腕を、店長は投げ捨てる。放り投げたと言った方が自然だけど、どっちもどっち。
「加減すると言ったろうがっ!」
「この場所を壊さないと言っただけだ」
「どれだけ年月が掛かると――」
喰って掛かるお侍様に対し、店長が何をしたのかあたしには見えなかった。たぶん、エマも見えてはいないと思うの。
でも、リエルさんには見えていたようで、何かを追うように視線が動いた。
首から先が無い。
右肩から先と、首の無いお侍様の胴体が崩れ落ちる。グロくはないのよ。
「俺だって格好付けて出ていった手前、二度も三度も戻る気はなかったんだが……お願いされちゃ、どうしようもなくてな。あとの詳しいことはボスに直接聞いてくれ」
『手間を掛けさせたな、正人。八尋も済まぬ』
訓練のために通常時なら開けっ放しの入り口ドアは施錠してある。通り側にしかない窓も遮光カーテンを閉め切ってあるというのに。
ホール内には見知らぬ子どもがいた。それもお侍様の頭部を優しく、大切な何かのように抱く、子供がいた。小学校にも上がっていないような、幼稚園児のような男の子が……。
男の子に抱かれたお侍様の頭部は、穏やかな表情を讃えたまま。
店長の姿はいつの間にか消えてた。
と、思ったら――
「二人ともすぐに伏せなさい!」
リエルさんが鬼気迫る表情で、あたしとエマを捕まえると頭を押さえてくる。絨毯に頭を擦りそうなほどにね。
『よい。そう畏まる必要はない』
店長が姿を消す前に言った言葉を思い出す。ボス? この子が?
異世界風居酒屋 あすかろん というお店で働いて(修行して)います 月見うどん @tukimi_udon
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