訓練風景



 仕込みの後には訓練があるのよね。


 今日が記念すべき初日なのだけど、場所はお店のホール部分。

 移動できるテーブルは全て、スライドパズル式のスイッチで片付けてあるわ。


 そうして今、あたしとエマは転がされているの。

 リエルさんは武術を習っているだけあって、それなりに動けるのが悔しいところ。


 ただ、まあ現在の訓練は受け身の稽古だからねぇ。

 あたしやエマが避けずに転がされているのが正道だと思うのよ? 避けようにも避けられないのだけど……それはまた別の話よ。



 お侍様の手には得物がある。

 店長が献上しようとした刀ではないのよ? あれはリエルさんに譲られたからね。

 その代わり。当初、その手に握られていたのは物干し竿だったの。でも物干し竿は伸縮は可能でも長すぎて取り回しが悪いという理由から、別の物を利用することに。

 それは何かといえば、突っ張り棒よ。二階のベランダにあった物干し竿が、更衣室にあった突っ張り棒に変わっただけのこと。

 それをお侍様は器用に使って、あたしやエマを転がすのよ。

 まあ、それ以外にも……


「蹴りって、そんなの有りなんですか?」


「今は転び方を学ばせている。どう転べば痛くないか、その辺りを理解せねばな」


 突っ張り棒をフェイントに足払いが来る。かと思えば、蹴りをフェイントに突っ張り棒で払われる。そして転がる。

 リエルさんは器用に躱しているけど、あたしには真似できそうにない。


 とはいえ、そんなリエルさんであっても三回に一回は転んでいるのよ。


 中学生時代には体育の授業で柔道があったので、受け身の基本はうろ覚えではあるけど、記憶にはあるの。高校の選択体育ではテニスを選んだので……ほぼ意味はないのだけど。

 でも何度も繰り返して転がされていると、ふと思い出すことがあるのよね。

 昔取った杵柄とはこういうことを言うのかも!


 大体、受け身云々ならさぁ? 店長が指南すべきだと思うのよ。お肉を狩りに行く段階で、教えておくべき事柄でしょうに!

 あれも命のやり取りだったじゃない? 一撃でも食らえば、再起不能になっても不思議ではなかったからね。敢えて無駄なことを省いたのかもしれないけど。


「痛い!」


 エマは運動神経があたしよりも低いと思うの。その分頑丈そうな感じだけどさ。

 エマには急所となる部分を覆うように、鱗が生えているの。あたしで言うところの首であったり脇腹であったり、と。普段は服を着用しているから見えないのだけども。着替えの時にちょろっと見えることがあるの。

 今度、お風呂に一緒に入って、隅々まで確認してやるわよ。胸部装甲はあたしとそう変わらないと思うから、必要以上にショックを受けることも無さそうだもの。


「真後ろに転がっちゃ駄目よ」


「如何にも。真後ろに転がるようでは追撃を受けよう。左右に転がることを心掛けてみると良い」


 いつの間にか、指南役が二人に。

 リエルさんも指南される側だったはず、なのに!

 小学生時代のマット運動を思い出してコロコロ転がっていたのに、ダメ出しが二倍よ。あたしはマットよりも、跳び箱の方が好きだったなぁ。(遠い眼)


 お店のホール部分はカーペットじゃなくて、そこそこ毛足が長いからね。とは言ってもフカフカでもないけどさ。

 そのお蔭もあって、打ち所が余程悪くはない限りはそこまで痛みは感じないの。

 エマがさっき痛いと叫んだのは変な転び方をしたからよ。あたしはギリギリなんとか痛みを覚えない範囲で受け身が取れていると思うのよ。


「伊織ちゃんは中々やるわね」


「そりゃ日本人ですから、受け身は基本ですよ」


 リエルさんは生粋の日本人ではない。おかしな手段を講じた結果、日本国籍を有しているので日本人ではあるようだけど。

 あたしもあたしで、適当な相槌を打ってはいる。

 そういう意味ではエマにとっては災難以外の何ものでもないだろうけど。


「柔道着って短期間しか使わなのに、買わなきゃいけないは勿体ないわよね」


「ああ、今もそうなんですか……」


 あたしもリエルさんの家から考えても、学区こそ違うけど地域としては似たようなもので習慣とかが似通っていても不思議ではないか。公立の小中学校では、十年程度では余り変わらないのかもしれない。

 詳しくは知らないけど、適当に返しておく。

 リエルさんは生まれた世界が完全に別物だというのに、よくもここまで馴染んだものだと感心してしまう。うちの母親と考え方が一緒だ。あたしも今では大いに賛同できてしまうのが、何とも悲しい。

 あたしも歳をとったものだわ。


「ほれ、休んでる暇などないぞ。冥界に往くのだろう?」


「絶対に行く!」


「あたしも!」


「私はそこまで行きたいとは思わないわ」


 リエルさんは何故だか消極的だけど、エマとあたしは乗り気なのよ。

 あたしは冥界に行って、店長とエマの先生に会わないといけないの! そうじゃないと、魔法○女生活はいつまで経っても始まらないのよ!


「旧冥界は過酷な場所だと、マスターから散々聞かされているもの」


「ああ、その通りだ」


「ッ! マスター!?」


 ほぼ見学と化しているリエルさんの背後に店長が現れた。唐突に、突然に。

 リエルさんと会話していたはずのあたしも全く気付かなかった。


「多くの管理者が粛清の憂き目に遭い、粛清を免れた管理者候補の亜神たちが鎬を削るのが旧冥界の現状。そこを訪れるとなれば、それ相応の危険があると知るべきだ」


「お館様の許しは得たのだろう?」


「でも、それだけでは足りない。だから、こうして訓練風景を視察にやってきたまでだ」


 会話の主導権を店長が握り、応答するのはお侍様。

 空気が少しだけ重い。店長の視線がお侍様を捉えたまま、外れない。外さないの。


「先輩、久しぶりにどうよ?」


「遠慮する」


「そう言わずに」


「儂は嬢ちゃんたちの稽古で忙しい。そも、お主がそう仕向けたのだろう」


「まあ、そうなんだが……」


 店長の問い掛けはどうにも歯切れが悪いのよ。

 何か裏があるっぽいわね。


「お主が加減するというのであれば、吝かではないぞ? 何やら理由がありそうじゃの」


「場を壊さない程度の加減するさ。それとは別に、こいつらにも手本は必要だろう?」


「……ほう、良かろう」


 あたしは、後頭部を抑え悶絶しているエマを引き摺って、店長たちから距離を取るの。リエルさんもあたしたちの方へやってきた。

 店長とお侍様の目がもう真剣なの。マジなのよ。

 傍に居ると巻き込まれそうで怖いの! それはリエルさんも同様ようで若干だけど震えているようにも見えるのよ。


 腰をやや落として突っ張り棒を構えるお侍様に対して、店長は自然体だけど左手は軽く開いたまま、右手は拳を握っていた。


 あたしたちの訓練を半ば中断した形で、店長vsお侍様の構図が出来上がっていた。

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