賄いごはん③ 魔獣肉を食す



「肉の焼き方は好みによる。俺は弱火で時間を掛けて焼くタイプだ。ローストの場合だと最初に強火で表面に焼き色を付ける手法もとるが、厚切りステーキは弱火がいいと経験で判断した」


 解凍し終えた肉塊から、店長は四人分をステーキカット。そう四人分なのよ。

 パン焼き専用オーブンの覗き窓にへばり付き、中のケーキ型を眺めているエマの分もあるのよね。たぶん。


「二センチ半から三センチ程度の厚みが一番焼き易い。薄すぎれば火の通りが早すぎて、対応に追われる。逆に厚すぎれば、ローストしてしまった方が無難に仕上がるだろう。……焼き加減を見る方法も幾つかある。俺がよく用いるのは”触れる”方法だ。

 まだ肉の両面に焼き色が付いた程度だが、真ん中辺りを指で押してぐにぐにしてみろ」


 フライパンの上にて現在進行形で焼かれているお肉に触れる。

 ぐにぐにやれという指示に従い、ぐにぐに押すも……


「ブヨブヨしてます」


「生焼けの状態だとこういう感触がある。覚えておけ」


 フライパンの前面はあたしが占領したままだけど、横合いから伸びる店長の手が時折肉をひっくり返したりしているの。

 業務用コンロの火は本当に弱いのよ。中火どころではなく、間違いなく弱火。とろ火くらいね。



「よし、もう一度やってみろ」


 いくら弱火でもフライパン全体が熱されていて、放射熱があるから熱いのよ! でも、やらないと覚えられないものね。

 お肉がお肉だけど、店長なりにあたしへの教育も兼ねているのよ。


「ん!? ブヨブヨしません」


「今回は客に出すものではないからな。焼き加減を見るために刃を入れる」


 ステーキカットするのに使っていた牛刀ではない。店長が普段野菜等を切り刻むのに用いている愛用の(変な形の)ナイフが、ステーキのちょうど中間辺りに差し込まれ、等分に切り分けられた。


 すると、


「中まできちんと火が通したピンク色だ。

 うちは肉が肉だからな。ブルーレアは厳禁。きっちりと火を通す必要があるのはわかるだろう?」


「ジビエですもんね」


「温度計をぶっ刺すっていう確実な方法もあるんだが、この方法を覚えてもらえると助かる。ということであと三枚焼いていこう。最初のこれはリエル、食うだろ?」


「目の前で調理されているのに、食べないで帰れますかっての!」


 店長がナイフを入れて二つに切り分けられたステーキは、温められていたお皿に移された。


「ソースは?」


「この肉は塩だけでいい。胡椒すら邪魔になる」


 普段は洒落たソースを掛けたり、添えたりする店長が不要だと言う。


「この肉の香り、久しぶりだわ。涎が出ちゃう」


「冷める前にさっさと食え。それが料理した人間に対する最低限の礼儀だ」


「伊織ちゃん、いただきますね」


「はい、どうぞ」


 調理場に椅子などないので立ち食いなのよ。台はあるわよ。調理台が。

 リエルさんはあたしが初めて焼いたお肉を、それはもう美味しそうに口に含む。無言で次から次へとナイフを入れれば、フォークに刺さった肉は次から次へと口の中へ放り込まれていく。

 本当に終始無言なのよ。でも、その表情はとても幸せそう。


「ほら、見惚れてないで焼いていくぞ」


「はい」


 フライパンに残る肉汁を器に取り分け、フライパンはキッチンペーパーで綺麗に拭う。

 お肉の味付けはカットした後、店長によって塩が擦り込まれている。ドリップが出ていたら、これもキッチンペーパーで吸い取る。

 熱し過ぎたフライパンを濡れ布巾に置いて冷まして、そのお肉を置く。

 最初は中火より若干弱いくらいの火加減で焼く。プツプツとした水分が上面に現われてきたらひっくり返す。ひっくり返したら火加減は弱火へ、二十数えてとろ火へと落とす。

 あとは前回と同じ要領で、ぐにぐに押して焼き加減を見る。


「自分で焼けたと判断したら切ってみればいい。何度も練習すれば、時期に慣れるだろう。次は俺が食おう。その次はどうするか……。クックックッ」


 店長は背後を気にして、くくと笑う。

 その理由は十分に理解できた。


 こちらを気にしないよう努めていたエマだけど、まずこの匂いがいけない。

 次いで、終始無言でステーキを頬張るリエルさんの姿。次々に切り分けられては消えていくお肉の量は異常とも言えるわ。

 何より、最初からステーキカットは四人分用意されているのよ! エマが手のひらを返すことは、店長とリエルさんの中では決定事項だったようね。


 調理場にある何本もの包丁の中から、あたしがいつも使うパーリングナイフ(ペティナイフ)で焼いているお肉を切断。


「店長、こんな感じでどうでしょう?」


「ちょっと早いがまあ十分だろう。こう言う場合は温めた皿に移して、アルミホイルでも被せておけば余熱で火は通る。冷まさないためには、軽く余熱したオーブンに放り込むのもいい。しかしオーブンに放り込むと、直接目に触れないからよく忘れる。アラームをつけておくといい」


 芯の部分がまだちょっと赤い。けど、余熱で火を通すという手法を教わったわ。

 店長は、温かいを通り越して超熱いお皿に乗せてから、クローシュを被せたわね。クローシュというのは銀色の半球状をした蓋のことね。

 棚にアルミホイルを取りに行くよりも、洗い上がったクローシュが手近な所にあったようなのよ。


 さてお次は……。


「エマも食べる?」


「…………」


 もう興味津々という様子のエマは、パン焼き専用オーブンやケーキ型など既に見てすらいなかったわ。

 でも、今更食べたいとは言い出せないでしょうね。

 なので、あたしも少しだけ考えたの。


「あたしが初めて焼くステーキの味見をして頂戴な」


「…………どうしてもと言うのなら仕方ないわ。エマも協力してあげる」


 まったく困った子ね! 面倒臭い性格だわ。

 でも、一度言った台詞って引っ込め難いのよ。貫き通そうとしたエマの意地も判らないではないの。

 店長とリエルさんはエマに背中を見せたまま、ニヤニヤしているのが癪に障るけどね。


 前回、前々回は店長がアドバイスしてくれていたけど、店長は今お食事中なのよ。

 なので、今回は自力で最初から焼かねばならないわ。だから本当の意味で、初めてひとりで焼くステーキの味見をエマにお願いするの!

 気合が入るわぁ。



「うわぁ、何コレ? すっごくおいしい! ……胡椒が邪魔になるって意味がわかりました」


 先に焼いたエマの分は綺麗に焼けたわ。

 その後に自分のを焼いた時には、また少し早かったようで店長が使っていたクローシュを借りてお皿に被せてから一分待ったの。


 で、試食してみた感想がこれよ。

 本当に塩だけで十分なの。お肉の香りっていうの? それがまた独特の風味なんだけど、これが嫌なものじゃないのよ。


「これなら毎日だって食べられそう」


「二十歳ならまだ育ち盛りだろ。俺も二十五くらいまでは身長が伸びてたな。微々たるもので二ミリとか三ミリだが……、直前に正座してから測ると膝関節が伸びて身長がってオチじゃねえぞ」


 誰も聞いてないのに、店長はひとり吠える。

 でも実際にこのお肉の味なら、毎日食べても飽きないとは思うの。朝昼晩、毎食じゃないわよ? 晩御飯だけで毎日ならいけるわ。


「在庫はどれくらいあるのよ?」


「乳牛くらいの大きさのが十匹はストックがある。ただ……間引きの最中で適当に放り込んだだけだから血抜きもしてなくてな。そもそもが食うために狩った獲物じゃない。なんとか食えそうなのは、この塊も含めて三匹分あるかどうか」


「獲って来なさいよ」


「山へ行けば、それなりに棲息しているはずなんだが……。正直、あの人外魔境は俺一人だと手に余る。ケビンかアポカリプスを呼んで乱獲してくれば、数年分は確保できるだろうが、ケビンは消息不明だし、アポカリプスはおいそれと呼べない。リノルかオレインが手元に居れば……と悔やむばかりだ」


「何もそこまでしろとは言わないわ。でも、おじ様が消息不明ってどういうことよ?」


 店長が血抜きも出来ない状況っていうのが理解できない。ドラゴンさんを手玉に取るような店長が、よ?

 ケビンさんという名前もリエルさんの絡みで一度聞いただけ。アポカリプスさんはエマのお兄さんでドラゴンぽい、リノルさんとオレインさんは正体不明だけど、店長はよく口にするのよね。


「あの馬鹿、兄妹の件でブチ切れてな。俗に言うエロトラップダンジョンに俺も付き合わされて二人して突っ込んだんだが……あの馬鹿だけ触手の海に呑み込まれて消息を絶った。俺は即座に引き返して逃げたから、その後どうなったか知る由もない」


「ちょっと何してんの! おじ様を見捨てたわけ?」


「当たり前だろ、先生の世界はマジでヤバいんだよ! あそこに比べたらアーミルの人外魔境なんざ、屁みたいなもんだ。人外魔境は引切り無しに襲ってくるから手に余るだけの話で、触手の海はそんなものとは比べようがない。SAN値が激減するわ。

 リエルは俺たちの事情を知っているから、あの馬鹿を探すというなら連れて行ってやるぞ? 当然、置いてくるが」


「遠慮するわ。おじ様もマスターと一緒で頑丈だもの、きっと大丈夫よ」


 エロトラップダンジョンに男二人連れで突っ込むなんて誰得な話よ!? と思わなくもないけど、”ダンジョン”というフレーズには心躍るものがあるわね。

 話を聞いていると、魔法○女を始めたばかりのあたしでは完全に足手まといだろう内容で、とても行ってみたいとは言えないけどさ。


 それらは一旦横に措くとしても、よ。

 リエルさんは店長の不思議さの秘訣を知っていると店長が断言したの。

 もう、この事実だけでも大きな収穫だと思うわ。



「イオリ」


「どうしたの、エマ?」


「おいしかった」


「うん、どういたしまして」


 エマもあたしと一緒に店長とリエルさんの話に聞き耳を立ててたのだけど、途中で飽きてしまったらしいわね。実際、知らない人の話が主体では面白くはないのよね。

 そんなエマも、ステーキの載った皿は綺麗さっぱりと肉汁までパンで拭われ、真っ白な状態よ。これは調理に携わったあたしとしても嬉しい。ここまで綺麗に食べてくれるなんて、ね。


 それに、エマは魔獣に関して良い感情を持っていないにも拘わらず、ちゃんと食べて評価してくれたの。それが嬉しくないわけ、ないでしょう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る