リエルさんとの狩り
レオの父親が持ってきた結婚披露パーティーを明日に控えたにも係わらず、あたしはアーミルの地へと降り立った。
「あのリエルさん? あたしも明日の仕込みを手伝うべきだと思うのですが……」
「マスターの了解も得ているのだから良いのよ」
居酒屋あすかろんのアーミル支店で身支度を整えつつ、疑問を呈するも即却下される。
あたしも最近は本店に篭り切りで本格的に身体を動かす機会に恵まれず、欲求不満ぎみではあったのよね。就職後、戦闘訓練という名の肉体労働に従事していたことで、あたしの身体は適度な運動がないと悲鳴を上げるように変化してしまっている。
そこに他者の血があれば猶のこと、血沸き肉躍る感動を享受できる。
あたし本人も気付かぬ内に、立派な戦闘民族と化していたのには驚きだけれども。
なので今回のお誘いはかなり嬉しいのだけれども、多忙を極めている店長や試作ではない実物のウェディングケーキの装飾に従事するエマの手前、本心は隠しておきたかったの。
「伊織ちゃんはルゥ族の若い衆に声を掛けていらっしゃいな。誰かしら長老も居ると思うからこれを渡しておいてね。私はその間に姉さんに会って来るわ」
リエルさんは白い封筒をその場に置くと、ツナギの各部にプロテクターを装着しているあたしを無視してアーミル支店を駆け足で出て行った。何年も顔を合わせていない姉であるなら、あたしも会いたくなる気持ちはわかるけど、置いていかなくてもいいじゃないの!
このプロテクター、一人では身に付けられないパーツが幾つかあるのよ。それをお願いしようと思っていたのに……。
リエルさんに置いて行かれたあたしはルゥ族の詰所に向かう。未だ身に付けていないパーツを手に。
「あれ? 今日は予定に入ってないけど、どうしたのさ?」
「今日は先輩から狩りに誘われたのよ。ヴェオも暇なら付き合ってよ。店長からしっかり護衛を付けるように、とも言われているし」
「う~ん、今日は狩りも散歩も止めておいた方がいいと思うよ? ここでちょっと待ってて、爺様に聞いてくるから」
普段のヴェオなら喜んで狩りに同行してくれるはずなのだけど、今日はそうしたのかしら?
それに、普段の詰所にはもっと多くのルゥ族が常駐しているなのに、今日はやたらと少ない。顔は知っていても会話したことのないルゥ族が数人いる程度でしかないのよ。
「サトウ様ですな。自分は長老連第八席ヴィオラ=ルゥと申します」
「……初めまして、佐藤伊織です。うちの店長がいつもお世話になっています」
呼んで来たと思われるヴェオは、ヴィオラさんの背後に直立不動にて控えていた。
エマに曰く、長老連とはルゥ族の主たる長老が連なる議会であるそうよ。
そんな重鎮のひとりが、あたしに何の用なの? とりあえず、リエルさんに預かった封筒は渡しておくけど。
「これ、たぶん店長からだと思います。リエルさんから預かりました」
「……リエル殿がお出でと、なるほど。拝見しても?」
「どうぞ」
日本製の封筒よ。白い外装の下に紫の下地のあるやつね。手紙を入れるの。
あたしが履歴書を入れていた茶封筒とは、用途もお値段が違うわよ。
「ごめん。爺ちゃんが直接会いたいとかで……」
「いいの、気にしないで。でも、何かあったの?」
「北からの難民が街へ流入してるの。住人は厄介事を恐れて引き籠っているから街中は静かなものね。……あとは王城で何かあったみたいだけど、詳細まではわからないの」
難民の流入? 王城での何か?
リエルさんを交えた店長の雑談の中に、”アーミルがキナ臭い”という台詞があったわよね。これがそれに該当する事柄だとでもいうのかしら?
・
・
・
「ヴィオラ?」
「……リエル殿、リース殿も」
「マスターの手紙は読んだわね? 流入した難民の半数以上は工作員と断定していいわ。このままだと街が戦場になる。奴らの狙いはアーミルの経済の中心。ここでしょうね」
「王城では何がありましたか?」
「貴方も上級眷属なのだから撤収命令が出ている以上察しているでしょうに。
傀儡女王が王配を追放、反旗した王女二人が既に女王を捕縛し王城を掌握したわ。いずれこうなるとわかっていたけど、マスターの読みよりも随分と早かったわよ」
「ならば期限切れですな。我らは撤収します」
「こちらも撤収するわ。伊織ちゃん、来て早々悪いけど帰るわよ」
ヴィオラさんが手紙を読み終えたと同時に、リエルさんがルゥ族の詰所へとやって来た。ハンターギルドに勤めているはずのリースさんと共に。
「イオリ。次はエマたんのお店で」
「またね、ヴィオ」
「もう、いつでも会えるんだから急ぎなさいよ!」
「ヴェオ! 急げ、お前らも撤収だ。取り残されても知らぬぞ!」
「取り残されたらマスターが拾いに来るわよ。重労働とお説教付きでね!」
居残っていたルゥ族はヴィオラさんの檄には動じずも、次に放たれたリエルさんの檄には動じたようで慌ただしい動きを見せた。ただそれは、彼らに限った話でもないのよね。
「久しぶりに体を動かせると思ったのに……」
「大丈夫よ、伊織ちゃん。マスターは対応策を考えているわ。肉の仕入れ先が無くなるのだもの。代替手段を講じていても不思議ではないでしょう?」
「タダヒトの妙案ほど、嫌な予感がするのは私だけでは無かろう?」
「奇遇ね、姉さん。私もほぼ同意だわ。それはそうと姉さん。この娘は伊織ちゃん。マスターの後継者。日本のお店の、って意味よ! あ~、あとケビンおじ様が行方不明になってるそうよ」
ルゥ族の詰め所を出て、隣の店舗へ走る途中。
リエルさんはリースさんへ宛てて、適当にあたしの紹介をした。
あたしが外出時に丁寧に鍵を掛けたので、それを開錠するのに手間取っているのよ。メッセンジャーに遣うだけなら、最初からそう言ってくれたらよかったのよ! そしたらあたしも南京錠を六個も施錠したりしなかったわ。
「タダヒトが数人連れてきた中から選抜したのだ。自信を持つと良い」
「あ、ありがとうございます」
「姉さんも伊織ちゃんも早く開けないと、三人揃ってお説教行きよ!」
開錠し終えたら店舗内にある備品の内、重要そうな物をそれぞれが両手に持つ。そのまま地下に降り、ゲートに乗ったわ。
光に包まれた後には、真っ暗闇の中に放り出されるのよ。でも不思議と安心しちゃう。
「ここ、また暗くしてるのね」
「あの禿頭の趣味だろう」
「誰がハゲだ!」
あたしが本店の真っ暗闇に妙に安心を覚えていると、会話する声が聴こえてくるの。軽快なリエルさんに真面目っぽいリースさんの声に混じって、野太い男性の声が聴こえたのよ。
店長の声ではないわ。店長の声はもっと低い。雑味の感じられない低く澄んだ声なのよ。こんなダミ声とは違うわ。
「これは剃毛だと何度言ったら……」
「でももう剃ってないんでしょう?」
「そりゃあそうだが」
「では禿ではないか」
「お前ら、姉妹揃って先輩をイジメるんじゃねえ! さっさと上がって仕事しろ。あぁ、リースは何もするな。何もしないのがお前の仕事だ」
階上から店長の怒鳴り声が響く。
ダミ声の男性はやはり店長ではなかったわね。
しかし、先輩とは誰ぞや?
あたしは会ったことすらないと思うの。でも住宅部分の。しかも地下に居たわよね?
リエルさんもあたしも、リースさんまでもが慣れた様子で暗闇を抜け出る。
地上階から降りてきた店長と、細い階段ですれ違い入れ替わる。店長は暗闇に入っていったわ。
そして、聞こえてくる声。
「忘れ物がないか見てくるので、先輩はアーミルへ繋がる縁を切っていただけますか?」
「それは構わねえが、あの娘っ子を何とかしろや」
「それ
「いや、ほら、新しい娘が入ったろ? 俺様は後輩に気を遣ってだな……」
「はいはい。ちょっと行ってくるんで、あと頼みます」
「こら、まだ話は終わっておら――」
面倒臭そうな店長の声が聴こえたきり、その後の会話は途絶えてしまった。
ダミ声の主が店長に手を伸ばすも、その手は店長に届くことはない。そんな情景が浮かぶわね。
「伊織ちゃん、何してるの? お望みの仕込みがたくさん残ってるわよ」
「店長の先輩という方が気になって……」
「格好いいお侍様よ。恥ずかしがり屋なのが玉に瑕だけど」
おさむらい? お侍、と言った?
現代に於いて侍とは官僚? 冗談よね。
まるで刀を振るうような動きを見せるリエルさんに、あたしは疑問符しか浮かばないわ。
「いずれマスターが紹介してくれるわよ」
店長以外にも店内に男性が潜んでいるというのは恐怖だわ。
中抜け休憩中に仮眠できなくなっちゃうわよ。昼食後に三十分でも仮眠すると、頭がすっきりとするのよねぇ。シエスタっていい習慣だと思うわ。
「あああああああああ! 姉さんは置いてある物に触っちゃダメ! 絶対!」
「リース姉さん。今日はエマのお家に泊まってね」
「何? 私はこの寮に――」
「おとうさんの言い付けなの、絶対に連れ帰るわ」
「リエルの家に泊めてもら――」
「出向も終わったのだから我が家に帰りなさいよ! エマちゃんのお世話になるのも今夜に限った話よ。いいわね?」
「甥や姪の顔を見――」
「いいわね、姉さん?」
「う、うむ」
リースさんはリエルさんの姉であるのなら、居酒屋あすかろんの従業員である可能性は高い。だというのに、この不自然な扱い。
何か、事情があるのかもしれないわね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます