龍肉と魔獣肉



「龍肉は死後硬直期間が約一週間と長い。尻尾を刈り取っただけだが……、それでも腐敗しにくいという性質はそのまま。

 あの子が痩せていたこともあって肉の絶対量が少ないという理由もあるが、こいつは最初から佐藤さんに食わせるつもりはない。ちょいと厄介な効能があってな」


 いつになく目付きが悪くなった店長の圧力に負け、あたしはすんなりと承諾の意志を示してしまった。


 エマの今にも吐きそうな青い顔を見て、エマが巻き込まれてしまわないために、という理由も確かにある。だけど、正直なところは好奇心に負けたのよ。

 だって、仕方がないじゃない?

 魔獣肉にはほっぺが落ちる程おいしいぞ、なんて煽るんだから! それも店長だけでなく、リエルさんまでもが一緒になってよ。


「安心しろ、何も無理矢理人型を食わせたりはしない。俺だってあんなもの口にしたくもなければ、させるつもりもない。純粋ではないが一応は獣タイプだ。……近い存在だとキメラとかマンティコアとか、そういう色々と混じっている見た目だが獣タイプに違いはない」


 全く安心できる要素がないわよ!



「強制的に進化を促す仕組みは一種の蟲毒なのだろう。その途中経過、或いは成果を喰らえるのは強者に許された特権とも言える」


 お店の冷凍庫から肉の塊を取り出しながら店長は嘯く。

 店長が手にしている肉塊は、ドラゴンさんに与えていた人間が三分の一くらい混じったものではないらしい。でも、既に精肉になっていて原型などわかりはしないのよね。


「マナを豊富に含む食材というのはね。とてもとても、それはもうおいしいのよ。地球上で食せるのはこのお店だけよ?」


「何度も念を押さなくとも結構ですよ! 十分、理解しましたので」


 店長もリエルさんもしつこいのよ。あたしはわかったって言ってるのに!

 あたしの回答に対し、笑みを浮かべた店長は肉塊に手を翳した。カチカチに凍った肉塊に触れるかどうかという距離に。


「凍るというのは分子が固定している状態だから、少々強引にでも動かしてやればいい。まだ慣れないから、この程度の大きさでも半解凍が関の山だが」


「地球にお嫁に来て私も色々と学んだけど、そういうのは人間のやることじゃないでしょうに。チンしなさいよ」


「レンジを使うと熱が入り過ぎる。ドリップが出まくるし、少々臭うことになる。とはいえ自然解凍では時間が掛かり過ぎ、流水で解凍してもこの大きさでは相応の時間を要する」


 リエルさんは店長に対して遠慮がない。

 あたしの先輩で年齢的にも遥かに上なのだから当然なのかもしれないけどさ。もの凄く親しい感じがするの。

 あたしも少しずつそちら側に寄っている傾向もあるけど、日本人らしい慎ましさも併せ持っているつもりよ?


 エマ?

 エマはもう我関せずを貫くようね。

 リエルさんの持ってきた段ボール箱を開けて、ホットケーキミックスを練っていたわ。今は、店長が用意していた大きな円形の型に流し込むことに意識を向けているわね。

 でもね?

 型に流し込むまでは良くても、エマにはオーブンの操作はできないのよ。何らかのタイミングでこちらに干渉してくるわ。



「根本的な……根源的な、になるのか? マナを多量に含むという意味では魔獣肉と龍肉の性質に大きな違いはない。両者に共通する効能としては、摂取した対象の筋肉の密度が上がるというものが挙げられる」


「体形に変化はないのだけどね。筋肉の質が変わるの。居酒屋あすかろんの従業員は狩りが義務付けられているから大いに役に立つわよ?」


 エマはあすかろんの従業員ではあるけど、居酒屋あすかろんの従業員ではないから狩りには出向かない。エマニエル魔術用品店という別の看板を背負っているの。

 面接に来るまでゆるゆるだったあたしの二の腕やお腹周りは今やその面影すらなく、筋肉質となり引き締まったボディに生まれ変わっている。

 でも、たまに赴く狩りではルゥ族の三人に大きな差をまじまじと見せつけられてもいるの。筋肉の質が変わるというリエルさんの言葉は、そんなあたしにとっては福音にしか聞こえなかった。

 興奮を抑えきれず、リエルさんの後に店長が一言二言付け足していたけど、聞き漏らしちゃったわよ。


「そういう効能があるためにレオには決して食わせられない。頑張っているやつの努力を無駄にさせるわけにもいかないからな」


「本人の望まない形でのドーピングになるんですね」


 あたしが就職した当初は毎日のように顔を出していたレオも、部活が忙しくなるととんと顔を出さなくなっているわね。


「それと、もし仮にレオがスポーツをやってなくとも、レオではサンプルに成り得ない。確固たる理由がある」


「……私の息子なのよね」


 レオはドイツ人のリエルさんと日本人の旦那さんの間に生まれた子でしょ? どこに問題があるのかしら?


「レオの出自に関して、最初に説明した内容は間違ってないが本当のことでもない。

 こいつにドイツ国籍を取らせた直後、虎太郎と籍を入れることで日本国籍を取得させた。実質、ドイツ国籍だった期間は一ヵ月程度しかない。こんな成りだからな、難民申請でいきなり日本国籍を取得させるよりも確実な方法だった」


「……それってどういう?」


「私もエマちゃんと同じ星の生まれなの。姉さんと二人、路頭に迷っているところをマスターに拾ってもらったのが始まりね」


「アーミルのハンターギルドで会ったリースが姉で、こいつが妹。こう見えても歴としたエルフ。平地に適応して耳が短くなった短耳エルフというやつで、俺よりも年上の二百うん十歳だ」


「ちょっと! 年齢の話は今は関係ないでしょうに!」


「えっ、ええええええぇぇぇええぇ!?」


 じゃあ、レオは異世界結婚で生まれた子供? 確か、妹もいるって……。

 ……こりゃ、国際結婚どころの騒ぎじゃないわ。


「こいつがここで働いている時に、虎太郎……旦那に猛アタックを受けてな。あえなく陥落したんだよ。そこからがもう大変でな。なぜ俺があそこまで走り回らねばいけなかったのかと、今考えても腑に落ちない。

 で、その時に小耳に挟んだのが……異世界・異種間交配を可能にする食材の話なんだ」


「それが私たちの星の、改良型ドラゴンモドキだったの。……忌まわしい歴史として語られる過去の、短耳エルフの所業が巡り巡って私を幸せにしてくれるとはね。運命と呼ぶには出来過ぎよね。それもこれもマスターに拾ってもらったからなのだけどね」


「そういう理由もあって、龍肉は佐藤さんに提供することはできない。大人向けの危険な食材というわけだ」


 あぁ、うん。

 今のあたしには必要ない、わね。

 異世界交配を可能にする食材とは夢のようなものだけど……。


「それを何で今回も?」


「新婦は晩婚なの。でも互いに子供がほしいようでね。それを聞いたうちの旦那が暴走した結果ね。その節はご迷惑をお掛けしました」


「ああ、いえ、あたしもエマも見学していただけで、やったのは店長なので……」


 いつの間にか、傍に居たはずの店長はいない。

 エマに呼ばれてオーブンの操作をしている。パン焼き専用オーブンは工作機械みたいにボタンがたくさんあって、あたしもまともに操作できないくらい難しいの。

 まずは余熱からよ!


 そんなことを思いながら、あたしとリエルさんとで頭の下げ合いをしているの。エンドレス……。


 衝撃の事実を受け、あたしも気が動転しているわね。

 それにぢても、改良型ドラゴンモドキねぇ。

 狩りの時に店長はあのドラゴンさんが弄られた存在だと語った。そこにはエマも含まれているようだったけど……リエルさんの先祖がそれをしたということに、あたしは言いようのない不快感を抱く。


 そして店長は……どうやってそんな事実を、どこで小耳に挟んだの?

 店長に関しても謎が多すぎる。

 ルゥ族は聞くところによると、千近い人数が存在しているという話だし。それだけ多くの人員を抱え込んでいるというか、指導する立場にある店長とは一体何者なのかしら?


 今度、エマが紹介してくれるという店長の師匠。

 エマが言うところの、おばあちゃん先生に会ったら聞いてみましょう。

 店長の師匠という意味で一癖も二癖もありそうよね。きっと素直に教えてくれたりはしないのでしょうね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る