一見さんもやってくる
今日も開店から三十分もすれば、テーブル席の半分以上は埋まるわ。
テーブル席はほぼ予約席。”ほぼ”なのは、予約のお客様が増員した場合に対処するための予備席を含むからよ。
例えば、「友人が遊びにきちゃって……」とか「母が様子見に来たのだけど、追い返すわけにもいかなくて……」とか、予約されたお客様も対応に困りそのまま連れて来てしまうことが多々あるのよね。
何せ、このお店は予約一か月待ちの超人気店なの。唐突の来客程度でキャンセルしたくない気持ちは十分に理解できるわ。
そういった経緯を考慮した結果店側も対応せざるを得ない。店長もリピーターを増やそうと意気込む。
前者は常連さんからの直接的な紹介という意味で、一見さんとは異なる。
誰の紹介があるわけでもなく、時折ふらりと訪れる完全無欠な一見さんもいるの。
以前あたしは姉にこの店を紹介した際、予約なしの来店は無理と説明したものだけど……。あの時点のあたしは一見さんの存在を知らなかったのだから仕方ないわよ。
そして今日も『からん、からん』というドアベルの音色と共に、
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか?」
「いえ、違います。前を通り掛かったら、おいしそうな匂いがしてきて……」
「なるほど、わかりました。では、カウンターのお席へどうぞ」
スーツ姿の若い男性。若いと言ってもあたしよりかは年上っぽい。そんな男性客をカウンター席へと誘導する。
一見さんはカウンター席へ案内することが決まっている。あたしもつい最近になって知ったことだけどね。
ただ、このお店に一見さんがやってくることは極めて少ない。あたしが一見の来客を迎えたのも先週が初めてのことだし、それ以前は全く経験がなかったの。
第一、このお店には魔法が掛かっている。店長が言うには、冷やかしの客などは来店しようという意識すら弾かれてしまい、そのまま歩き去ってしまうらしいの。
確固たる意志を持ち来店する以外、このお店に入る手段はない。
面接に訪れた時のあたしのように、今日は腹いっぱい食べるぞと意気込む予約客のように、そういった意識下でしっかりと認識できていなければ、この店の敷地にすら足を踏み入れることはできない仕様となっているの。
なので今回の一見さんであるこの男性も、余程お腹の空いたお客様であるのかもしれない。
カウンター席に誘導した後は店長任せよ。
言い方が悪いかな。一見さんへの対応は店長がする決まりなの。お客様の心と胃袋を掴むには、店長自らの接待が必要らしいわ。
あたしは予約客の相手で精一杯だから、願ったり叶ったりだけれど。
予約のお客様は基本的にコース料理と相場が決まっている。
たまにカルト(アラカルト)を追加注文するお客様もいるけど、コース料理は提供する料理とその順番が決まっているからとても楽なのよ。サーブするあたし然り、料理を作る店長然りね。
それに今日は部活の合宿で店にいないレオの代わりがいる。
本当は件のウェディングケーキの試作のために来ていたのだけど、営業時間に突入してしまったため、そのままウェイトレスとして働いてもらっているの。
「イオリ、三番のお魚いくわよ」
「わかったわ、エマ」
そう、エマなのよ。
最初あたしはエマを日本のお客様の前に出すなど、正気の沙汰ではないと思ったものだけど。店長が放つ言葉に妙に納得してしまった。
その言葉とは、
『何のために”異世界風”という冠付きの看板を掲げていると思っている』
と最初に言い放ち、
『”異世界風”という冠と店に掛かる魔法の相乗効果でな。精巧な出来のコスプレ程度にしか思われない』
こう、身も蓋もない言い訳もするの。
それに意外ではあるものの、エマは片言ながら日本語を喋れるのよ。片言で所々おかしな表現があるのだけど、顔の造りからして日本人には見えないから問題にならないのよね。
一番印象に残っている表現は『パショ本』ね。
店長がタブレットを使って参考資料を表示するのだけど、それ見てエマは『パショ本』と言ったの。住宅側にある大型テレビとデスクトップパソコン、休憩室にあるテレビとノートパソコンも全部を『パショ本』と呼ぶのよ。
とにかく画面があって画像や映像が映し出されるものは総て『パショ本』扱いで、彼女にしてみれば『本』という認識であるのよね。
あたしがエマに協力するのは、このタブレットの操作。所謂、オペレーターね。
土台となるケーキは店長が焼いて、フルーツ等も挟み込むまではやるらしいの。その後の飾りつけがエマの担当で、あたしはその補佐。
ネット上にあるウェディングケーキの装飾を参考に、最終的にどのようなものにするかを考えるのがエマの仕事。あたしはタブレットの操作とタブレットではわかりにくいものをパソコンで調べたり、パソコンの中に入っているお絵かきソフトで適当にコピペするのよ。
店長のパソコンには何故かCADやCAMが入っている。けど、あたしはそんな高度なソフトは扱えない。そもそもソッチ系の知識は皆無だもの。
気になって店長に訊いてみても『昔取った杵柄だ』としか言わないのよ。
そんなことはどうでもいいのよ。
で、エマもパソコンやテレビは以前から見たことがあったらしいの。
だけど今回が初のお目見えで、そして触れたタブレットはエマの物欲を激しく刺激したらしく、それはもう物凄い勢いで欲しがった。前回の腕時計のようにね。
持ち帰ったところでネットはないし、電気がないため充電もできず、電池が切れるまで使うにしても時間制限があるわ。充電しに来ればいいだけなんだけどさ。
まあ、店長が拒否する理由にしては十分よね。
でも、プリントアウトされた絵柄や装飾パターンなどは、結構な量が持ち帰られ資料としてファイリングされている。ファイルも勿論樹脂製よ。
これらはエマの魔術用品店で取り扱うスクロールの製作に役立っているそうなの。スクロールとは魔法陣を描いた紙のことね。結構いいお値段で売れるらしいわ。
あと、日本のスナック菓子とかチョコレートだとかもお持ち帰りしているのよね。
ドラゴンさんの尻尾を刈り取って以来、度々エマの下を訪れているのであたしは知っているの。ちゃんとプラスチックごみやアルミホイルは分別してあって、こっちで捨てているみたい。
「お魚食べ終えたら氷菓子」
「グラニテね。全然甘くないのよ、アレ」
店長と一緒に作ったあたしは知っているわ。
実態は柑橘のシャーベットなんだけど、砂糖類はほとんど入っていないのよ。アイスクリームみたいに甘みが口に残らず、さっぱりとするの。口直し専用よね。
だって、次はメインディッシュのお肉だもの!
「今日は謎仔牛のポワレ、フランボワーズのソース」
「”謎”が付かなければ素直においしそうなのに……」
「そう言うな、エマ。こいつは佐藤さんの初の獲物だぞ。ほら、冷める前に持って行け!」
人数分のお肉を盛り合わせたお皿を並べた店長は言う。
お肉のお皿ってあっついのよ。お魚もだけど。火傷しないギリギリみたいな感じ。
エマと二人で三枚ずつの、計六枚を持って行くわよ。
お肉のお皿をお客様の前に置いて、少し休憩。
他のテーブルのお客様の、食事の様子も観察しながらよ。飲み物が空になってないかとか、パンの皿は空いてないかとか。
「狩りもしてるのね」
「そりゃするわよ。最初の訓練が狩りだったのよ」
落ち着いて考えてみると普通じゃないわよね。ウェイトレスに狩りをさせる店って……。
「エマは狩りしないの?」
「エマは職工魔術師。工房で働くのが仕事だもん」
「今度一緒に行く?」
「狩りじゃなければ何度か行ってるけど……おとうさんの許可が下りないわ」
「なんで……」
「魔術がダメなの。おとうさんみたいに目視できなければ誤魔化せるけど、エマのはそうもいかないから」
店長のフィンガースナップとデコピンにそんな利点があるのはわかっていた。でもね、経過は見えなくても結果は同じじゃないの。
あたしはレオの窒息水魔法よりも、店長のフィンガースナップとデコピンの方が何倍も凶悪だと思うのよね。
特にデコピン、破壊の規模が違うのよ。
デコピンも原理はフィンガースナップと同様だと店長は言ったわ。
『ソニックブームって言えばわかるかな?』
それってデコピンが音速を越えているってことでしょ? 音速のデコピンなんて何の冗談よ!?
でも実際に事は起こり得ているわけで、フィンガースナップの時とは異なりピンポイントではなく、線状に衝撃波を形成することで切断が可能であるとか。線の幅を増やせば、強力な打撃としても使えるとも言うのよ。
「大丈夫よ。物理で殴れば、何でも解決するわ。あたしの愛用の釘バットを貸してあげる」
釘バットはいいわよ。最高よ!
金属バットに浮気した時もあったけどさ。それはそれよ。
「えーと、それって脳筋って言うんだっけ?」
「失礼な! ちゃんと考えながら殴ってるわよ。頭を狙わないと肉がダメになるって、店長に怒られるんだからね」
あと皮ね。
隣にあるルゥ族の工房で鞣されて革に、その後に革製品に加工されるの。
その時に頭以外に傷があると小言を言われるのよ。値が下がるっていうのもあるし、加工する際に利用できる部分が減るという理由でも。
そうそう、エマの工房の隣にもルゥ族の工房があるのよ。同じ棟の建物で、扉を開けるとルゥ族の工房に出ると言った方が正しいかもしれないわね。
「お姉さんもそんな感じだった」
「ひょっとして、リエルさん?」
「うん。いつも黒い棒を持ち歩いてるの。こう、肩をトントンと……」
店長がよく口にするリエルと言う名の人物。レオの母親であるらしいわね。
黒い棒って例の黒バットだよね? あれ、かなり重いんだけど、肩をトントンて。
店長も「当時から公式試合には使えなかった」と言う曰く付きの金属バットよ。
「こら、サボってないで皿下げてこい。水も」
「は、はい」
「エマはお水」
店長と歓談していたカウンター席のお客様にも、くすくすと笑われる始末。
ああして店長はあたしたちを出汁にして、お客様の心を掴むの。いい面の皮よね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます