ドラゴンのしっぽ刈り③
長さ二メートル程、店長の身長に比べるとやや長い尻尾の切れ端。
その尻尾の先端を持ち、くるくると勢いよく振り回す。振り回される尻尾の切れ目からは赤い液体が飛び散っている。
エマは店長に寄り添うことで飛び散る血液を避けている様子なのだが、徐々にこちらへと近づいてくる二人の影響もあって、あたしは飛んでくる血液の飛沫を避けねばならない。迷惑千万よ!
「店長。それ、止めてもらえますぅ?」
「血抜きの最中なんだがな」
あたしが血の飛沫を被ることを良しとするつもりもないが、少なくとも被害者の眼前でもある。ここは譲歩していただきたいわね。
「思ったよりも痩せていたんで予定よりも長めに頂戴したぞ。
それで約束の肉だが少し待て、どこに置いたかっけか? ……たぶんこれだろう」
またもや、歪む空間に今度は左腕を肘まで突っ込んだ店長は言う。ただ、少し悩んでいる様子が見られた。
「おまえらはそれ程大喰らいでもなかったよな? こいつ一体でも十分そうだが、おまけを幾つか付けよう。ただ、カチカチに凍っているからな。融けるまで待つか、融かしてから食うようにしろ」
「ガァ?」
店長の左腕の先に続き現れた物体はヒルデガルドではない。
疎らに毛の生えた象のような巨体。その本来であれば、大きな耳や頭部があるべき場所から人体の上半身に似たようなものが生えているの。
ケンタウロスという空想上の生物に酷似しているが、人体の上半身部分にも頭部が存在しなかった。切断面などはなく、切り落とされた風でもないわ。
それにケンタウロスにしては人体の上半身に相当する部分もまた、象の胴体に生えていることからとても巨大であるのよ。
これには尻尾を切られてしゅんとしていたドラゴンさんも、あたしもエマも眼が点になり、ただ唖然としてしまう。
そんな中、店長は淡々と、似ているようでとんと共通点のない不可思議な生物の死体を積み上げていく。一番大きいものは先程の象のケンタウロス頭部ナシだが、それより小さなものも獣とも人とも違う奇妙に混じり合った造形をしていた。
一言で表すならば、背筋が寒くなるようなナニカにしか見えない。実際にナニであるのかが理解できない、そんな生物の死体だった。
「おとうさん。……これ、何?」
「あっちの魔獣だ。前回のスタンピードの時に必要に駆られて間引いたモノだな」
「あっちというと、あっちですよね?」
「アーミルからも見える山々に巣食ってたやつらだ。俺が聞かされている実情ではあっちには純粋なヒューマンは存在しないという話でな。現在の人型連中もそう馬鹿ばかりではなく、学者みたいな連中もいてある仮説を立てていた。人型は魔獣の成れの果てという、眉唾としか考えられていなかったその学説もこういうのを目の当たりにすると強ち間違いでもないのかもしれない、と俺は思うようになった」
堪らず問い質したエマと、それに何の気なしに答える店長。
しかし、その内容はかなり恐ろしいものなのよ。
アーミルの街で出会ったルゥ族を除いた老若男女の全てが、今目の当たりにしている魔獣の成れの果てであるという仮説。と、その証明とも言える奇妙な造形の生物たち。
「まあ、お前さんが気にすることでもない。デモニアだろうが短耳エルフだろうと今まで構わず喰らっただろう? だから気にせず食えばいい」
「……ゴァ」
木の幹を齧るほどに飢えていたはずのドラゴンさんもドン引きなんですが! あたしもだけど!
「うげぇぇぇぇ」
エマは木陰で吐いていた。休憩中に口にした食料の何もかもを。
あたしも胃の調子が少しおかしいけど、吐くまでではないわね。半ば戦闘民族と化していた経験は伊達ではないの。
「なかなか面白い生態をしていてな。この前脚の付け根に大きな口があって、目や鼻ははどこにもないくせに耳は腕の肘にあったりする。ここからどうやって人体に似た構造を成していくのか、興味は尽きないな」
店長は誰も聞いてもいないのに、ドラゴンさんやあたしに向け解説してるのよ。しかも楽し気に。
ドラゴンさんはそんな店長の戯言を聞き流す。深く考えることをやめたらしく、小さな死体に噛り付いていた。だが、店長が先に口にした以上にガチガチに凍り付いていて、飢えて力のないドラゴンさんでは噛み砕けない様子だったのよ。
そこで彼女は口の前に炎を出して、表面を少し焦がしながらも凍った肉を融かして口に入れると咀嚼し始めた。
「見たかい? この子らはこんな姿をしてはいるけど、厳密にはドラゴンではない。今の炎も魔法の発現でしかなく、やってることは佐藤さんの魔法と変わりはない。
図体が大きいから寿命もそれに比例して長く、脳の大きさもそれなりにあるから知性も有している。けど、ヒルデガルドやアポカリプスとは生態がまるで違う。
ヒルデガルドやアポカリプスにはブレスを吐くための器官が体内に存在するけど、この子らには存在しない、とかね。仮にヒルデガルドの尻尾を切ったとしても、そのままで永遠に生え変わったりはしないのさ。あの子らはその祖先からずっとドラゴンだけど、この子らはエマの手前あまり大きな声では言いたくないが……途中で弄られている存在でね。遠い昔に翼を植え付けられたトカゲの末裔なのさ」
今も木の幹に手を添え吐き散らかしているエマをちらと店長は見つつ、あたしに小声で語るの。
確かにあたしも疑問ではあったのよ。
店長がヒルデガルドを呼んだ際に、ここで尻尾を切ればそれで十分じゃないのかと思ったりもしたのよ。エマの手前、言い出せなかったけど!
そんなことを言い出せばジト目で済むはずもなく、絶対にエマには嫌われてたわよね。
あと、店長の今の話にはたぶん続きがあると思うの。
エマに聞かせられないという理由がそもそもおかしい。ならば、エマも……エマの一族も過去に何らかの形で弄られている可能性がないとは言い切れないのよね。
でもね。エマはエマなのよ。
あたしにしてみれば、今のエマこそがエマなのよ。
だから――
「ちょっとエマの背中を撫でてきます」
「そう言ってくれると助かるよ」
店長は優しく笑いながら言う。
その背景に、なんだか不思議な生物を嚙みしめるドラゴンさんの姿さえなければ絵になったものを!
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エマが吐瀉した汚物には土を掛けておいた。
周囲の草を引っこ抜いて、その上に置いただけだけど。見た目的にはそう変わらない。
胃の内容物を全て吐き出し、すっきりとしたエマにはペットボトルの水で口を漱がせてから、あたしと一緒に店長の下に戻った。
すると、そこでは店長とドラゴンさんとの間で会話が為されていた。
「お前さんには近隣の野良を纏め、新たな群れを形成し統率してもらいたい。向こうの山を二つ越えた先には俺たちが築いた街があってな。その守護を担ってもらいたいという目論見だ。こちらがそれを望む以上、当然報酬も出す。今回と同様の魔獣を提供する予定だ。この魔獣はマナを豊富に含んでいるからお前さんが力を取り戻すのにも一役買うだろう、どうよ? 悪い提案ではあるまい」
『……勝手に群れを興しても問題はないのか?』
「あの自称龍王には貸しが幾つもあってな。黙らせることなど造作もない。第一、俺の許可があると言えば、奴らは手も足も出せやしない。必要なら蹴散らしてやろう」
『若い衆を纏めればいいのだな?』
「そうだ。簡単だろう?」
『了承した』
ガウガウ言うだけのドラゴンさんと会話する店長の姿は、傍から見るとかなり奇妙なのよね。あたしやエマみたいにペンダントやチョーカーでもないと、たぶん意味は分からないから。
一旦の合意に至ったドラゴンさんと店長の話し合いは尚も続くようだ。
その間、あたしはこの会話の最中に疑問に思ったことをエマに問う。
「あの街って店長が作ったの?」
「そうよ。本当はおとうさんが興した街というか元は村ね。でも今はルゥ族の長老連が街の運営を取り仕切っているわ。おとうさん、そういう面倒なことはすぐに丸投げしちゃうのよ」
「あぁ、なるほど」
「それにおとうさんの役目はルゥ族に本懐を遂げさせることだから……って、これはナシ。今のは聞かななかったことにして! お願い、イオリ」
何やらあたしは、知ってはいけないことを耳にしてしまったらしい。
そもそもあたしはそこまで詳しく聞くつもりはないのよね。当たり障りのない内容だけでいいの。
先の店長との内緒事も出来れば聞きたくなかったくらいなのよ。
一介の居酒屋従業員でしかないあたしに、背負いきれない厄介事は勘弁願いたいわ。幾つもの世界を股に掛け、暗躍していると思われる店長と同様の扱いをされても困るの。
まあエマも店長の手下だから、いずれあたしもその一員に加えられるのだろうけど……。今はまだ結構です!
せめてもう少しまともな魔法○女になってからにしてほしいわ。
「話は付いた。帰るぞ」
エマとの秘密の会話は、店長に聞かれてはいない様子だった。
「もう夕日も暮れて薄暗いですよ。夜の営業に差し支えます!」
「いや、まだそんな時間じゃない。時計を見てみろ」
世間一般では夏休み前のこの時期で日が暮れているとなれば、十八時とか十九時とかのはずなのだけど……腕時計を確認してみれば、まだ十六時を少し回った程度だった。
「え?」
「こっちは星自体が小さくてな。自転速度は地球とそれほど変わらないが一日二十時間程度しかない。ただ、公転周期は若干長くて四百日は掛かる。要は地球の時間や暦とズレが生じるんだよ。そういう意味ではあっちの星は地球と大きさはそう変わらない。ズレても一時間くらいなもんだ」
「おとうさん、これ欲しい!」
エマがあたしの腕時計を見て騒いでいるけど、今は無視の方向で。
あたしは自分の考えを纏めることに忙しいのよ。
考えてみれば当たり前なのだけど、どこもかしこも地球と同じ二十四時間営業であるはずもないわね。星の並びも違えば、太陽までの距離も違って当たり前なのよ。
エマの工房はいつも窓を閉ざしていて暗いから、今まであたしが気付かなかった大きな要因になるわね。
「だから、今から帰りゃちょうどいい」
「こんな暗がりを日中と同じペースで歩けませんよ」
「そのためのエマとも言える。エマ、灯りは頼むぞ」
「ねえ、おとうさん。これ欲しい!」
「地球の時計なんて持ってても意味ないだろ。一日四時間弱もズレるんだぞ?」
エマは我儘いっぱいで駄々っ子もいいところよ。おもちゃやお菓子を買ってもらえない子供みたい。
店長も駄々っ子には困り果てた様子で、胸元のポケットに入れていた懐中時計を取り出してエマに渡したようだわ。エマはそれで納得したようで、あたしや店長よりも先行して歩き出した。
銀色の懐中時計を見てニマニマしながら、エマは時折木の幹に何かを貼り付けて歩いている。耳に近付け、チクタクと鳴るクォーツ特有の音を愉しむ辺りが渋い。
エマの貼り付けた何かは発光して、あたしや店長の進む路を照らす。
「これはすごく簡単な魔術だよ。佐藤さんにも、今後はこうしたものを覚えてもらう」
「先生に習うんですよね?」
「いいや、先生は詠唱式だからどうしても陣式の応用になってしまう。まずはエマの下で基礎となる陣式を学んでもらうのが先かな」
あたしの魔法○女への道は長く険しいものであるようね。
最初にあたしの先生となるのは、どうやらあの子供っぽいエマであるようだわ。
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