お姉ちゃんがやってきた



 今日はここ最近では珍しくレオがいる。

 部活は良いのかと訊けば、サボったらしい。

 根を詰めすぎると良いことなどないものね。適度に休むことも大事だけど、大丈夫なのかしら? スポーツ特待生でしょうに。


 今日、エマはこっちには来ていないのよ。だから、あたしの仕事量が減る分にはありがたいとは思うけどね。

 そう正直にぶちまけると、レオは言った。


『新居さんはおいらが働きに来るまでしばらく独りで店を切り盛りしていた』


 と。

 店長は身体能力とかが一般人とかけ離れているもの。例えひとりでも、テキパキと行動していそうなのよ。だから不思議と納得できてしまう、あたしがいた。


 そんな無駄話をしていたのも束の間、開店時間を迎えて直ぐ……


「いらっしゃいませ、ご予約のお客様でしょうか?」


「はい、予約した鈴木です」


「鈴木様。ではどうぞ、こちらです」


 鈴木と名乗る男性と一緒に、あたしの姉がやってきた。

 最近の店長やエマ絡みで忙しかったあたしは失念していた。あの惚気絡みをする姉が、あの日より一か月後にやって来るということを!



「どうした? お姉さんでもやって来たか?」


「なんで…………心を、あたしの心を読みましたね!?」


「いいや、余りにもあの女性を見ているものだから冗談で言ったんだが……マジなのか?」


「!」


 一番バレたくない店長に、実姉の存在がバレた。

 カマかけだというのに、あたしは正直な反応を返してしまったのよ!


「……なるほどな。なら、ちょいと変更してフルフルコースで行こう。グラニテは魚の後ではなく、二本足の後にしよう。賞味期限のヤヴァい鶏肉もあるからな」


 あの日、店長が獲ったペリカンだわ。レオと一緒に処理したヤツ。

 鳥の死後硬直期間は鶏とそう変わらないらしく、三時間程度だと聞いているの。だから、熟成後に一旦冷凍されたペリカンのお肉は、今もお店の冷凍庫に保存されているのよ。


「ついでに言えば初回の予約客だ。アミューズから凝った商品を並べるとしよう。アペリティフはシェリーのドライを。佐藤さんは、これらが店からのサービスだと伝えてくるようお願いね」


 店長はレオを呼び付ける。普段全く口にしようともしない丁寧な言葉遣いで。

 レオを「橘さん」と呼ぶくらい丁寧なのよ。


 そして、あたしは姉のいるテーブルの担当とされた。

 今日はレオがホールを担当するから、終始調理補助でいられると高を括ったのが間違いの元なのかしら? 人間、楽を覚えると碌なことがないわ。




「お客様、こちらは当店からのお礼の印です。食前酒と、ちょっとしたおつまみをご用意させていただきました」


 店長は語尾を伸ばすなとか、”なります”の遣い方がおかしいとか、日本語の遣い方にうるさい。自ら敷居を低くしたと語りながらも高級店のサービスを求めるその姿勢は素晴らしくも、あたしやレオからしてみればやや滑稽に映りもする。

 しかし雇われの身であることに変わりはなく、店長の方針に異を唱えることはしない。あたしもレオも。日本語をそこまで理解していないであろう、エマも。


『将棋の”歩”が”と金”に成るくらいの変化がなければいけない』


 なんて言われても!

 あたしはルールをよく理解していないにも拘らず、弟を相手にボロ負けして以来、将棋は二度としないと誓った身なのよね。

 だから、言いたいことは理解できても『はい、そうですか』と簡単には頷けない理由が、あたしにはあるのよ。


 戦闘が絡まなければ優しい店長の拘りについて考えていると、


 お姉ちゃんの視線が痛い! 鋭すぎる。

 そんな厳しい目をしていると彼氏さんに怯えられてしまうのでは?

 あたしの疑問に姉は鋭い目付きで以て、返答をするの。


『なんであんたが!?』


 と、困惑を含ませながら。

 あたしだって、店長に悟られなければ、お姉ちゃんの相手なんかしたくもないわ!


 あの日、あれだけあたしの年上趣味を馬鹿にしたお姉ちゃんが、店長よりも老けたおっさんをお店に連れてきたのよ。文句の一つでも言いたいのは、あたしの方だわ!

 ちょっと前髪が後退しているのが印象的よね。


 店長も発言だけを鑑みると、結構なお年頃だけど! 昭和っぽい。

 見た目は一応、二十代後半だしぃ。……そこが奇妙なところでもあるのよね。


「当店のパンは店主自らが焼いた自慢のものです。お替り自由の、実質食べ放題です。ですが、本日お客様に提供される料理には店長の悪戯心が反映されており、手が加えられています。無暗にパンへ手を伸ばすと、お料理が食べきれない恐れがあります。お気をつけくださいますよう、お願い申し上げます」


 あたしなりに、姉とその彼氏さんへのエールを送る。

 店長にはもうバレたの。だから、もう手遅れなのよ!

 店長は狩りも好きだけど、料理をするという行為自体も好きなのよね。だからもう何と言うべきか……ご愁傷様? ここぞとばかりに提供される料理を堪能してもらうしかないのよ。


 ごめんね、お姉ちゃん。もう、あたしの責任の範疇にはないのよ!

 もう、どうしようもないの。



 主な食事を終えた姉のテーブルへ向け、あたしはチーズが数種類の載ったワゴンを押す。デザート前のチーズタイム。店長曰く、そんなものがあるらしい。

 あたしはファミレス勤めの経験しかないのよ。そんなもの知らなくて当然でしょう?


 店長の好むブルーチーズだけではなく、白カビチーズや表面のカビを洗い流したチーズまで、数種類のチーズが並ぶプラター(銀メッキプレート)の載ったワゴンよ。

 知らなかったのは何もあたしだけでなく、テーブルを占拠する姉や彼氏さんも同様だったようだけど。


 あたしが右往左往していると、レオが助けてくれる。


「チーズは如何でしょう? 白カビは比較的口当たりがよく、青カビは鮮烈に、ウォッシュタイプは前者の中間的な味わいがあるでしょう」


 んー、店長の説明と違う。けど、このタイミングではありがたい。

 店長はチーズ表面に生えたカビが苦手という方にはウォッシュタイプがお勧め、と言っていたはずなのよね。


「それと、チーズに合わせるちょうど良いワインを一本。店からの進呈いたします」


 ちょっとちょっと! まさか、長居させるつもり!?

 だって、そうでしょう?

 食事中に出さないで、チーズタイムに合わせるなんて。

 やられたわ。まんまと、店長に謀られた。


 デザートはティラミスか、パンナコッタしかない。

 材料が似通っているからと店長がケチってこれらしか作らないのよ。マスカルポーネチーズくらいしか共通項はないでしょうに!

 たま~にケーキを焼いたり、タルトを作ったりするけど、それは本当に稀なの。


 最近だと店長が手抜きして焼いたスポンジ生地に、エマが飾りつけの試作を施したものがあるけどさ。それはエマとあたしの賄い兼お持ち帰り用だから店には出してないのよ。



「こんなに良くしてもらって……伊織、あんたなんかしたの?」


「仕方ないでしょ。あたしのお姉ちゃんだって、店長にバレちゃったんだから」


 あたしに責任は……たぶん、ない。店長の勘繰りが悪いのよ。


「……妹さん、だったね」


「はい。姉をよろしくお願いします」


「こちらこそ、だよ。それに良いお店だ。これからは個人的に通わせてもらおうと思う」


「どうぞ、末永くご贔屓に」


 間髪入れず『ご贔屓に』と言い放ったのはあたしではなく、レオよ。

 こいつ、タイミングを掴むのが上手いのよね。

 言うだけ言って距離を置く、その姿勢すら巧い。あたしもああいう態度が自然にとれるようになりたいわ。まあレオは店長のサーブを見て覚えた口だから、巧くて当たり前なのだけど。

 あたしは店長が自らサーブする様子を見たことがないの。それが少しだけ悔しい。


「とろりとしてて、とても甘くて美味しいわ」


「あぁ、うん」


 店長がレオに持たせたワインの瓶は細く、それでいて少し小さいように見える。

 注がれたワインは黄色味掛かっており、姉の言うようにとろみもあるように見えた。

 あたしの知らないワインを店長が出してきた。レオにこのワインが何なのか問い質したいけど、彼は他のテーブルの様子を見ているのよ。


 チーズタイムが終了したらって……、甘く口当たりの良いワインにふたりして酔いが進んでいる様子が見られる。特にお姉ちゃんが顕著だわ。

 失態や失言でもして、愛想を尽かされなければいいけど。そうなると、このお店を紹介したあたしもとばっちりを受けそうで怖いわね。


「デザートをお持ちしました。コケモモのムースです。佐藤さんはコーヒーをお願いします」


 しれっとテーブルに現れたのは、何を隠そう店長よ!

 何よ、コケモモのムースって!? どこから出したの? そんなの昨日も今日も作ってないわよね!?


 あたしが疑問符を浮かべている、その間にも店長はデザートの載った皿と、コーヒーカップをソーサーと一緒に配っていく。コーヒーカップの横にはコーヒースプーンの反対側に黒く四角い何かが置かれていた。


「(何ですか、あの黒いの?)」


「ガトーショコラ」


 あたしが気を利かせて小声で訊ねたにも拘らず、店長はすんなりと答えた。

 そんなもの、一体いつ作ったのよ? あたし、この店で今の今まで見たことがないわよ!


「佐藤さんが秘密にしているから悪いんだよ? 急いで作ったんだからね」


 あたしは悪くない! そもそもが店長に明かすつもりが無かったのだから。

 でも、気を利かせてくれた店長を悪し様に言うのも、気が引ける。今更だけども。


 肉料理を二本足と四本足の二種類設けたのも、チーズタイムにワインを提供したのも、このデザートを完成させるための時間稼ぎであったのかもしれない。そう思えば、ありがたいという気持ちしか湧いてこなかった。


「妹が、不肖の妹がお世話になっています」


「いえ、こちらこそですよ。当店の……いえ、我が社の幹部候補生として存分に働いてくれていますから」


 うん。あたしはよく働いていると自分でもそう思うわ。

 普通の会社勤めとは大幅に異なる勤務形態だけど、ね! 異世界を渡り歩く勤務形態って何よ! って思うのが普通でしょうね。


 お姉ちゃんのように言葉は発しないものの、彼氏さんも店長へ会釈というか目礼をしていたのが印象的だったな。

 年の功なんだろうか、お局気味なお姉ちゃんを制するには最適な人物ではなかろうか? 是非、このままゴールインして欲しいとあたしは思うのだった。

 そこには、もうウザいなどという嫌味はもうないのよ。

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